希望の沼
『希望の沼』
4/15(土)ROAD SHOW!
「希望の沼?希望って感じがしない気味悪い絵だけどな。」
その貼られた映画宣伝のポスターには淀んだ水の溜まった沼と気味の悪い洞窟。そして登場人物の顔には緑のコケ?みたいのが生えている。
「まぁ希望って書いてるくらいだから感動ものの映画とか明るい内容なんだろう。どっちみち今の俺にはキツイ内容だ。」
俺の名前は森山徹。ごく普通のサラリーマン。大学卒業後すぐに就職。今年で5年目になる。今日は取引先で大失敗。商談が上手くいかず上司から大目玉をくらったばかりだった。
「はぁーー。今度映画見て気晴らしでもするか。」
俺は重い足取りですっかり暗くなった肌寒い夜の道を歩き、駐車場へと向かった。いつもの通勤路を自宅へ向けて車をはしらせる。
少し疲れていたんだろう。自宅手前の一時停止の交差点。よく左右の確認をせずに出てしまった。
『ドカーン!!』
一瞬なにが起こったかわからなかった。気がついた時には助手席側のドアに食い込む軽トラック。軽トラックが無灯火だったこともあり、全く気がつかなかった。
「最悪だ。頭が痛い。」
バックミラーで自分の頭を確認するとかなりの量の出血をしていた。相手は大丈夫だろうか。事故を起こしたばかりだというのになぜか冷静で、相手の心配をしていた。車を降り、軽トラックへ近づく。
「大丈夫ですか?怪我はないですか?」
頭から血を流した自分が言うのも変な感じがしたが、なんだろう社交辞令的な。
でもその人は何も言わない。ただボーッと前だけ見つめて口をパクパクさせている。見た目にして五十代くらいだろうか。とくに怪我をしていないようで安心する。
「あのー。大丈夫ですか?」
再度問いかけるが事故のショックなのか目の焦点があっていない。
「戻ってきたのかーー!!どうしてだーー!!」
その人は突然叫びだした。
あれ?この人ちょっと危ない薬でもやってるのか?そんな不安が頭をよぎる。
すると突然その人が車を降りて走り出した。
「え!?待って!!警察呼んで事故の処理!!」
俺もそう叫びながらその人を追いかけて走り出した。追いかけたはいいもののその人足が速いようで全然追いつけない。十分くらいだろうか。走り続け限界が近づいてきた。すると突然足が軽くなり自分の意思とは関係なく足が動くようになった。さっきのおじさんが近づいてきた。
「おじさん!!警察!!」
そう叫ぶ俺におじさんは振り返りこっちを見た。
「なんでお前なんだ!!俺も連れていけ!!」
突然おじさんがこっちに向かって走ってきた。その剣幕は凄まじいものでかなりの恐怖を感じた。しかし俺の足は止まらない。寧ろどんどんスピードがあがっていく。
「え!?俺こんなに足速かったか!?」
そう口にした瞬間、俺は物凄い跳躍力をみせた。
そのおじさんを飛び越える。
景色が目まぐるしく変わっていく。
途中でどこかの家の屋根を蹴り、まるで空を飛んでいるように進んでいく。
気がつけばどこかの山のなかに立っていた。
「ここどこだ?」
何が起こったのか自分でも全くわからなかった。ただわかるのはジャンプした時の景色の流れ方からするとかなりの距離を移動したということだった。
「寒い。」
出血のせいかかなりの寒さを感じた。俺はとりあえずどこか休める場所を探して歩き出した。
どれくらい歩いただろうか。見知らぬ山の中を歩き続け俺の疲労は限界に達していた。
『このまま死ぬんだろうか。』
頭からは未だに生暖かいものが流れてくるのを感じていた。そして異常なまでの眠気が襲ってきていた。
寝てしまおう。そう思いはじめた時、目の前に大きな洞窟が現れた。
「もうあそこで寝よう。」
俺は最後の力を振り絞ってその洞窟に向かった。
その洞窟の中は絶えず風が吹き抜けていた。
しかし寒さは感じず寧ろ暖かい。奥から暖かい風が吹いてきていた。もっと暖かい風にあたりたい。
その一心で洞窟の奥へ奥へと這うように進んでいった。
気がつけば頭の出血はとまっていた。それに体が軽くなり、暖かい風に誘われるようにまた歩き出していた。
突然の目映い光。その光に目をつぶる。
目を開けると太陽の光。
「なんだこれ?」
後ろを振り返るとどうやら洞窟を抜けたようだった。
下に広がるのは山々に囲まれた大きな湖と何かの植物でできた家のようなもの。
どうやら集落があるらしい。
「助かった。あそこで休ませてもらおう。」
俺は猛ダッシュでその集落へ向かった。
集落へ近づくにつれてなにか生臭い匂いが鼻につきはじめる。そのあまりに不快な匂いに顔をしかめる。
なにかが腐ったような何とも言えない匂いだ。
草を掻き分けながら先へと進むと開けた場所に出た。
「港?みたいなものか?」
石造りの港のような場所だった。その港には木でできた船が何隻も並んでいた。
そこで気がついたのだが上では湖に見えていたが湖というより沼と言った方がしっくりくる汚い水が溜まっているということだった。
「あれ?モナシかい?」
沼を見ていた俺は人がいたことにかなり驚いた。
「誰だ!?」
振り返ると顔に緑のコケが生えたおじさんが微笑んでこちらを見ていた。
「モナシは最初皆同じ顔をするから面白い。」
おじさんは本当に可笑しそうにこちらを見ながら笑っていた。
日本語で話している。
悪い人?にも見えない。しかしコケが生えている時点で普通の人間ではない。
「失礼しました。私は森山と申します。この地には初めて参りました。よろしければここがどこか教えていただけませんか?」
俺はその人を刺激しないようにできるだけ笑顔で丁寧にたずねた。
「ここは希望の沼。そう言ったのはモナシだべさ。」
おじさんは少し不思議そうに答えた。
「希望の沼?あの映画の?」
わけがわからなかった。
俺は今あのポスターに書いてあった希望の沼にいるらしい。
「エイガ?なんだい?それは?」
おじさんはまた不思議そうに言った。
「あ。いえ。こちらの話です。それよりあなたのお名前とこの希望の沼について教えていただけませんか?」
俺は動転する自分をおさえてまたできるだけ丁寧にそうたずねた。
「名前は沼田茂夫。ここは・・・そうだなぁ~。何が聞きたいんだい?」
おじさんは沼田さんというらしい。意外と普通の名前だ。どうやら日本人?なのか?
「そうですね~。まず沼田さんの顔の緑のものはなんなんですか?」
聞きたいことが山ほどあるが顔にコケという異様な光景について知りたかった。
「ははは。沼田さんなんて他人行儀な呼び方じゃなくて茂ちゃんでいいよ。皆そう呼んでるし。これはモナが言うにはコケというらしいよ。ここの人たちは皆生まれた時からはえてるから気にしたことないな~。」
やっぱりコケなのか。
でもそんなことより気になったのは・・・
「あの。さっきからそのモナシというのはなんですか?」
「モナシはあんたみたいなのをいうんだよ。」
ということは普通の人間がモナシなのか。
モナシ?モナシ・・・藻・・・無し・・・?まさかな。
「あの。モナシとはどのような意味なんですか?」
「百年くらい前に来たモナシがうちらの顔をみてモ!モ!モが生えてる!って叫んでたからじゃああんたはモナシだべってさ。おらがつけたんだ。」
なんだそのネーミングセンスは。色々突っ込みたいことはあるが・・・
「百年!?あの失礼ですがおいくつなんですか?」
「たしか今年で1523歳だったはずだよ。」
1523?わけがわからなすぎて俺は黙りこんでしまった。するとおじさんがまた口をひらいた。
かっ
「1000年くらい前はモナシが住んでるとことこっちを行き来できたんだけどね~。地震で洞窟が崩れてこっちから行けなくなったんだよ。」
地震?洞窟が崩れた?どういうことだ?だって・・・
「私は洞窟を通ってきました。今はまたその洞窟から行き来できるってことですよね?」
「ははは。モナシの住んでるところからならこっちに来れるみたいだけどこっちからは行けないよ。」
「は!?なに言ってるんですか!?そんなことあるわけないじゃないですか!」
「じゃあ行って確かめてごらん。」
俺明日は取引先に謝りにいかなきゃいけない!帰れないなんて絶対ありえない!もし帰れなければ上司に大目玉どころか・・・。
俺は猛ダッシュで来た道を戻った。
「嘘だろ!?」
通ってきたはずの洞窟は確かに崩れていた。それどころか・・・
「洞窟だったことすらわからないじゃないか!!」
俺が歩いたはずの洞窟はもはやただの岩の壁となっていた。
「だから言っただろう?モナシがそんなに走ったら疲れただろうに。家で休んでいきなさい。」
いつの間にか沼田さんが俺の後ろに立っていた。
「沼田さん!?いつの間に!?」
俺はかなり本気で走ってきた。そして沼田さんが追いかけてきた気配もなかった。
「はははは。モナシが急いだってうちらが歩いているのと変わらないからね。ほら行くよ。」
沼田さんがそう言うと俺を片手で軽々と抱え、気がつくと民家らしきものの前にいた。
「え?ここはどこですか?」
「おらんちだ。」
沼田さんの家?俺は洞窟の前にいて・・・。
そんなことを考えていると沼田さんが口をひらいた。
「モナシの身体能力はうちらの一万分の1にも満たないって誰か言ってたな~。うちらの子供と変わらないって言ってたからそんなもんなんだろう。」
一万分の1?子供?そんなことありえるのか?俺は大人だぞ。でも俺は沼田さんに抱えられて気がつけばここにいた。信じられないが信じないわけにもいかない。
「そうなんですか・・・。運んでもらってありがとうございました・・・。」
すごく不思議な気持ちだったが取り敢えず御礼を言う。
「いいんだよ。モナシは軽いから。そんなことより早く家に入りなさい。」
軽い?体重も一万分の1ってことか?ここまできたら全く驚かない。体格は変わらないが他の全てにおいて一万倍と考えればいいってことか。脳内変換が慣れないがとりあえず納得できる指針を見つけて俺はなんとなく安堵した。俺はどうなるんだろうか。ふとそんなことを考える。とりあえず沼田さんにお世話になろう。
「おじゃまします。」
俺は沼田さんの家に足を踏み入れた。家の中はかなり広く昔教科書で見た縦穴式住居?みたいな感じだった。奥には部屋がある。あれ?沼田さんは奥の部屋に行ったのか?その奥の部屋から誰かが歩いて出てきた。
「あらいらっしゃい。またモナシの方かしら?」
奥からは女性が出てきた。沼田さんの奥さんなんだろう。当たり前だが奥さんもまたコケが生えている。そんなことよりまたということは・・・
「すいません奥さん。お邪魔いたします。またということは以前にもモナシが来たということでしょうか?」
「ええ。つい先程までいらっしゃいましたよ。」
つい先程まで?ということは俺の他にも誰かここにいるのか。
「あの。その人は今どこに?」
俺はその人に会いたくなった。俺の他にも仲間がいるというのは心強い。
「それがわからないのよ。いつの間にかどこかに行ってしまったの。心配だわ。」
行方不明か。その人はこんなところにいて心が病んでしまったのではないか。だから・・・。俺も早く戻らなければ。
その時俺はあの事故を思い出した。戻ってきたのか。確かにあの人はそう言った。
「あの。もしかしてその先程までいらっしゃった方は頭の毛が薄い髭の濃い五十代くらいの男性ではないですか?」
俺は少い情報ではあるが覚えている限りの情報を彼女に伝えてみた。
「ええ。そうよ。あなたが知っているということは戻られていたのね。安心したわ。」
やはりそうか。ということは戻る方法はあると言うことだ。俺は微かな希望をみた。
「その人がどうやって戻ったのか知りませんか?」
もしかしたら奥さんは戻る方法を知っているかもしれない。
「 いいえ。知りません。ごめんなさいね。」
奥さんは本当に申し訳なさそうにそう言った。
「そうですか。じゃあその人が戻る前にしていたことを教えてください!」
なにかヒントがあるかもしれない。藁をもすがる思いでそうたずねた。
「たしか網の修理を手伝ってもらっていましたよ。モナシの方は手先が器用だから。」
「私にも手伝わせてください!」
俺はくいぎみでそう言った。
「残念だけど網の修理は戻る方法とは関係ないと思うわ。」
「なぜですか?もしかするとそれが関係しているのかもしれないじゃないですか!!」
俺は声をあらげてしまった。すると奥さんが口をひらく。
「実は私も元々モナシなの。もう八十年になるかしら。何度も網の修理をしているけれどここにいるの。関係ないでしょ?」
元々モナシだって?ふざけるのもいい加減にしろ。だって・・・
「コケが生えているじゃないですか!モナシはコケが生えていないからモナシなんですよね?冗談はやめてください。」
俺はあからさまに不機嫌な態度をとってしまった。もしそれが本当なら・・・。
「冗談ではありませんよ。信じられないかもしれませんが戻れない可能性もあります。」
奥さんのその言葉は俺の胸に深く突き刺さった。なにが希望の沼だ。絶望しかないじゃないか。
「奥さん。心中お察しします。ここで八十年なんて考えただけで・・・。」
それ以上は言えなかった。もしかしたら俺もそうなるかもしれないからだ。
「私は今更戻りたいなんて思っていませんよ。最初はあなたのように戻りたいと思っていました。だけどここの良さに気がつけばそんなこと全く考えなくなりました。」
彼女は本当に幸せそうな笑顔でそう言った。
ここの良さ?こんな腐臭のするコケが生えた異常な集団の世界のどこに良さなんかある。
「俺は早く帰りたいです・・・。帰らなければ会社を首にされてしまいます・・・。」
俺は彼女のようにはなれないと心からそう思った。
「会社。懐かしい響ね。私も昔は働いていて大学で経済学を教えていたの。本当に懐かしいわね。」
「大学教授ですか。優秀なんですね。」
「そんなことないわよ。たまたま運が良かっただけよ。私より優秀な人なんていっぱいいるわ。」
少なくとも俺なんかよりは優秀だろう。それによく見ればコケの下の顔は整っていてかなりの美人だろうと思う。この人は輝かしい人生をおくっていたのだろう。
「あの奥さん。なぜ戻りたいと思わないのですか?」
少し冷静になった俺はそれが気になりだした。
「そうねぇ。戻ったとしてもいいことないじゃない?」
こんのところにいた方がいいことないだろう。
「ここに愛着がわいたってことですか?」
「ふふふ。違うわ。戻ったとしてもまた毎日仕事して稼いだお金でご飯を食べる。その生活が続くだけ。そんなのつまらないじゃない?」
つまらない?皆そうやって生活しているだろ。そのなかで趣味や遊び、そして結婚して幸せにくらしているんじゃないか。
「毎日が楽しくなかったってことですか?」
「それも違うわ。同じような毎日の中にも楽しいことはたくさんあったわ。結婚して子供もできて。幸せだって思うこともいっぱいあったわ。」
ではつまらないとはなんのことだろう?俺の頭では理解ができない。
「なにか不満があったということでしょうか?」
「不満と言うならそうなのかもしれませんね。例えば仕事ね。あなたはどうして仕事をしていますか?」
仕事をする理由?そんなこと考えたこともなかった。ただ毎日山のような書類を片付けるのに精一杯だったような気がする。でも・・・
「仕事は生活のためにしています。お金を稼がなければ生活できませんから。」
「そうね。私もそう思うわ。でも私はお金なんてあっても良いことなんてなにもないと思うの。」
彼女の言いたいことが全くわからない。俺は生活できない方が嫌だと思う。
「どういうことでしょう。私には全く理解できないのですが。」
「嫌気がさしていたんでしょうね。私や旦那がどんなに働いてもほとんど税金でしょ?生きているだけでお金がかかる。そんなのおかしな話じゃない?」
その気持ちはわからないでもないがそれが普通だ。お金があって税金があってそれで世の中がまわっている。
「みんなそうやって生きているんです。国民が税金を払って世界がまわっているんです。」
「ああ。ごめんなさい。私は税金を払うことが嫌だったわけじゃないのよ。嫌になったのはその存在自体なの。そういうものがあるから人はどんどん淀んでしまうと思うの。」
俺はたちの悪い宗教を聞いているような気分になった。言いたいことはわからないでもないが。
「気持ちはわかりますがみんな財をなすことを目標に仕事をしていると思います。」
「そうね。でも私はここに来てその世界が嫌になってしまったの。ここはお金っていう概念がないの。皆で協力してその日その日で生活をしていくの。だからここの人は皆穏やかなのよ。」
金と権力がない世界か。確かに考えさせられるものがあるかもしれない。
「佳奈子。またモナシ同士で難しい話しをしているのかい?モナシは頭がいいからなぁ~。」
ようやく沼田さんが奥から出てきたようだ。奥さんは佳奈子さんというらしい。そして奥さんがモナシだったというのは本当だったらしい。頭の中で情報を整理しながらふと目線をあげると・・・
「沼田さん!なんですか?その格好は?」
会った時は普通の服だった沼田さんの今の格好は腰になにかの植物を巻き、籠のような物を背負い頭にはなにか丸い皿のような物をのせている。
ほとんどなにも隠れていないためコケが身体中に生えているということが今わかった。
「ん?あぁ。これは漁に出るときの格好だよ。今日はおらと隣の山ちゃんの当番だから。」
当番?漁は当番制なのか。
そしてあんな沼で獲る魚はさぞ不味いものなのだろう。ふとそんな事を考えた。
「沼田さん。私にも手伝わせてください。」
沼田さんのお世話になりっぱなしじゃいけないと思ったしここで捕れる魚を見てみたいと思った。
「駄目駄目。モナシじゃ網引けないから。それなら子供たちと遊んでやってくれないかい?」
そういえばモナシは力がないんだっけか。実感がないが言われたことに従うことにした。
「わかりました。その子供たちというのはどこに?」
「もうすぐ来ると思うよ。皆モナシと遊ぶのを楽しみにしているから。じゃあ行ってくるね。」
そう言うと沼田さんは漁に出掛けてしまった。相変わらず俺の目に止まらぬスピードで。
前にいたモナシのおじさんも子供たちと遊んでいたのだろうか。
しばらくすると外からぱたぱたと走る音と共に何人もの透き通った声が聞こえてきた。
「モナシのおっちゃん!遊ぼ~!!」
ぞろぞろと五人の子供たちが沼田さんの家に入ってきた。男の子が三人に女の子が二人だ。
「あれ?おっちゃんは?お兄ちゃん誰?」
子供たちはキョロキョロと周りを見渡している。よく見ると大人より子供のほうが鮮やかな緑のコケが生えていて量も多いように見える。
「ごめんなさいね。おじさんは帰っちゃったみたいなの。」
奥さんが子供たちにそう言うとえ~とかなんで~?とか子供らしい非難の言葉を発する。その様子はとても微笑ましく見えた。
「じゃあお兄ちゃん遊ぼ!」
一人の男の子が俺の手を掴んでそう言った。その力は強く本当に大人に掴まれているような感じだった。
「よし!なにして遊ぼうか。」
俺がそう言うと子供たちは皆本当に嬉しそうに近寄ってきた。
「じゃあお相撲!!」
俺の手を掴んだ男の子が元気よくそう言った。
「いいよ。じゃあお相撲しようか。」
相撲か。相撲なんて何年ぶりだろう。
「やった!じゃあお外行こう。こっちだよ。」
俺は子供たちにぐいぐい引っ張られながら走った。
やはり足も速い。ついていくのにやっとって感じだ。
でもなんだか童心に帰ったようで俺も楽しい気持ちになっていた。
「兄ちゃんこっちこっち!」
俺は子供たちに小高い丘の上に案内されていた。頂上には円形の砂場があり、土俵のようになっていた。森の中にあるその空間はあの沼からは距離があるようで空気が澄んでいる気持ちのよい空間だった。
「気持ちいい場所だね。秘密基地かな?」
「うん!おっちゃんにしか教えてなかったけど兄ちゃんも特別だよ!」
特別特別~と子供たちは嬉しそうに笑っている。その姿は本当に可愛らしく、子供たちの純粋さに穏やかな気持ちになっていた。
「あ!!お兄ちゃん!!!」
するとさっき俺の手を掴んだ男の子が驚いた声をあげた。その声で他の子供たちも何かに気がついたのか、わぁ!と声をあげて俺の顔を見上げている。
「え?どうしたの?兄ちゃんの顔になんかついてる?」
そう言いながら自分の顔に触れる。
顎の辺りに何か湿った柔らかい物がついている。
子供たちはキラキラした目で俺をじっと見つめている。
「なんだこれ。」
そう言ってその顎についた物を取ろうと試みるがそれを引っ張ると顎に鈍い痛みを感じた。
髭が伸びてきたのだろう。一瞬そう思ったがすぐに違和感をおぼえる。
「お兄ちゃんもずっとここにいるんだね!」
女の子が元気よく、そして嬉しそうに言った。
他の子たちも嬉しそうにワイワイと盛り上がっている。
子供たちの反応とあの違和感から自分にもコケが生えたのだろうという事は容易に想像がついた。でも不思議と嫌な感じはしなかった。寧ろ少し安心していた。
「そうだね。ここでこうして皆と一緒に遊ぶのもいいかもしれないね。」
「うん!いっぱい遊ぼう!!」
本当にここの子供たちは元気が良く純粋だ。
俺は都会での生活に疲れていたのかもしれない。自分の居場所というものがここにはあるのかもしれない。
「兄ちゃんお相撲!!」
「よし!手加減しないからな!」
のこったの合図で組み合う。何故だか身体が軽く力が入る。俺はあっという間に男の子を倒していた。
「うわ~。兄ちゃん強すぎ!!もう一回!!」
その後何度やっても俺が勝った。当たり前と言えば当たり前なのだが元々力の差なんてなかったはずだ。もしかしたらこのコケが生えたせいなのかもしれない。そんなことを考えながらひたすらに相撲をとり続けた。
気がつけばすっかり日が傾いていた。
俺は夕日を見ながら腰をおろした。
「兄ちゃんまたお相撲しようね!」
皆がワイワイ騒ぎながら俺の周りに座った。
「そうだね。また遊ぼう。それより自己紹介がまだだったよね。兄ちゃんの名前は森山徹。皆の名前も教えてくれるかな?」
「えっとね!僕はショウゴ!」
最初に俺の手を掴んだ男の子がショウゴ君か。
「僕はユウヤ。」
「僕はタツキ!」
「私はレンカ。」
「私はユノ!」
俺にずっとここにいるんだねと声をかけた女の子がユノちゃんね。
それにしても何故か名前は普通なんだよな。覚えやすくていいけど。
「皆よろしくね。よし!もう暗くなるしそろそろ帰ろうか。」
皆残念そうにしているが『は~い。』と素直に言うことを聞いてくれた。
帰り道も皆でおいかけっこしながらワイワイと騒ぎながら明日も遊ぶ約束をして家路についた。
「沼田さん。奥さんただいま戻りました。」
自然と口をついて出た言葉だったが沼田さんも奥さんも笑顔でおかえりと言ってくれた。
「子供たちと遊んでくれてありがとう。疲れただろう。今日は大漁だったからいっぱい食べよう。」
沼田さんの前では魚が焼かれていた。部屋の隅に目をやると本当に大漁だったらしくたくさんの魚が無造作に置かれている。その魚はあの汚い沼でとれたとは思えないほどキラキラと焚き火の光に照らされていて、見た目は秋刀魚に似ていた。
「いい臭いですね。頂いてもよろしいんですか?」
「当たり前だろう?さぁ早くこっちにきなさい。魚が焦げてしまうよ。」
沼田さんは本当に優しい笑みを浮かべている。薄暗い部屋の中は電気はないがとても暖かい。
「ありがとうございます。いただきます。」
箸もないみたいで手掴みで魚を食べる。その魚は一口食べると止まらないほどの美味しさだった。
「さぁできましたよ。これも食べてくださいね。」
奥さんが何かの植物の葉の上に芋を潰したようなものを出してきた。これが主食なのだろう。
「すいません。奥さん。いただきます。」
「たくさん食べてくださいね。あら?」
奥さんは俺の顔に生えたコケに気がついたようでずっと俺を見ている。
「私もコケが生えたようです。そのせいかわかりませんがとても力が入るんです。」
「ということは森ちゃんもここに残るのかい?」
森ちゃんって・・・やっぱり沼田さんのセンスは微妙
だな。俺は密かにそう思った。
「コケが生えるとここにずっといるということになるのでしょうか?」
俺は森ちゃんというあだ名には触れずにそう問いかけた。
「わからないわ。でも私はコケが生えてここに残っていますよ。」
奥さんの存在は確かに説得力があった。
まぁ今の俺は絶対に戻りたいという意志がないのだからどちらでも良い気がする。
こっちで子供たちと遊んでいた方が穏やかに暮らせるのかもしれない。
「奥さん。先程奥さんがおっしゃっていたここの良さ。少しわかった気がします。」
「そうですか。それでコケが生えたのかもしれませんね。」
奥さんは嬉しそうに微笑んでいる。
「森ちゃんはこっちが気に入ったのかい?それならおらの家は子供がいないからおらの子供になればいい。」
急にとんでもないことを言い出したがこれも沼田さんの優しさなんだと思うと悪い気はしない。
「沼田さん。お気遣い感謝します。」
沼田さんは、まったく他人行儀なんだからとブツブツ文句を言っていたがこれからもしばらく沼田さんの家にお世話になることになった。
夕食が終わるとすぐに寝ることになった。俺は奥の部屋に案内された。奥は3部屋あるようで沼田さんと奥さんの寝室、物置、客室らしい。
客室にはもう布団というか植物がひいてあり、寝転ぶとなかなかの寝心地ですぐに寝てしまった。
次の日、カチカチという音で目が覚めた。
どうやらこの音は茶の間から聞こえてきているようだ。茶の間に行くと奥さんが石と石を擦りあわせていた。
「奥さんおはようございます。」
「あら。おはようございます。起こしてしまったかしら?ごめんなさいね。」
「いえ。大丈夫です。火打石ですか?私がやりますよ。」
ここは男の俺の見せ場だ。
「ありがとうございます。でもこの石はモナシの方では難しいと思いますよ?」
「大丈夫です。やらせてください。」
俺にもプライドがある。
半ば強引に奪ったような感じになったが俺は本気で石と石を擦りあわせた。
するとガチンという物凄い音とともに火花が飛び、火がついたのはいいが、持っていた石が粉々になってしまった。
「すいません。」
俺は慌てて謝る。
「いえ。石は直ぐに手に入るので大丈夫です。そんなことより昨日言っていた力が入るというのは本当だったのですね。」
「ええ。昨日子供たちと相撲をしているときに気がつきました。」
ドタドタと音がしたと思ったら沼田さんが慌てて奥から出てきた。
「今の音はなんだい?二人とも怪我はないかい?」
どうやら先程の音に驚いて飛び起きてきたようだった。
「沼田さんすいません。」
沼田さんは俺の足元に転がる火打石の残骸を見て察してくれたようだった。
「今の音は森ちゃんかい。怪我してないかい?」
「ええ。すいません。少し力を入れすぎたみたいで。」
沼田さんは安心したようで、そうかいと言い、欠伸をしながらまた奥の部屋に戻って行った。
「すいません。私も邪魔しないように部屋に戻ります。」
俺は居たたまれなくなってそう言い残し足早に客室に戻った。
しばらくすると奥さんが俺を呼びにきた。
「朝御飯の準備ができましたよ。」
「ありがとうございます。すぐに行きます。」
茶の間に行くと既に沼田さんが座っていた。
朝のこともあり、気まずい。
「沼田さん先程はすいません。」
「ん?火打石かい?大丈夫だよ。そんなことより今日は竹ちゃんと漁の当番を変わったのを思い出してね。今日も漁をしに行くけど一緒に行くかい?」
「よろしいんですか?」
昨日は網をひけないからって断られたよな。
「朝の森ちゃんの力があれば大丈夫だよ。」
「是非手伝わせてください。」
俺は沼田さんに認められたことが嬉しかった。
朝御飯を食べ、俺は沼田さんと一緒に昨日見た漁の格好に着替えた。これなら何も着ないのと変わらないと思ったが漁に行く楽しみでそんな想いはかき消された。
「似合っているよ。それじゃあ行こうか。」
沼田さんは嬉しそうにそう言った。
「はい。ご指導よろしくお願いします。」
「そんなに堅くならなくても大丈夫だよ。じゃあ佳菜子行ってくるよ。」
「気をつけて行ってきてくださいね。」
沼田さんと共に家を出る。
昨日は目にとまらない程のスピードだと思っていた沼田さんが今は普通に見える。
途中、崎ちゃんと沼田さんが言っていたがもう一人の漁当番の人と合流してあの沼に向かう。
沼に着くと沼田さんと崎さんが2隻の船の準備を始める。それぞれに網とかなり長い木の棒が積まれている。
「じゃあ森ちゃんはこっちの船に乗ってこの棒で水面を叩いてね。」
沼田さんは木の棒を俺に手渡してきた。
「これで魚を追い込むってことですか?」
昔の漁法としてテレビで見たことがあるような気がする。
「そうだよ。船の上から水面を叩いて魚を岸まで追い込んで網でつかまえる。さぁ始めようか。崎ちゃんもよろしくね。」
崎さんは笑顔で俺に頑張ろうねと言ってくれた。
本当にここはいい人ばかりなんだと思った。
バシャンバシャンと俺は懸命に水面を叩く。
沼田さんは船を巧みに漕いで操っている。崎さんは船を漕ぎながら水面を叩くという高度なことをしている。
沼の真ん中辺りから岸に向けて魚を追い込んでいく。
水面を叩くのはかなり大変で段々と手があがらなくなってくる。
「森ちゃん。疲れたかもしれないけどもう少しだからがんばって。」
「はい。頑張ります。」
水面を叩くことに集中し過ぎていたのだろう。
グラッと船が揺れた。水草に乗り上げたみたいだった。その衝撃に俺はバランスを崩して沼に落ちてしまった。
「森ちゃん!」
泳ぎは得意だったはずの俺だが全然身体が浮かない。どんどん沈んでいく。
俺は懸命に水面に上がろうともがいた。
するとすぐに沼田さんに手を掴まれた。
安心したのも束の間。今度は俺をなにかの光が包み込む・・・・・・
「なんだ?」
気がつくと見慣れた景色。俺の家の前だ。
昨日事故を起こした交差点。
俺は沼田さんと漁をしていたはずだ。そして沼に落ちて・・・
俺の今の格好も漁の・・・スーツに戻っている。
胸ポケットに入っているスマホを見ると着信が54件。会社と親からだった。
とりあえず落ち着くために自宅に戻ることにした。
「よくわからない。なにが起きた?」
ソファーに座りテレビをつける。時刻は朝の8時。テレビではニュースがよまれていた。
『さて、日本映画が国際映画祭で賞を受賞しました。沼田茂夫さん原作の希望の沼が・・・』
俺はそのニュースを食い入るように見た。原作者が沼田茂夫。あの世界を知っているとしか思えない。
『本日午前9時沼田茂夫さんが帰国次第記者会見を開くもようです。』
9時。俺はどうしても話を聞きたくなった。
そしてあわよくばまたあっちに戻りたい。
俺は家を飛び出し、本気で走った。
ふと横を見ると車より早く走っていたようで運転手がギョッとした顔でこっちを見ていた。
空港まで走っている最中、どんどん身体が重くなっていき、到着する頃にはゼェゼェと肩で息をしていた。
空港ではカメラとマイクを持った記者と出待ちのファンと警察、警備員がたくさんいた。時刻は8時57分。間に合ったようだ。
するとワァーっと空港が盛り上がり、カメラのフラッシュが一斉にたかれる。
俺は話を聞きたい一心で沼田茂夫と思われる男に近づいていく。向こうも俺に気がついたようで少し驚いた顔をしている。
警備員二人が俺を押さえようと低い体勢で突進してくる。俺はそれぞれを片手で押し退けて沼田茂夫に向かって歩く。
「君とまりなさい。これ以上近づくな!」
周りの警備員や警察が声をあらげているがそんなことはどうでもいい。やっとの思いで沼田茂夫の側まで来た。
「おや。随分強引なファンがいたんだね。」
沼田茂夫は微笑みながらそんなことを言う。
「ファン?なにを言っている。あんたは希望の沼を知っている。あの場所はなんだ?どうやったら戻れる。」
すると沼田茂夫は声を出して笑いだした。
「希望の沼を知っている?それは私が考えた架空の世界だよ。そうだなぁ。戻りたいなら映画館にいきなさい。」
「ふざけるな。お前が考えた架空の世界?お前も希望の沼に行ったことがあるんだろ。その沼田茂夫って名前も腹立たしい!」
俺は沼田茂夫につかみかかった。すると小さい声で沼田茂夫は呟いた。
「さすがに力が強いな。希望の沼は楽しかったかい?」
やはりこいつはあの場所を知っている。
「君!いい加減にしなさい!」
今度は四人の警備員が俺のまわりを取り囲む。
「うるさい。俺はこいつに用があるんだ!」
俺は周りの警備員全員を殴り飛ばした。
するとキャーという声があがり、数十人の警官が警棒を持って走ってきた。
「動くな!傷害の現行犯だ!」
警官たちが飛びかかってくる。
俺は逃げようとしたが何故か身体が重くなっていてあっけなく警官に押さえつけられていた。
冷たい金属が手首にはまる。
俺の人生は終わったようだ・・・・・・
『次のニュースです。小説家の沼田茂夫さんが空港で男に襲われました。警備員の男性4名が鼻の骨を折るなどの重傷で沼田さんに怪我はありませんでした。警察の調べに対して男は希望の沼に関して沼田さんに話を聞きたかったと話しているもようです。この件に関して沼田さんは私の作品に心酔していただけるのは嬉しいですが暴力は良くない。私の作品でこのような事件が起きるのは悲しいとコメントをだしています。』
読んでいただいてありがとうございます。
始めて書いた小説で読みにくいところや誤字脱字が多々あったと思いますが、これからも書いていきたいと思っているので応援よろしくお願いします。