薄暗い廊下
無趣味だったオッチャンがある日、山登りを始めた。間近に迫った定年退職後の趣味を作るとかなんとか。
若い頃に空手をやっていて体力に自信があったり、生来の負けん気の強さが災いしたのか。何度目かの登山中に肺炎をこじらせて山小屋で散々苦しんだ末、肺に水が貯まっているとかで救急搬送され、そのまま入院することになった。
「医者がさ、山登りだけじゃなくて、酒も煙草もやめろって」
「あぁ、それが良いんじゃないの?」
「お前まで同じこと言うのか」
「そりゃ、まぁ…… フツーそうでしょ。しばらく大人しくしておきなよ。もう良い歳なんだから」
オレ以外に見舞客が訪れた気配はなかった。少し前に、オッチャンの家族は住まいを別にしていた。
入院費用を生命保険会社に請求する時、自分に掛けられている死亡保険金が奥さんによって何倍にも引き上げられていることに、オッチャンは気付いたらしい。
四人部屋の窓際のベッド。苦笑いするオッチャンの肌は妙に乾いていて、髪にも銀色の物が随分と目立っている。
面会時間後、消灯されて薄暗い病院の廊下。
会ったこともないオッチャンの奥さんの姿を思い浮かべて、オレは思いつく限りの罵詈雑言を浴びせた。