特別な演奏会
何の曲だろうか?
楽譜を見ると「チャールダーシュ ヴィットーリオ・モンティ」と書かれていた。
ゆったりとした重い曲調で始まる。どこか哀愁を感じさせるような、落ち着いたメロディ。どうしてこの曲を選んだのだろうか? 考えていると途中から流れから変わって、跳ねたり跳んだりとても楽しそうな曲調になった。
まるでダンスをしているような鍵盤を叩くというより弾いているような感じがする。指がこれでもかというくらい速く動いている。この曲に合わせて志村さんと踊ったら楽しいだろうか? 志村さんが演奏しているのでそれはできないけど。間奏を挟んで、誘われているような気分になる。高音の優しい音が子守歌の様に囁く。
ほんの5分ちょとの曲だったが聴いていて楽しかった。
「チャールダーシュはね。昔のハンガリーにあった酒場で兵士を募集するために踊っていたところから始まるの。沢村くんは兵士じゃないけど、私と一緒に演奏してくれるために来てくれたのかな?」
志村さんは語り掛ける様に言っている。まるで僕がそこにいるかのように話しかけられると胸が苦しくなる。志村さんを一人にしてしまったという気持ちが辛かった。
「次はね、聴いてるとなんだか哀しい気持ちが暖かくなったりして好きな曲。ドボルザークのユーモレスク 第七曲」
志村さんは鍵盤に手を乗せて引き始める。
ゆっくりと弾くように、流れる様な音。途中曲調が変わって少し哀し気な曲調に変わる。短調というのだろうか? これは僕が死んだことに対する哀しみを表現しているのだろうか? 再び明るい曲調に戻っていく。哀しみを乗り越えた? そういうイメージなんだろうか? 確かに聞いていると暖かい気持ちになれそうだと思った。
「ユーモレスク自体にそんな意味は込められてないとは思うの。直訳すると道化とかそう言う意味になるし、小品っていうピアノのための短い楽曲。形式に縛られない自由な奇想曲。だから曲を聴いて感じるイメージも自由だと思ってるわ。私はこの曲を聴いていると落ち着いた気持ちになれる。暗い気持ちも明るくしてくれるような気がするの」
志村さんは穏やかな表情で遠くを見つめていた。
ピアノから離れてマグカップを入れていた棚へ移り二つ取り出す。お茶を淹れて片方は僕の前においてくれた。
「ユーモレスク弾いたから、暗い気持ちでいたのがバレちゃったかな? でももう明るくなってきた。音楽の力は偉大ね」
暗い気持ちという言葉を聞いて胸が苦しくなる。でもユーモレスクを聞いて明るくなったという。本当に? 音楽の力で暖かくなれている。僕は君の側にいるからこんなにも落ち着いていられるのだと思う。志村さんは気付いているのだろうか?
僕はマグカップを手に取って飲みたかったが、それは出来なかった。マグカップの中に入っている紅茶の水面はただ静かに正面に座る志村さんを写していた。
少し休むと志村さんはまたピアノの前に戻っていく。
「特別よ」
そう言って、初めてここで聞いた曲を弾き始めた。「曲名はまだ無いの」そう言っていた曲を聴くのはこれで何度目だろうか? 曲名は決まったのだろうか? 流れる様な音を聴きながら今度は最後までちゃんと聴いていたいと思っていた。
僕は椅子に座り志村さんの演奏を聞いている。
気付くとフォニックの姿がピアノの上にあった。
お前に任せたよ。
僕はフォニックに軽く手を振る。
彼はこちらに気づいたのか目線が合う。
すぐに違う方向を向いてしまったが最後に僕にハンドサインを返してくれたように見えた。
彼なりの挨拶なのだろう。
椅子に座って聴いている。
お茶を淹れて飲めないのが残念だ。
もたれ掛かって眼を閉じて聴く。
その時、ドンとした衝撃が頭にきた。
殴られたのとはまた違う感覚。
ただ目をパチパチとして目の前の光景が霞んで薄れていくのが分かった。
「あぁ、やっぱり俺は死んでいたのか」
せめて最後まで聴きたかったな……。
そう思うが自分の存在がどんどん薄れていくのが分かる。
手が、足が、感覚が、そして意識がどこか薄くなる。どこか遠くへ行くのだろうか?
これから安らかな眠りにつくのだ。そう思い、目を閉じて頭の中を整理しようとする。
浮かんでくるいろんな思い出ともやもやとした記憶の中へ自分を委ねていった。
自分の体のいろんな感覚が失われていくような気分、死ぬ感覚とはきっとこういうものなのだろうと思った。特に信仰心は無かったが手を合わせるふりでもして祈りでも捧げてみようか?
何もない空間。死後の世界というものはいったいどんなものだろうか?
僕は志村さんのピアノを聴きながら再び意識を失っていった。




