曲名
ドアを開けて音楽室の中へ入る。
外が寒かったのだろうか? 部屋の中の空気が少し暖かい。
開けたからにはただ立ち止まっているわけにはいかない。
中に入り、奥にあるピアノの方へ近づきながら話しかける。
「こんにちは、素敵な曲ですね。思わず聞き入ってしまいました」
ピアノの陰に隠れていた顔が見える位置までくるとショートカットのちょっと落ち着いた雰囲気のする女性が現れた。
見た目から学年は一緒か上級生だろうか?
偏見かもしれないが落ち着いた雰囲気からして下の学年ではなさそうな感じがする。
彼女もこちらの方に顔を向けていた。
誰かが聞いていた事に驚いたのか、褒められて恥ずかしいのか少し顔を赤らめて
「素敵だなんてありがとう。いつから聞いていたの?」
と言った。
僕はその表情をみて胸の鼓動が早くなる。
ただでさえ、中に入るだけでもドキドキし続けているのだ。それでも不審者にはなりたくないので必死に平静を装いながら彼女の問いに答える。
「ほんのちょっと前から、今の曲を弾き始めたあたりからですよ。盗み聞ぎするつもりはなかったのですが、思わず聞き入ってしまいました。すいません」
偶然とはいえ自分の演奏をじっくりと聞かれるのも快く思わない人もいるだろう。黙って聞いていた事に詫びを入れた。
「そうですが、誰かに聞かれるのは仕方ないのですが、そのまま聞き流してくれれば良かったのに。今の曲を聞かれたのはちょっと恥ずかしいですね」
「すいません、でも思わず引き込まれてしまって、失礼ですけどなんて曲名でしょうか? あまり詳しくなくて……」
ちょっと恥ずかしいですね。という言葉を聞いてしまったと思った。
僕は話しかけてちょっと気まずかったかと思い少し苦笑いになってしまった。
今の曲は何が嫌だったのだろうか? 変な不協和音が聞こえても無いのでミスタッチをしたわけでは無いと思う。それでもまだ練習中だったのか? 何度も演奏をしている人にとってはまだまだの領域だったのかもしれない。タイミングの悪い時に話しかけてしまったと後悔していた。
「曲名はないんです」
「えっ? 知らないという事でしょうか?」
弾いている曲の曲名を知らないという事もあるのだろうか?
目の前にある楽譜は何なのだろうか?
全然違う曲の楽譜?
「いえ、知らないといいますか、私が作った曲なので曲名はまだ無いんです」
彼女はこちらを向いているが、顔を赤くしてこちらを見たまま動かない。
「自分で曲を作るなんて凄いですね。とても良い曲だと思いましたよ。聞いていて思わず音楽室に引き込まれてしまいましたから」
オリジナルの曲だったなんて、驚いた。僕はきっと目を丸くしているだろう。凄い人に出会えて興奮している気がする。
そりゃ知らなくて当然だろう。
元々いろいろな曲を知っているわけでもないが、知らなかったのは仕方が無いと勝手に納得していた。
「自分の曲をじっくり人に聞かれるなんてちょっと恥ずかしいですね。良いと言って貰ってありがとうございます」
彼女はそう答えながら俯いてしまった。
さっき弾いていた曲の事をもっと聞きたかったが、これ以上この話を続けると恥ずかしがって何も聞き出せなくなりそうな気がしたので話題を変えることにした。