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リクエスト

 志村さんは僕のリクエストが不満なのか口を尖らせて頬を膨らませている。

 少し考え込むようにして譜面を見つめていたが、台の上から楽譜を外して脇に置いた。


「いいわ、特別よ」


 そう言って、彼女は鍵盤の上に指を置いて弾き始めた。

 音が流れる様に繋がっていく。

 そうだった。僕はこの曲を聞いて音楽室を叩いたんだった。そんな記憶が蘇ってくる。

 僕はどんな名曲よりもこの曲が好きだろう。初めて感動した瞬間の記憶というのは何にも勝る体験だと思う。世間でどれだけ評価されている曲があったとしても僕の中での一番はこの曲なのだ。彼女の作った曲は心の奥の方まで染みてくるようだった。あの時に感じた気持ち、背筋を優しく撫でられているようなゾクゾクとした感覚。不安を掻き立てられつつも、不思議と聴いている間に心が落ち着いてくる。不安を取り除いてくれるような……


 曲のイメージ。自分でピアノを弾いてから考えるようになった。今まで感情や情景を思い浮かべながら音楽を聴くという事は無かった気がする。まぁお祭りの囃子太鼓の音と賑やかな出店の映像が重なったり、学校の校歌が正門や校舎の映像と連動しているぐらいはある。

 ただ何気なく流れてくる曲、ポータブルプレイヤーでイヤホンから聞いている曲。好きな曲とか、なんとなく聞いている曲というものはあったが、その曲自体のイメージを考えたことは無かった。

 他の人はどうなのだろうか? この曲を聴くと思い出す。この曲はお花畑で聞いてみたい。この曲は結婚式で流れる曲。固定化されたイメージを自分のイメージと混同していることはないだろうか? それとも僕の感性が無いせいで今まで思う事が無かったのか。


 この曲はどんなイメージなんだろうか? 彼女は何を思って弾いているのだろうか? 聴いていると音が流れる様に繋がっているだけでなく、強弱のメリハリや一瞬途切れる様な音、次の音を鳴らす場での一瞬の間、そういったものも洗練されているように思う。素人の演奏では無く、音楽家という人の心を揺さぶり音楽で生活しているというのも頷ける。


 フォニックもこの曲を聴いているだろうか? そういえば今日はまだ見ていないな……。


 僕は志村さんの演奏を聴きながら考えを巡らせる。

 昨日の夜、あまり眠れなかったのが良くなかったのだろうか? また彼女の演奏を聴きながら瞼が重くなってきた。


 二日連続は駄目だろう? そう自分に問いかける。マグカップに入ったお茶を一口飲む。そうしたちょっとした刺激だったり、動いているだけで、また頭が活性化してくるのは無いかと思った。

 しかし椅子に座ったまま眠りにつきそうになる。

 頭をくらくらと動かしながらもリクエスト彼女の演奏を聴いていた。どれだけ目の前がぼんやりとしていても彼女の奏でる音だけはまだしっかりと耳に入ってくる。


 そうしている間に頭痛薬が着れてきてしまったのか? また頭が痛くなってくる。

 彼女の曲に集中して痛みを紛らわすが周りの景色をまともに見ることができなってきた。

 このままでは良くない。そう思い立って頭のもやもやを取り払おうと椅子から立ち上がる。

 しかし椅子から立ち上がると同時に前の方へ崩れていく。膝から地についてそのまま床のひんやりとした感覚が頬に伝わってくる。

 僕は音楽室の床に倒れた感覚を最後に眼を閉じて意識が遠退いていった。

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