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ぎこちない挨拶

 今日も音楽室へやって来た。

 一日中、昨日のことが頭の中を駆け巡って他の事は右から左へと流れて入ってこなかった。何かをしようとする度に志村さんの顔が思い浮かんでくる。手につかないというのはこういう状態を言うのだと思った。


 どうして最後にあんなことをしてしまったのか?

 嫌われたかな? 嫌われたくない。

 そう思っているが、今日顔を合わせた時に、どう話をしようか? 考えても考えても、気の利いた言葉は出てこない。

 今日はもう来ているのだろうか?

 そっと窓のガラス越しに教室の中を覗いてみるが誰も見当たらなかった。

 誰もいない事を確認すると僕は少し安堵する。


 しかしすぐに安堵しても良いのものなのか? と、考えを改め始めた。

 僕が来るのを避けて今日は音楽室に来ない。来ない。来ない……。

 いやいや、志村さんは毎日音楽室に来てピアノを弾いていた。

 僕とちょっと何かがあったくらいで辞めたりはしないだろう。

 自分が原因で今まで続けていた音楽室に来なくなるなんて、自意識過剰だ。

 僕はたまたま弾いているピアノの音に惹かれて聞きに来た人。それだけだ。


 本当に?

 その割には隣に座ってピアノ弾いたり、一緒にお茶飲んだりもした。

 もう観客じゃなくて知り合い以上には昇格してるんじゃないのだろうか? そんなレベルの付き合いなのに昨日あんな事を……。僕は勝手に顔が熱くなり一人で悶絶する。

 自問自答を繰り返し、肯定する考えにも否定する回答が用意されていく。


 都合のいい解釈をしているだけじゃないのか?

 どこか引っ掛かっている。

 志村さんに会って話をすればすっきりするだろう。

 でもそれが怖いのだ。こうしている間に志村さんに目撃されていないだろうか?

 教室の前で左右を確認する。誰もいない。

 自分でやっていて挙動不審だと思った。


「とりあえず教室の中で待つか……」


 僕はガラガラと無造作にドアを開けて教室の中に入る。

 とりあえず落ち着こうとマグカップにコーヒーを入れた。


「あっ」


 声が聞こえた方に振り返る。

 そこには準備室からポットを持って出てきた志村さんがいた。

 志村さんは来ていた。

 やっぱりあんな事で音楽室から離れたりはしない。

 そう思って「ほっ」とするが、そんな想いは束の間、なんて声をかけたらいいのか思いつかない。

 何か話をする都合の良いことでも起きてくれたりしないだろうか? と思う。

 こんな時にコンサートのチケットを持っていたり、好きな音楽家のCDや動画が上がったりしたら会話の種になるのだろうか? しかし僕にはそんな知識は無く、志村さんが何が好きなのかも把握できていない。接点の少なさに胸が苦しくなる。

 そう思いながらも時は過ぎていく。目を合わせたのに無言というのが一番まずいだろう。

  僕は必死に平静を装って挨拶をする。


「こんにちは……、もう来ていたんですね」

「こんにちは、そ、そうね。さっき来たところ、と、とりあえずお茶を淹れようと思って……」


 言葉がぎこちない。

 真っすぐに顔を見ることが出来ない。不自然に上がった手を僕は慌てて降ろす。

 志村さんも声、動き共にどこかぎこちなさを感じさせた。


「お茶なら、僕が淹れますよ」


 そう言って、志村さんの持っていたポットへ手を伸ばす。


「大丈夫」


 志村さんは素早い動きでポットを自分の方へ寄せ、もう片手でマグカップも取った。ただ素早く取ったのはいいが、マグカップが小刻みに揺れている。これは手に力が入り過ぎているせいなのだろうか?

 僕は志村さんのポットとマグカップを寄せる仕草が、あまりにも素早い動きだったので手を伸ばしたまま固まってしまっていた。

 タイミングを逸して手持無沙汰のまま目のやり場に困る。

 仕方なく椅子に座って自分のマグカップを手に取った。


 ガシャン!

「キャッ!」


 大きな音と志村さんの小さな悲鳴が音楽室に鳴り響く。

 ガラスや陶器の割れる独特の音。

 振り向くとマグカップが木製の床にぶつかってマグカップが無残にも破片となって周りに飛び散っていた。 志村さんは手はお茶を淹れていたままに、床を見つめたまま茫然としていた。


「大丈夫?」


 僕は椅子を立って志村さんの方へ向かおうとした。


 ドン!

 ガシャン!


 立とうと体を動かしたときにテーブルにぶつかり自分のマグカップを落としてしまった。

 僕はしまったと思い、顔がゆがむ。

 幸い中には残っていなかったので液体が飛び散る事態は避けられた。

 もしコーヒーが志村さんにかかっていたら……、そう考えると恐ろしい。 

 志村さんの方を見ると目を丸くしてこちらを見ている。しばらくただ眼を合わせていたが、次第にお互いに顔を見ていたらなんだか笑ってしまった。

 乾いた笑い、それでもこの緊張した空間や無表情になってしまうよりかは幾分マシに感じられる。


「何やってんだろうね」

 割れた破片を見つめながら出てきた落胆と自己嫌悪の感情がこもった一言。

 少し間が開いた後、

「ほうき持ってくる」

 と言い残して志村さんは音楽準備室へ入っていった。

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