魔法の力
夢中になって意識が飛んでいたのかもしれない。
それでも弾けていたのは魔法のおかげだろうか。僕は弾き終わっても情景が目に、耳に焼き付いて離れなかった。
気づくと志村さんは遠くを見るような目で固まっている。
見ていたことに気づき志村さんはこっちを見てまた固まっていた。
何故だかお互いに目を見つめあって固まっていた。
はっとして気づいたのか、彼女が僕に抱きついてきて
「すごい、すごいよ」
と言った。
「なんで? なんで弾けるの? 君はほんとに弾いた事なかったの? 魔法なの? 魔法の力なの?」
「ちょっと、ちょっと落ち着いて」
僕はそう言って、彼女の肩に手を当てた。
彼女の体は柔らかくて、小さい。手にすっぽりと収まってしまう。そして体温と感触が肌に伝わってくる。触っただけでドキドキしてしまった。
自分は一体どうしてしまったのだろうか? 会って数日の人なのに、ピアノを教えてもらって一緒に弾いただけなのに、抱きしめてしまいたいくらい愛おしい。
女性に触れている、確かにそれだけでドキドキするシチュエーションという事もあるが、それだけでは説明ができないくらい胸の鼓動が早い。
これはピアノを弾いていてドキドキしていた感覚が残っているのだろうか? 吊り橋効果のように他のことでドキドキしているのと混同してしまっているだけなんだ。そんな事を考えて平静を保とうとする。
彼女の顔を見ると顔も耳も赤くなっていた。どうしたのだろうか?
この状況は理解できなかった。
自分の中の気持ちも込み上げてきていて彼女の目から視線を離せなくなっていた。顔を合わせていると恥ずかしくて目をそらしてしまいたい。
でも視線を放すことができなかった。
どれだけの時間が経過しただろうか? フォニックがどこかつついてきても良さそうな気がする。ニヤニヤした目で見られている気もする。
でも、そんな事を考えて警戒するよりも、この時間を邪魔しないで欲しいと願う。
体が硬直したまま動かない、動かせない。
手は彼女の肩に手を置いたまま、真っすぐに彼女の顔を見つめている。
行ってもいいのだろうか?
自分はいったい何を考えているんだ。
瞳が少し右に左に動いてはいるが、真っすぐと僕の方を見ている。
彼女の目に自分はどう映っているだろうか? いろいろな感情が込み上げてきていたが、理性、客観的な自分、全てを抑え込んで彼女を愛おしく思う気持ちが上回っていく。
僕は彼女に近づき、彼女の頬と自分の唇を重ねた。柔らかい感触が伝わってくる。丁寧にゆっくり
と息が止まるくらい緊張していた。鼓動の感覚もゆっくり感じる、ただ大きく、ドクンドクンと自覚できるくらい1回の鼓動が大きな音になっていた。
僕は再び彼女の頬から距離を離して彼女の顔を見つめた。
赤い顔は更に赤くなっていた。
「熱いねぇ」
フォニックがニヤニヤしながら横やりを入れてきた。
僕と志村さんから思わず手を離す。
志村さんも正気に戻ったのか下を向いて俯いてしまった。
「お二人さん、私がいるのを忘れていないかい?」
彼女は俯いて顔は見えないが、耳を赤くなっているのがわかる。
「こんな時は大人しくしてくれていればいいのに」
と、僕が言うと
「誰のおかげで弾けたと思っているのかなぁ?」
と僕の事をつついてきた。
「ねぇねぇ、ねぇねぇ、そんな事言っていいのかなぁ」
ぐっと堪えているのを突き崩すようにフォニックは僕の横腹を突いてくる。
「うっ、ありがとう」
緊張して固まっていた僕の体は敢え無く打ち崩され、小さな声で喋る。
「聞こえないなぁ」
フォニックはわざとらしく聞こえないふりをした。
耳をこちらに向けて、手も耳に当てて収音しているアピールをする。
「ありがとう、フォニック。おかげで素敵な時間を過ごせたよ」
若干の苛立ちを覚えつつも半分やけくその声でもう一度答える。
「うんうん、そうだよねぇ」
僕とフォニックが話をしている間、志村さんは俯いたままだった。
急に顔を上げて何かを振り払うかのように荷物を纏めだした。
「ありがとう、一緒に弾いてくれてありがとう。嬉しかった。今日は帰るね」
彼女はそういうと荷物を持って急ぎ足で音楽室を出ていった。
「あ、ありがとう」
僕はそういうのが精一杯で、キスしたのはさすがにまずかったと思い、反省の念に駆られていた。
「あ~あ、嫌われちゃったかなぁ~?」
フォニックがニヤニヤしながらこちらを見ている。
「うっ、とりあえず明日謝る」
「謝るくらいならしなやきゃいいのに」
「いや、思わず耐えられなくて」
僕は「あ~」とため息をつきながら天を仰いだ。
「帰るわ」
そうフォニックに言って、僕も音楽室を後にした。




