ピアノの音
目を開ける。
意識はしっかりとしていたが、自分が今までどこにいたのか? どこに向っていたのか? 何をしようとしていたのか? はっきりとした記憶がない。
明確な理由も無くここに立っている。不思議な感覚。
とりあえず周りを見渡してみる。
ここは学校の音楽室前の廊下だった。
左右を見ても廊下に人影はなく自分しかいない。
音が聞こえる。ピアノの音だ。
僕は音楽室のドアにある小さな窓から音楽室の中を覗き見る。
音楽室の中にはピアノを弾いている人の姿が見えた。
何を弾いているのだろうか? 耳を澄まして聴いてみる。
何の曲なのか、メロディに心当たりは無い。
何という題名なのだろうか?
音楽の知識がそんなに豊富でない自分では言葉にできなかったが、その旋律を聞いていると込み上げてくる気持ちだけは表現できるような気がした。
耳に響いてくる音に体が震えている。
背筋を優しく撫でられているようなゾクゾクとした感覚。胸に不安を掻き立てられつつも、不思議と聴いている間に落ち着いてくる。
不安をまるで取り除いてくれているように感じる。
「音楽を愛している」
そう思って弾いているのではないかと思う。
聴いているだけでその人の優しい温もりが伝わってくるようだった。
弾き終わるまで廊下でただ佇んでいた。
耳に入ってくる音に心を揺さぶられながら、この曲を弾いているのがどんな人なのだろうか? と気になっていた。
ピアノの奥に見える黒髪の頭がピアノを弾くときに揺れている。
ピアノの音が止まり、頭の動きも止まった。
音楽室のドアを開けて中に入り、どんな人が弾いていたのか知りたかった。
でも人が気持ちよくピアノを弾いていたのを盗み聞きして会いに行くとか、恥ずかしくて躊躇いが大きい。
それでも好奇心は抑えられずにドアの方へ寄り、ドアに手を伸ばす。
僕はごくりと唾を飲み込む。
手を伸ばしたまま、一呼吸をして考える。
ノックした方がいいかな? なんて言って入ろうか?
面接を受ける前のような緊張感にも似ていたが、この状況に決まったフォーマットというものは思い浮かばない。
音楽室に他に誰かいないか、小さな窓を覗いてもう一度見てみる。
やはり一人のようだ。
胸はドキドキしている。
ただ何の曲を弾いていたのかちょっと聞いてみるだけでいいじゃないか。
僕は心の中で自分に言い聞かせた。
コンコン、ドアをノックする。
窓からピアノの陰に隠れていた人影がこちらの方を向いたのか、動くのが見えた。
「えいっ!」と、心の中にあるもやもやを握り潰して、ドアを開けて一歩踏み込んだ。