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連弾

 志村さんの演奏は見事だった。

 これだけ長い曲で初めの重苦しい音から始まり流れる様に音が連なっていく。初めて聞く曲なのに演奏技法の違いというものを思い知らされる。どうしてあんなに早く弾けるのだろうか? どうして正確に鍵盤が叩けるのだろうか? どうしてそんなに音の強弱を変えることが出来るのか?

 今までは違って、聴くだけではない弾くときのことも考えながら音を聴いている自分にふと気付く。自分なら? 演奏技法が伴っていればそんな想いもあるのかもしれない。

 でも今は彼女の演奏を聴いているその時間を楽しもう。

 弾ける、弾けないではない彼女の演奏が僕の心に響いている。

 何度でもうっとり聴いていられるだろう。

 フォニックも気持ちよさそうに演奏を聴いていた。


 演奏が終わった後に、志村さんは連弾しましょうと言ってきた。


「ろくに練習できていないのですが…、それにここの記号が分からなくて」


 と、僕は8vaと書かれた部分を指さした。


「これは一オクターブ上がるって意味よ。他は大丈夫?」


 僕は志村さんと楽譜を最後まで追って分からない箇所を教えてもらった。


「知らない記号があるのは気が付かなかったわ。ごめんなさいね」

「いえ、今日教えてもらえたので大丈夫です。ありがとうございます。」


 教えてもらっている姿を後ろの方でフォニックがニヤニヤして見ているのが分かったが気にしないようにした。気づいていながら、気にしないふりをしているのが気に入らないのだろうか? つまらなそうな顔をして途中から僕の肩の上でもたれ掛かったりしていた。


 弾き方を一通り教えてもらったので、一度通しで弾いてみることにした。

 連弾の片方だけなので半分のイメージしかない。CDは連弾している時の曲のイメージだ。僕は片方だけのパートを弾いている。これであっているのか? 必死にCDでのイメージと重ね合わせてみるが、僕の想像力では幾重にも重なる音を再現するのは難しかった。

 ただ志村さんの表情を見ているとどうやら大丈夫そうだ。


「すごいね、なんかもう一緒に連弾できそうな感じ」


 志村さんは目を輝かせてこちらを見ている。僕は不安しかないし、ドキドキして心臓の鼓動は高鳴ったままだ。

 フォニックをちらっと見ると親指を立ててちょっとドヤ顔をしている。フォニックとしても僕の演奏は合格という事だったのか? まぁ聞いたところで及第点という皮肉めいた言葉が返ってきそうなので聞くのはやめておこう。

 ピアノの前に二人で座る。

 椅子がそれほど大きくないので志村さんと体が触れる。

 彼女の体温が直接わかる。

 腕と腕が振れて思わずドキっとして「ごめんなさい」と言った。


「連弾なんだから近いのは当り前よ」


 志村さんはちょっと顔を赤くして言った。


「いくよ」


 目を合わせてタイミングを合わせる。手を少し浮き上がらせて鍵盤に落ちていく。

 僕が伴奏で、志村さんが主旋律を弾く。

 彼女の手の動き、どうしてそんなに遠くの鍵盤を正確に叩けるのだろうか? 僕は譜面を見て集中しないと、と思ってはいるが彼女の隣で弾いているという事実に心が浮いてしまっている。

 彼女の弾くメロディーに気を取られて思わずリズムが乱れてしまった。


「沢村くんは沢村くんのペースで弾いてくれていいから」


 志村さんはそう言ってくれたが、なかなかテンポを整えて弾くのは難しい。

 隣に志村さんが座っていて、体が触れていて、目の前で彼女の指が動いている。そんな状況でどうやって落ち着いて弾けというのだろうか。僕のペースは乱れっぱなしだ。


 志村さんがふとピアノを弾く手を止めた。


「大丈夫?」


 僕の方を心配そうに見ている。


「だ、大丈夫です。」


 僕はちょっと声が上ずりながら返事をする。

 志村さんはそんな僕の顔をまじまじと見た後に、


「一回私が弾くから隣で見ていて」


 と言った。


 志村さんがピアノを真隣で弾いている。

 志村さんの指先が音を重ねて奏でていく。周りの景色が響く音で色がついているように見えた。

 音が奏でられるたびに変わる色に僕は目を奪われる。

 自分が弾いていてこんなにも鮮やかな情景にはならなかった。彼女のピアノを弾くたびに息をするのも忘れるくらい胸が熱くなった。

 あっという間に彼女の演奏が終わる。

 この旋律と一緒に僕は弾かないといけない。そう考えると一緒に弾ける嬉しさよりも、緊張感の方が増して来る。


 フォニックが僕の肩を叩いて

「頑張って」

 という声が聞こえた。

 意外にいい奴なんだな。「しっかりしろよ」とか「足引っ張るなよ」といった皮肉めいた言葉をかけられると思った。「頑張って」という言葉はありきたりなのに予想外だったこともあって僕の気持ちは少し軽くなった。


 もう一度、彼女と鍵盤に指を置く。

 僕が伴奏を始める。自分が鍵盤を叩いて周りに広がる音を見ながら、彼女が叩いて重なる色を見ていた。

 音が重なり色も重なっていく。その情景に僕は胸が熱くなり、夢中になった。

 この情景が続くように自分の演奏が彼女の演奏と続くように一つ一つの音を弾いていった。

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