2つのアラベスク
ピアノを弾いている間フォニックはピアノの上で気持ちよさそうにゆらゆら揺れていた。
自分のリクエストした曲をリスエスとした人に弾いてもらう。今まで出て来ていなかったのだからそう言った体験は出来なかっただろう。もし今までの想いが溜まっていたとしたらさぞかし嬉しいに違いない。でもそんな気持ちでリクエストをしたにしては安直な選曲にも感じる。1番を弾いた後に2番も。別にリスクエストしていなくても弾いていたかもしれない。
志村さんは弾き終わって、感想を求めるようにフォニックの方を向いた。
「どうだった?」
「最高だよ。いつ聞いても君の演奏はいいね」
「それは、ありがとう」
彼女の顔が少し和らいだ感じがした。
フォニックの声を聞いていると、あの時「ドビュッシーだよ」と言っていた声はフォニックなんだなと思った。どうして教えてくれたのだろうか? そんな考えが過るが、僕が無知すぎるのがいたたまれなかったのだろう。そこまで深い理由があるとは思わなかった。
「弾いていた曲の名前はなんていうんですか?」
僕は彼女に聞いてみる。
「ドビュッシーの2つのアラベスクって言うの。始め弾いていたのが1番で、リクエストされたのが2番よ。2曲あるから2つのアラベスクっていうのよ」
彼女は優しく教えてくれた。
なるほど、ドビュッシーは人の名前だったのか。
「そんな事も知らないで聞いていたかい?」
フォニックが冷たい視線でこちらに向けてくる。
「悪かったな」
僕は冷たい視線を送ってきたフォニックへ視線を送り返す。
しかし、曲を知らない。その曲の背景も、どんな気持ちで志村さんがピアノを弾いているのかも。何も知らない。そんな後ろめたさがあるせいだろうか、僕はフォニックからの視線に徐々に耐えられなくなってたじろいていく。
「いじめないの、沢村君は結構ピアノのセンスあるんだから。これからなのよ」
志村さんがフォローしてくれるのは嬉しいけどプレッシャーだ。
「アラベスクってどういう意味なんですか? 1番と2番で大分イメージ違うんですね」
僕はいろいろと気まずくなって話をずらそうとする。それでも、実際に知っておきたいところではある。嘘はついていない。そんな弱弱しい考えだが後ろ盾くらいにはなるだろう。
「アラベスクってイスラム美術の幾何学模様のことよ。いろんな模様が何回も反復して描かれているの。ドビュッシーのアラベスクはその中でも曲線がきれいな曲をイメージして作られてるって聞いた事があるわ。1番と2番じゃイメージした模様が大分違うのかもしれないわね。沢村君はどんなイメージだった?」
アラベスクって模様の事だったのか? どんな模様なのだろうか? 絵でもあれば分かりやすいが、今は音を聞いたイメージしか無い。同じ模様を何度も反復して書かれている。イスラム美術……、聞いた言葉と曲を混ぜ合わせて想像してみる。
アーガイル柄を想像する、ひし形が何個も連なっている。しれならアーガイルといえばいいだろう。ではアラベスクは? くるくると渦巻きのような模様が滑らかに繋がっていく。渦巻きが更に広がって一つの大きな花のような形へと変える。その花が更に何個も連なっていく。こんなので良いのだろうか? バラ様に一つの花で大きく写しく見える花のような模様。そう考えると優雅さも持っていそうだ。花と草で違うイメージが織り交ざっている気もする。
2番はそれとは違って、細かく小さい花がたくさんあるイメージだろうか?
「花柄でしょうか? 1番はバラみたいな花の形が曲線で描かれているような……、周りに弦のような流れる曲線に囲まれてそれが連なっているような、模様が徐々に広がっていくイメージでした。2番は逆に野に咲く小さな花でしょうか」
僕の答えを聞きながら志村さんはニヤニヤしている。
変なことを言っただろうか?
「いいのよ。イメージは人それぞれだから。花柄ね。ふふっ、素敵ね。沢村くんって案外ロマンチスト?」
「からかわないでくださいよ。志村さんまで僕の事いじめるんですか?」
僕はフォニックから向けられた視線を思い出す。それに比べれば志村さんは微笑ましく見ているので悪い気はしないが、やっぱりいじめられるのは……。
「ごめん、ごめん。なんだか可愛くて、つい。徐々に広がっていくイメージって言ったじゃない? きっとそれはアルペジオのせいね」
「アルペジオ? ですか?」
聞きなれない単語を聞いて僕は首をかしげる。
「アルペジオって言うのは徐々に低い音から高い音へ順番に弾いていって音に深みを出すことよ。だからどんどん広がっていくように感じたのかもね。それと、あと、ほら、mossoって書かれてるでしょ?」
そう言って彼女は楽譜を僕に見せる。
「これはイタリア語で動きって意味なの。だから流れる様な曲の中でちょっと気持ちを高める様な弾き方をしたりするのよ」
「そうなんですね……」
僕は、志村さんの解説を聞いて特に気の利いた事も言えず、ただ「そうなんですね」というありきたりの言葉を発してしまった。