幻想即興曲
窓際のテーブルで志村さんと一緒にコーヒーを飲んで落ち着いている。
志村さんの姿を見ているは先程まで激しい曲を弾いていたとは思えない。それくらいマグカップを持って落ち着いている姿が似合っていた。
「いい曲ですね。何回聞いていても何回でも聞きたくなりますね」
「そうね。私もこの曲好きよ。何回聞いても、自分で弾いてても飽きないわ。ショパンの曲は有名なものが多いけど、この曲はショパンの中でも人気高いのよ」
「音が流れているみたいに聞こえました。最初は初体験して興奮しているような初動に溢れる激しさ、そしてその後の落ち着きを取り戻してゆっくりと余韻を楽しむように。終わりにかけてこれが最後だからという後ろ髪を引かれるような想い。まるで夕日が沈んでいくようなイメージでした」
僕は少し興奮しながら聞いていた感想を言う。
音楽のイメージ。オペラ、演劇やテレビのドラマの後ろで流れているBGMはその時の場面をより感情的に仕上げる。でも僕はこの曲とどんな場面が一致しているのか知らない。正解なんて人それぞれだと思う。僕なんかが感想を言っても良かったのだろうか? 志村さんの持っているイメージを崩したり、不快な気分にさせたりしていないだろうか? 口にした後で良かったのだろうか? といった後悔の念が頭をよぎった。
「曲のイメージを持つのは大切だと思うわ。沢村君のイメージは初体験のイメージなのね」
志村さんは微笑んでいる。僕の言った事で機嫌を損ねることはなかった様で少しほっとする。
「志村さんはどんなイメージですか?」
少し遠くを見ているような顔つき。考えているのだろか? マグカップを持っていた片手が前に出て指が微かに前後している。弾いている時を思い出しているのだろうか?
「そうね、怒り、哀しみ、いろんな感情が混ざっている。今まで体験してきた事を思い出したりして、また感情を揺さぶられるけど必死に穏やかになろうとしている感じかな……、なんてね」
喋っている間、志村さんの表情にも怒りや哀しみの気持ちが表に出てきているような気がした。最後に「なんてね」と言ってこちらを振り返った時はもう笑顔に戻っていたけど、その前に見た表情が印象的で笑顔を受け入れるのに少し時間がかかってしまった。
怒り、哀しみ、志村さんが奏でていた旋律にはそんな想いが乗っていた。それでも僕の受け取ったイメージは少し違っていた。そういうものなのだろうか? 志村さんが弾きながら想っている光景がどんなものなのか考えると、良く分からないのに少し胸が苦しくなった。
「ショパンはどんなイメージで曲を作ったんでしょうね?」
「どうなんでしょうね? ショパンが生きていた時代と今は違うし、国も違うから全然違う事を想っていたかもしれないわね。この曲を作った本人ははあまり好きじゃなかったみたいだからあまりいいイメージは無かったのかもしれない」
「そうなんですか? どこが気に入らなかったのでしょうか?」
「わからないけど、ショパンが亡くなった後に楽譜が発表されていたと思うわ。本人も死んだ後に人気が出るなんて思わなかったでしょうね。本人が気に入っていなかったのに他の人も盛り上げてるのはちょっと複雑な気持ちになるけど、それでも私はこの曲好きだから弾かせてもらうわ」
志村さんは話をしながら体と足を伸ばして体をリラックスさせていた。ピアノの話をしている姿はとても生き生きしている。志村さんは本当にピアノが好きなのだろう。細い指先から力強い音が奏でられるのは本当に不思議だ。
ピアノという楽器がそれだけ志村さんの魅力を引き出してくれているということなのだろうか? 見た目通りの優しさとどこから出てくるのか分からない力強さと、魔法でもかかっているのではと思えるような変容に僕は惹きつけられていた。