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「現実ですよ」
両手を押し戻しながら、右足の裏で軽く相手の腹を押す。
一瞬にして自分の誇りが素人とバカにしてきた相手にいとも簡単に止められたショックか、硬直している大橋は軽い衝撃に対抗することができず、その場で尻餅をつく。
いつもならここまで力の差を見せつけたのだからギブアップを勧めところだが、あえてしない。
「僕の場合、仮想現実空間最強の称号のせいで敵が多くて、死角からの攻撃は当然、というよりこんな狭いリングよりも広い空間で多方面から、ゲームの性質上、人を越えた速度の動きをする敵、銃や魔法などの攻撃すら避けてきました」
両腕のダメージの確認。左肘はタイミングと角度が良かったせいか痛みは殆ど無い。右腕は痛みこそあるが支障は無いように感じられた。
「来るとさえ分かっていれば見ること、反応することはさほど難しくは無いですよ」
『……なるほど、彼も少しは研究をしてきたようですね。キッチリと対策を練っていたのでしょう』
Bの言葉より解説の堂本の言葉に大橋は目を見開き、叫ぶ。
「冗談じゃねぇ! 多少研究されたからって、打つって宣言したから避けられるってんなら俺は今まで勝ってきてねぇ!!」
試合前に対戦相手を研究するということは当り前のこと。今回こそしてきてないもののいつもは十分にしている。
それは今まで闘ってきた相手も同じだろう。
試合中「よけれるもんなら避けてみろ」と挑発めいた技をかける宣言したこともある。しかし今までダメージを必ず与えてきた。
「慢心? ああ、そりゃぁ素人相手だからあったかもしれねぇ。でもさっきのは本気だった!
それが素人に研究、対策練られたくらいで防がれるんなら今まで闘ってきた相手は何だって言うんだ! 弱いとでも言うのか! っんな事はねぇ! みんな強かったさ!」
解説者に対して吐いている言葉か、はたまた自分へか。
身体にダメージは全く受けてないものの精神的ダメージからか、ユックリと立ち上がる。それでも眼差しは眼前の、自分よりも強いとやっと認めた少年へ向けられている。
「一つ……聞かせろ」
大橋は声を絞り出す。譲れないものがある。
「テメェは俺をウォーミングアップと言ったが、舐めてたのは俺か? それともボクシングか?」
舐められたのが自分というならまだ我慢できる。ただボクシング自体を舐められることだけは許せない。そんな表情でBを睨む。
「どちらも、舐めてないんかいませんよ。あなたもボクシングも」
いつもの癖で止めをさす直前に語る、その人間の長所と短所を。次に強くなってもらうために。また完璧な負けをより強く印象づけるため。
「パンチを打つことに関して一番洗練された格闘技はボクシングだと思ってます。それにフットワークなどの動きも高度だと思ってます。それも軽量級ならでこそのあなたのスピードには正直驚きました。だからこそあなたを、ボクサーを一番手に選んで正解だったと思いました」
精神的に打ちのめされているものの、これからの言葉次第ではいきなり攻撃をしかけてくる可能性もある。言葉を選びつつも、気を抜かない。
「二階級を制した人間が、どんなに挑発されたところで拳以外で攻撃するはずはない、そう思っていました。とことん追い詰められたらともかく、拳以外で勝負に望むようなボクシングを愛していない人間に世界は獲れない。違いますか」
「……そうだな」
渋々だが、自分の心の奥底にある気持ちと一致したために頷く。
「でしょう。だからこそ、そこを利用させてもらいました」
その姿を見、もう不意打ちはないとふみ、体力回復のため楽な姿勢をとる。相手にもハッキリと見えるよう左手で指折りながら
「基本的なボクシングのルール、足技・関節技は無し、下半身への攻撃も背後からの攻撃も無し。つまり両腕から繰り出される上半身へのみの攻撃がだけというのがあなたを最初に選んだ最大の理由です。もちろん多彩な攻撃のバリエーションをお持ちでしょうが、それでも攻撃がある程度まで絞れるというのも事実です。どんな攻撃だろうと察知することはできると思うのですが、慣れない身体なのでどこまで自由に操れるか分かりませんでした。なにせ僕は皆さんと違いぶっつけ本番なので」
だからこそボクサーはある意味最適の相手だった。防御の際、ある程度的は絞れる。スピードはおそらく四人の中で一番早いから彼に反応さえできれば残り三人に対して精神的余裕が生まれる。足技、関節技、下半身や背後からの攻撃に対応するのも可能だと。
「なるほどな……」
単に異種格闘技戦では不利といわれるボクシングの評判に乗ったと言うのではなく、自分なりの理屈で選んだのである。実際のところその理屈に不満もあるが、自分のパンチがことごとく防がれた以上、Bの理屈が間違っているとも言えない。もっともこの後の結果次第ではあるが。格闘技とは結果が全てなのだから。
――フウ。
大橋は一つため息をつき、再び構える。
「じゃあこれを受けてみな。……今俺が思いついてすることのできる最高の技だ。……避けれたら、テメェの好きにしな」
顔つきが今までと変わる。口元は拳で隠されているので見えないが眼光の鋭さが今までと違う。
素人、格下相手ではなく自分よりも強い人間に向かっていく、玉砕覚悟で。
(そこまで本気にさせる気はなかったんだけどな)
敵の力をフルに発揮させて破る。いつものゲームの癖だ。今回のような自分に不利なルールのなかで闘う以上本気になられる前にサッサと倒しておくのが正解だった。
(次からはそうしよう)
今回は自分でも言ったように身体に慣れる必要性もあったからと自分を納得させ、戦いに戻る。どんな構えにするか思いを巡らす。
(あれにするか)
一つ思いつく。あとで相手にする残り三人が大橋の背に行くように不自然にならないように摺り足で移動しつつ左手の指はピンと腕は軽く前に伸ばし、右手は腰だめに構える。左足を前に構えるものの重心はそれ程低く降ろしているわけではない。むしろ右足はいつでも地を蹴り、前に出れるように若干踵が浮いている。
「ではお好きに。でもあなたが僕に言ったことはその身に受けてもらいますが」
合図となったのか、大橋はニッと笑ったかとダッキングしながら間合いを詰める。
『素早いジャブの三連打で間合いを詰める!』
『いい攻撃です、まだ闘志は失っていませんね』
そんなことはない、もう勝ちは諦めていた。ただボクシングのスピードとテクニックを見せつけたかった、ボクサーとしてのプライドのために。できればタダの一撃でも当てておきたかった。
Bは左手でガードする。しかし何かを狙っているような目つきだった。
『ジャブからフックへのフェイント、……いやこれもフェイントだあ』
右側頭部を狙ったフックをガードが反応すると同時に引っ込める。そしてコンパクトでスピードのある左ストレートが空を切り裂く。
『これは巧い』
堂本の解説。確かにこれだけ間合いを詰められるとまともに食らうとノックアウト確実。
しかしBは気がついた。これさえもフェイントだと。
視界の片隅で左足が前に出ていることに気がつく。つまりフィニッシュとしての左ストレートを出すときにもっとも重要な軸足への体重移動ができていない。そこまで即座に理解した訳ではないが即座に身体は反応した。左肘をまわし、腕で顔面をガード。右肩を上げることで窮屈そうではあるが一応ガード姿勢をとる。これで上半身の力のみのパンチくらいなら防げるとふんだ。
大橋は左ストレートを当てることなく素早く戻し、すかさず今度は完璧なまでの体重移動をほどこした渾身の、
『ああっと、何と右ストレートに変化!! エエッ!』
――ダダン!
連続した打撃音が耳にするとそれが何か確認するまもなく大橋の身体は勢いよく宙に舞う。
――ボキッ!
伸びきった右肘から砕ける音が聞こえるのとほぼ同時にマットに叩きつけられる。
「――――」
『………ど、堂本さん今のは一体?』
一瞬の静寂。最初にどうにか声を絞り出したのはそれが仕事である古田。彼とて見ていなかった訳ではない。ただ追いつかないのだ理解が。
『……左、いや右の……ストレートに、左から右のストレートに変化したところを上手くかいくぐって、一本背負いだと思います。それもとびきりキレのいい……』
「二十五点」
Bは解説の途切れたところを見計らって言う。
「一本背負いだけ正解。でもキレがいいと褒めてくれたから三〇点にしましょう」
足元で息もするのも苦しそうな大橋。ただの一本背負いではいくら背中を強打されてもマットの上である、声が出せれない程のダメージはないはずだ。Bはまだ持っていた大橋の右手をマットに少し力を入れて落とす。
―――ガッッウゥゥゥ
声にならない痛みを口にする。良く見ると人体の構造上ありえない方向に曲がっている肘。折れている、正確には砕けている証拠だろう。
「専門家の中村さん、あなたもただの一本背負いだと思いましたか?」
まさか自分にふられるとは思わなかったが、対戦相手の観察はしていたし、確かに一本背負いというなら柔道家の自分がこの中の誰よりも専門家だ。
「柔道なら反則だ。背負うとき肘を折るように担いだだろう。それに背負いに入る前に打撃を入れてるだろう」
(わざわざ見えにくい角度でしたのによく分かるもんだ)
と内心舌を巻くが、顔には出さない。
「はい、合格です。じゃあ次の相手はあなたということで」
中村を見ることもせず言い放つ。今まだ視線は大橋にある。
「さっきの技は僕のオリジナルの体術でね。ブレイン・フィールドでもよく使ってるんですよ。ちなみに技の名前は『風神』。威力は見てのとおりです」
苦しそうに喘ぐ大橋を指さす。そして当然のように倒れたあばらめがけて踏みつける。
大橋が何か呼吸に似た悲鳴を上げるが、ゴキッと、あばらが折れる音にかき消される。
「お、おい!」
見かねた中村が非難の声を上げる。
「でも良かったですよ。あなたも解説者さんみたいにただの一本背負いと言ったらホント、興ざめってやつですからね」
今度は体勢を変えるため、仰向けをうつ伏せにするように脇腹を強く蹴飛ばす。
「おい! もういいだろう」
「なかなかやるねぇ。ホントに無様な姿でマットを舐めさすなんてな」
中村が止めようとするが逆に力王は口笛を吹かんばかりに感心する。
「ええ、言ったでしょう。僕に宣言したことはその身に受けてもらうって」
今度は背骨を二、三度踏みつける。それが終わると無事な左腕拾い、アッサリと関節技を極め、折る。
あまりにも淡々とこなすその姿は、さながら作業のように見えた。
もう大橋に意識は辛うじてあるくらいだろう。悲鳴すら出さず、もしくは出せず、攻撃を受けるたびビクン、ビクンと身体が跳ねるくらいだ。Bは腕を折った次は足にするか、首にするかと一瞬考えた時、大橋は電子に分解されたかのように細かくかき消えさった。それはブレインで人が死ぬときとさほど変わらぬ光景だったので驚きもせず、すっと立ち上がり三人のほうに向かい直す。
「ふぅ、ようやく終わりました。気を失ったのか、死ぬほどのダメージくらってのゲームプログラムが強制ストップをかけたのか、どっちにしろ無抵抗な人間に命乞いもギブアップも認めず全身ボコボコに痛めつけるってのは精神的に疲れますね」
実際にはシルバー側のプログラマーの強制終了である。
「ならしなければいいだろう」
中村が非難めいた言葉を浴びせるがBは気にしない。
「最初に言ったでしょう、僕にすると宣言したことはその身に受けて頂きます、とまた恨むのなら愚かだった自分を恨んでくださいとも」
「なぜそこまでするかが理解できん」
中村は首を横に振る。Bとしてもなぜ理解できないかこっちが聞きたいところであったがとりあえずロープに近づき見下ろす。
「実際人を簡単に殺すことのできる人間がいう『殺す』という脅し文句、その言葉がどれほどの力を持っていると思いますか? 例え実際に殺す気は無くとも力なき者にはその言葉だけでも十分な脅威です。ときにあなたは試合のときもちろん勝つことを考えているでしょうけど、それは相手も同じだとは思いませんか?」
「まあ……そりゃあそうだろう。誰だって負けたくはないだろう」
「でしょう」
自分の望む解答が得られて満足しつつも、顔には出さず
「実際自分を殺せる力を持つ相手が『お前を殺す』と言って戦いが始まるんですよ、こっちも殺す気で闘わないといけないと思いませんか、殺されたくないですものね」
笑顔でサラッと言うことが例え自己弁護だとしてもふざけてるような感じがした。
「やりすぎだとは思わないのか」
「自分が逆に殺されるとは可能性があると思ってもない人間が、死ぬほどの痛みを味わせたことはあっても味わったことのない人間が平気で『殺す』を簡単に口にする。僕はそういう人間には容赦なく苦しめて殺すことにしています。口で言っても理解してくれないのなら実際に痛い目を味あわせるのが一番早いと思いませんか?」
確かにそういうタイプの人間はいるし、そいつらを諭すのにはそれも一つの手段にも聞こえた。ここでは人が実際死ぬことはないというが痛みはあるのだから。しかし、
「……一体君は何様のつもりなのだ」
「……正義の味方、なんて言いませんよ、よくて被害者代表の犯罪者です」
問い返されるとは思わなかったが、言いたいことは分かる。
「強さに必要なのは優しさと覚悟。自分が泥をかぶるくらいは平気でしますよ」
それがどういう意味か完全には伝わらなかった。
「やはり原因は人の死なないゲームのせいか、君のような中途半端に凶暴な人間が生まれているのは」
ため息まじりに否定的なことをいう、久遠のみならずシルバーまで否定することを
(やれやれ、話が大きくなったな)
心の中で呟く。
「逆だと思いますよ、数が減ったはずですよ。VRMMOというゲームのジャンルが新しくできてから」
青少年の犯罪件数がここのところ減ったと言われている。しかしそれは警察の努力だの学校の指導の賜物だの成果の取り合いをしているのが現状だがBはゲームのおかげと言う。
「親がすれば『虐待』、先生がすれば『体罰』、クラスメイトがすれば『いじめ』、他人がすれば『暴力』。人は痛みをしらなきゃ優しくなれないとか言いながらも痛みを与えることは出来ないのが現実世界ではないですか」
世界には矛盾が幾らでも転がっている。いや社会は矛盾で成り立っている。
「この手のゲームは痛みを知ることができます、法に捕らわれずにね。もちろん暴力を繰り返す人間もいるでしょうけど必ず報いを受けることになる。勝ちつづけることの難しさはあなたには今更説明はいらないでしょう」
だからこそブレイン・フィールドでは表向き何をしても自由だが根底には勧善懲悪がある。良いことをすれば幸運が、悪いことには報いが舞い込むシステムだ。
「科学の最先端を使ったもっとも原始的なコミニュケーションがとれるシステム。僕はこのゲームの最大の利点はそれだと思いますよ」
ただ現実の世界と違い、枷があるわけではなく何のリスクもなく人生やり直せる。犯罪者が指をさされることはない。誰しもが何らかの悪事を働いているし、善行もしている。
「だから僕は痛みが分からない人間を諭すために痛みを与えてるんですよ。何様のつもりと言われるのももっともです。だから僕のことを犯罪者でも殺人鬼とでも思ってくれて結構です。罪には問われないもののそれだけのことをした自覚はあります。殺すことの辛さも充分噛みしめてます。いつ殺されてもおかしくないと自覚してます。痛みつけられる経験だってあります。もうそれがゴメンだとも思ってます。だからといって僕はこのスタイルを変えないでしょう。
少なくとも僕の前に痛みを知らない者、自分の言葉の重みを知らない者、殺すと平気でいう人間がいるかぎり」
理解してくれたかどうかは不明だが覚悟は伝わったのだろう、中村の顔から侮蔑の色が消える。それを見てある種ホッとしながら
「そうそう、聞くの忘れてましたね。どうしますか? 闘うの止めますか? 怖いからといってゲームにいちゃもんつけるのは止めて下さい。嫌なら嫌といってくだされば強制はしませんよ」




