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 プッシィィー

 地下鉄の扉が開くのもどかしい気で待っていた少年は人の迷惑を気にせず走り出す。

 都心のオフィス街、時間はちょうど昼休みとあって改札を抜けて駅から出ると人通りが多い。制服をきたOL、汗をかきながらスーツを着ている、また上着だけ小脇に持っているいる者、始めからYシャツしか着ていない者。若くとも20歳以上の者が弁当を買うため、もしくは外で食事するために闊歩し、並んでいる人々の中――彼は目立った。

 黒の学生ズボン、開襟シャツはボタンを止めずに羽織っているだけ。白地にメジャーリーグのマークの入ったTシャツを着ている。背中にはスポーツメーカーのロゴが入った紺色のバッグを背負っている。身長はまあ高いほうだが痩せ型、軽快に走る姿から激しい運動もこなせる健康体であることは間違いない。短くカットした頭髪に汗を光らせながらまっすぐに目的地に向かう様はめずらしい。

 駅をでて約5分後、八階建ての大きめもオフィスビルに迷わず駆け込む。その様子を見ていた人たちはギョッとするが、そのビルの所有者を知ると逆に納得した。

 ビルの屋上に勾玉の看板があるビル。この街でここが何か知らないものはいない。


「株式会社 久遠」――歴史は浅く設立は6年前。


 ゲーム会社として立ち上がった。それから2年後、マニア受けしたゲームを数本制作し、軌道に乗りかけた矢先、社長である菅総一郎があるプロジェクトを企画する。リスクが大きい上、成果に疑問視をもたれながらも強引に押し進め、自社のみならず様々な方面も巻き込み形になったのは二年後。当初の予定をはるかに上回る性能を有した大発明に日本はおろか世界は沸いた。

 今まで注目もされなかった一企業が一躍IT技術の頂点に躍り出た。

 去年、一部上場を記念して作られた新社屋に、毎日IT目当てに各企業の社員――それも重役クラス――が訪れるほどに成長し、今やコンピューター総合会社になった会社だが設立当初の目的を捨てたわけではない。その発明品を使ったゲームを開発、販売してから国内限定ではあるが大ヒットをとばしている。

 その関係で高校生が入っていったのだろうと目撃した人間は思っているのだろう。何しろここの社長は変わり者で有名だ。新たな発想に若い人材を求めてもおかしくない、それどころか積極的にしそうだ。若すぎる気もしないではないが、今日本で最も旬な会社の社長の年齢はまだ30にもなっていないのだから、むしろ自然に感じられた。



 少年は自動ドアが開くとすぐに目に入るロビーにある受付にそのまま直進する。本来二人座っているのだが、昼休みのなので一人しかいない。


「ンッ、あら信二君。どうしたの? 今日はヤケに早いじゃない」


 見知った顔なので営業用ではなく親しげに――一応近くに部外者がいないことを確認して――話しかける。


「兄貴は!」


 信二と呼ばれた少年は汗を光らせながら、そういいつつ同じく辺りを見渡す。

 一階二階吹き抜けの中央ロビー、受付から見て右側には簡易造りの応接室に、左側には用件に来たものの待たされている者たちが待合室。一言で待合室というがちょっとした喫茶店の様な造りになっている。一人用のカウンターから二人が向かい合うタイプのテーブル、また四、五人用のテーブルと約40脚のイス。ドリンクフリーのようでカップをおいてボタンを押せば自動的に注がれるタイプの給湯器が二台ある。一つはコーヒーが出るタイプ、もう一つはお湯がでるタイプ。その脇にはエコロジーを考えてか陶器製のコーヒーカップと湯飲みが、また紅茶と日本茶がつめられたティパックが置かれている。勿論カップの返却場所もあり、ここに訪れ、時間を待つ者はセルフで飲みたいものを注ぎ、好きな場所で飲み、片づけるようになっている。

 奥の壁二面に設置された巨大な液晶ディスプレイには南国の海中がCGで映し出されている。色鮮やかな珊瑚礁、一匹で優雅に泳ぐ色彩豊かな魚、逆に数十匹で群れをなす魚もいる。プカプカと浮かぶクラゲの下を一匹の大きなエイがゆっくりと飛ぶように泳いでいる。海底の岩にはイソギンチャクやヒトデがこここそ自分の居場所だと主張するように張りついている。よく見ると岩と岩の隙間にも何かいる。

 初めてここに訪れたものはドリンクフリーの喫茶店のような待合室の驚き、そこに設置されたディスプレイに目を見張る。金の無駄遣いという声もあるが待合の時間を利用して技術力をアピールするにはなかなか効果的であった。ちなみに季節によって、いやむしろイベントごとにかわり、三月の終わりから四月の半ばまで映し出されていた山いっぱいの鮮やかな桜は息を飲むほど美しかったと評判が良く、実際それほど花に興味がなかった信二でさえいいと思った。

 ここには食堂はないので――たまに弁当持参して待合室で食べているものもいるが――人はいない。駅の方に行けば昼食をとれるところはかなりあるし、社員もほとんど昼休みだ。


「ウーン……、ちょっと待ってね」


 また何かやったのだろうなと確信しつつ、手元のノート型パソコンに手慣れた動きで入力を始める。

 ハタからみると妙な光景に見える。学生が受付に身をのりださんばかりに詰め寄っているのに係わらず、にこやかな受付嬢。しかしここではさほど珍しい光景ではなかった。


「あっ、でたでた。……ウーンと今は社長室ね。多分食事中じゃぁ……、でもないか、副社長も一緒ね」

「崇さんも、……じゃあちょうどいい」

「何があったの……かは、聞かなくてもすぐ分かるわね」


 一拍、ため息をつく。この会社で一、二を争うほどの被害者がこの平日の昼間、学校をサボってきたのである。さほど時間が立たないうちに話題にのぼるだろう。


「いつも大変ねぇー、信二君も」


 言葉ほど同情的に聞こえない口調で言う。しかし信二は気にしない。ある意味儀礼的な挨拶みたいなものだ。


「まったくだ! 恭子さんもこんな会社とサッサと縁切ったほうがいいぜ、いくら副社長が優秀でもあんな社長じゃ長くないぜ」

「たまーに考えなくもないけどね。でも辞めるにしてもねぇー……、何言っても今ここが一番景気いいしょっ」


 あまりといえばあまりの言葉に同じように返す。共に悪気は全くなさそうだ。


「まぁー、信二君が養ってくれるんなら即、辞めるわよ」


 座った体勢からのヤケに艶っぽい上目づかいとそのセリフは少年を慌てさせるには十分すぎるほどだった。


「なっ……、な、何、バカなこといってんじゃ……ねーよ」


 顔を真っ赤にして、それでも何とか冷静になろうとする少年の姿をカワイイと感じた。


(兄さんの方もこれくらい可愛げがあればねぇ)


「あーあ、信二君にフラれちゃった。勇気をだしてコクったのに」

「バ、バカっ……。ガキ、からかうなよ! どうせ年下より稼げる年上を選ぶんだろ、結局は」


 クスッ。その物言いが妙に面白かった。


「どうかしら、まだ愛のある結婚がしたい歳だからねぇー。まあいいわ、お兄さんに急ぎの用なんでしょ、行きなさい」


 もうちょっと遊び足りない気もするが、人がいないといってもさすがに受付でいつまでも談笑するわけにはいかない。


「っと、そうだ。じゃあ行く」


 気恥ずかしさからキッカケを与えられたのを幸いとしてすぐにエレベーターに向かおうと言葉もそこそこに身を翻す。


「あんましムキになっちゃダメよ! 口じゃかなわないんだし。……疲れるだけよ」


(それに君は人がいいんだから)


 返事の代わりに背中越しに手を振る後ろ姿を目で追いながら思った。いくら信二が反抗したところで結局彼の主張が通ったことは今まで一度もない――可哀相なことに。副社長みたいにある程度、認めて諦めればと誰しもが思うところだが、それが若さ故かもしれない。




 エレベーターに乗り込み、社長室は最上階だが地下に降りる。

地下一階は駐車場になっているのだがそこから社長室と隣接した秘書室、また地下二階の社員でも一部の関係者のみしか入れない開発部一課直通のエレベーターがある。

 社員が普通使うエレベーターは三つあるのだが四課まである営業部と開発部、七課まである企画部、会社内だけでなく他企業あるいは、異業種といった縦だけでなく横のネットワークまで管理する情報部。

 それらを運用するために、といって一つにすると権力が集中する上、多面的にみることが難しくなるので能力、理論、性格など様々な面で方向性が違う三つの事業部に副社長直属の監察部。もちろん人事や経理、事務などの部や課もあるのでかなりの人数がうごめいているのですんなりと最上階に行けるとも限らない。

 だから信二はいつも直通を利用する。関係者意外につかわせないため柵がしてある念のいれようだ。ポケットにいれた定期入れからIDカードを取り出し柵に設置された照合機に通す。ガチャと柵が開くと同時にエレベーターが動きだす。さいわいにも最後に止まったのは地下二階らしく扉が開くまでさほど時間はかからなかった。

 エレベーターに乗り込み、今度は網膜と指紋を照合する機械にそれを行うと扉が閉まりどこに行くかボタンが押せる。一人の場合はまだいいが、数人いたら人数分の確認(何人乗ったかは柵に設置されたセンサーで分かるようになっている)しなくては手間がかかりここを使う人間には不評なのだが、社長室はともかく地下二階はこの会社の核といっても過言ではないので警備は厳重になっている。


――チン


 エレベーターが最上階につき、ユックリと扉が開く。FAXつき電話やパソコンなどは高価そうだが室内は簡素な造り、また給湯場に一見してわかる品のいいカップの置かれた食器棚が目に入る。直通というものの社長室にエレベーターを設置するのは見た目が悪いので、社長室に隣接した秘書室である。しかしいるはずの秘書はいない。


――バン!


 構わず二つあるドアの内、社長室につながったドアをノックもせず乱暴に開ける。まず目に入ったのは本人にさほど必要がないのにもかかわらず無駄に豪華な檜造りの机。その上にはディスクトップ型とノート型のパソコン、電話が一台づつ。十数冊の雑誌もしくは書籍が乱雑においてあるが人はいない。


「なんだ、信二君か。おどかすなよ」


 右方向から声がした。ガラス製のテーブルを挟んでクッションがよくきいていそうな大きめのソファーが三つ。その一つ、一人用のソファーから立ち上がり、こちらを見ている若く体格のいい男性。一見、優しげだがそれでもどこか鋭さを持っている。その横でお盆を持っている品のいい感じがする女性。テーブルの上に丼物が二つとざるそばが一つ、冷たい麦茶が二つあるので秘書である彼女はが準備したのだろう。そして、


「おう、いいタイミングだ。今ちょうどメシが届いたトコだ。一応お前の好きな天丼にしといたが、なんならカツ丼とザルソバ、好きなの選んでいいぞぉー」


 長いソファーの背もたれに身体を預かせ、逆さまに見ている銀縁眼鏡の貧素な男。身体は痩せ型でヒョロッとしており、またいつも落ち着きがないかのようにフラフラしている様は見かけ以上に頼り無く見える。


「……おっと」


 後ろに反っている男に迷わず背負っている鞄を投げつけるが、腹筋の要領でアッサリとかわされる。


「俺のメシまで用意してるってことはやっぱり兄貴の仕業と思っていいんだな!」


 そう彼こそがお目当ての人間、株式会社久遠の社長にして少年の兄の菅総一郎なのである。


「……まあ、お前に振りかかる身に覚えのない火の粉の約九割はオレだと自負しているがな」

「今回は違うとでも言うのか」


 軽い口調で自慢げにいう兄に苦虫をかみ殺したような顔で低くうめくように聞き返す。そんな弟の顔を自分の顎を撫でながらしみじみ見てニカッと笑う。


「今回もその九割だ」

「一遍死ねよ!」

「お前じゃないんだから結構死んでるぞ」 

「ヴァーチャルじゃあねぇ! 実際に死んでこい」

「冗談が上手くなったなー。迫真の演技だぞ」

「俺はかなりマジだ!!」


 目は口ほどにものをいう。その座った目には迫力がこもっている。しかしその目を向けられている当の本人は飄々としている。


「かわいい弟の頼みでもそれはきけないな。なんてったって日本の、いや世界の損失だぜオレを失うことは。テクノロジーの進歩が20年遅れるぜ」

「兄貴の功績で10年進んだって何かの本に書いてたぞ! その偉業を胸に死ね、百歩譲って隠居しろ! 今なら誰からも惜しまれた上、家族、社員は兄貴から解放されて万々歳だ」


 その言葉に横にいた副社長は思わず頷きそうになった。



 菅総一郎――彼は社長としての評価はそれほど高くない。それでもわずか数年で会社を大きくしたのには訳がある。彼はエンジニアとしての評価が高い、それも半端ではなく。

 彼が企画し陣頭でしたプロジェクト、「ブレイン」の制作は世界を変えた。それまで世界最高のスーパーコンピューターが一般人の使うパソコンクラスの性能に思えるほどの超高性能スーパーコンピューターの開発に成功したのである。日進月歩で進歩するコンピューター業界であるのにかかわらず、それでも他に追随を許さないそれの発明は彼の名を世界に知らしめた。テクノロジーを飛躍的に進歩させるであろう期待される、二十一世紀最初の最高の技術者として注目されている。



「ハハッ……、まあ座れや。話は後回し、メシだ、メシ。オレは朝メシ抜いてっから腹へってんだ。和泉君、信二にもお茶持ってきてやって」

「……あっ、ハイ。かしこまりました」


 入社し、社長秘書に抜擢されてから幾度となくこの光景を見ているのだが未だにこの兄弟ゲンカになれない。信二に同情しているのだが顔にはださず、返事と一礼をし秘書室に向かう。秘書の能力としては並なのだが、その表情に感情がでないところと口の固さをかわれ社長秘書に選ばれたのだと彼女はなんとなく理解していた。

 副社長は慣れたもので投げられて放置されているカバンを拾い信二に手渡す。


「シルバーとのことだろ? 僕も驚いたというより頭抱えてるんだけど……。本、持ってるかい? おおよそのこと聞いただけど、総がメシ食ってるあいだに読ませてよ」


 慣れてはいるが楽しいものではないのだろう。どことなく口調が疲れてる。

 榊原崇。副社長である彼は「久遠」の影の誰もが認める経営者である。ガッチリとした体格ではあるが優しげな物腰、まだ30歳に手が届いていないというのに落ちつき、シッカリとした容貌と才気みなぎる眼差しの持ち主である。榊原は菅と一緒にいると顔を知らない人は間違いなく――総一郎が頼りなさげに見えるせいもあるが――榊原が社長と思う。


「……ったく、カバンの中入ってから好きに読んで。俺もメシにすっから」


 言うが早いかイスに座り、箸を口で割りつつ丼のフタを開ける。既に食べかけている兄を一瞥し、何か言いかけるが、とりあえず炎天下、走ってきた身体の休息と一筋縄でいかない男を相手にするための栄養補給を行うことにした。


(嵐の前の静けさか。メシ食ってる時くらいだものな、おとなしいのは)


 そんなことを思いながら榊原はカバンから本日発売の雑誌「ゲーム ウェイ」を取り出す。隔週で発売される雑誌だが業界での売り上げは二~三位となかなかなもの。この雑誌のウリは他社との差別化の為、攻略等の特集記事には力を入れず、最新情報――ピンからキリまであるがその情報は早く――で人気がある。その雑誌の今回の目玉特集はというと


「逆襲のシルバー。久遠との夢の対決が実現!! あのゲームの歴史を変えたブレイン・フィールドに独断を許すまじと老舗シルバーがとうとう立ち上がった!」


 見出しの陳腐さはともかく、主観がシルバーなのが引っかかった。


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