第四章 俺の世界
バランスを崩しそうになったので、俺は超重たい魔王の剣を腰にある鞘に納めた。これで俺が何かの弾みでクーや仲間を傷つけたりしたらシャレにならないからな。魔王の剣は、どうやら相当切れ味鋭いものらしい。クララの雷やテレサの風でもどうにもならなかった分厚い雲を切り裂いてしまったくらいだ。
これで俺の戦闘力も、戦力として計算できるレベルくらいにはなっただろう。ビジュアル的にも剣と甲冑を装備して、魔王らしくなったに違いない。
雲の下に出た。空を見上げれば、暗雲が立ち込めている中に一筋の光が差している。その光を浴びて、燃えるような赤い目をした巨大な白いハトに乗った俺たちはゆっくりと地上へ。棒グラフのように立ち並んだビルが地を埋め尽くす世界に降り立とうとしていた。地上から見れば、さぞ幻想的な光景に見えることだろう。
そんな時、黒い地面から立ち上ってくる熱気。そういえば、この世界は今、夏だ。かなり蒸し暑い。しかも俺は黒い甲冑に身を包んでいる。もう汗びっしょりであった。
「ねえ、ピエール! 下にある世界、何? こわい!」
「慌てなくても大丈夫だ、テレサ。あれは俺が育った街なんだよ」
「そう……なんだ……。おかしな街ね……」
確かに、魔女の街で生まれ育ったテレサやクララにとっては、不思議な町かもしれない。整った形の建物が合理的に立ち並んでいるし、自然物が極端に少ないからな。
「ピエールさんも、テレサさんも、安心するのはまだ早いですよ。もう一度上を見てください」
「え?」
ハンザに言われた通りに、再び上空を見上げると……
「カァ、カァ、カァ、カァ、カァ、カァ、カァ!」
空を埋め尽くさんばかりの黒い塊があった。正確に言えば、塊ではない。槍を持ったカラス兵の群れが、何体もの巨大な鳥の姿を形作って、猛スピードでこちらに向かってくる。
「――風よ!」「――雷よ!」
テレサとクララが同時に言うと、大風が黒い塊を襲い、稲妻が別の黒い塊に落ちた。黒い鳥の形をした塊は、弾け散ったが、すぐに修復されてしまう。
「ダメ……数が多すぎるわ」
クララの弱音。
「このままでは追いつかれてしまいます……こうなれば……」
とハンザ。
一体、何をするつもりだろうか。以前、巨大フナムシを倒した時のようにカラスを撃退する煙を発する装置とかを出してくれるのだろうか。だったら良いなと期待する俺。ハンザは茶色い鞄をゴソゴソと探す。しかし、探している間に、カラス兵たちに追いつかれてしまった。
「クー。もっと速く飛べないのか?」
訊くと、
〔すみません、ご主人様。これが限界速度です〕
クーは答えた。
「ダメ! 追いつかれる!」
テレサの悲鳴。
「てこずらせやがって、反逆者どもめ!」
カラス兵の勝ち誇った声。
追いつかれてしまった。
そして……
〔ウワー〕
ドスドス、という鈍い音がして、クーの強そうな胸は槍で突き刺された。
「く……くるっぽぅ……」
苦しそうな声。クーの翼の動きが鈍り、どんどん高度が下がっていく。
「クーちゃん!」
テレサが叫ぶ。叫ぶ間にも、クーに刺さる槍の数は増えていく。赤い血と大きな赤い羽根が舞い散る。俺はただその光景を見ていることしかできない。呆然としながら。
「クーちゃん! しっかりして!」
〔……もう、ダメです。ご主人様、飛び降りてください。このままボクの背中に居るのは危険です。それよりも魔王の甲冑もあります……飛び降りた方が……〕
「バカ野郎! お前を置いて行けるかよ!」
クーの白い体は次第に赤く染まっていく。
〔ご主人様……〕
その時、ようやくハンザが茶色い鞄から何かを見つけた。
「僕の七つ道具の一つ! 光る金色の星型ペンダント!」
キラキラと輝く首飾りを空に向かって高く掲げるハンザ。何だ、それにどんな意味がある?
不思議な力を持ったペンダントでカラス兵を落とす事ができるのだろうか。あるいは強い光でも放って、鳥たちの目をくらますことでもできるのだろうか。
だが、カラス兵たちは少しも怯まず、全員ハンザの方へ一直線に向かっているようだ。
「さあ、愚鈍なカラスたちよ。このキラキラしたものに群がって来るが良い!」
ハンザはそう言って、クーの背中から飛び降りた。
「な……ハンザ!」
自ら囮になろうというのか!
俺たちを助けるために……そのための犠牲になろうとしているのか。
遠ざかってくハンザ。その顔は、安心してください、とでも言うように笑っていた。
すると次の瞬間にはクララが、
「待って! ハンザ!」
叫んで、こちらもハンザを追うように飛び降りた。自由落下してゆく。
「……クララ!」
更にテレサも彼女を追って飛び降りようとする素振りを見せたが、俺の方をちらと見て中止した。カラス兵は全てハンザの方へと飛び去ってしまい、一瞬の静寂。
暗雲、雲間からの光の中、俺とテレサとクーが居た。
[ご主人様……どうか、どうかご無事で……]
体中を槍で串刺しにされたクーは、弱々しい声で言った。そして……その言葉を最後に、気を失った。
「クー!」
「クーちゃん!」
クーはバランスを崩して、垂直に落ちていく。
「いけない……――風よ!」
テレサが風を起こし、落下を緩やかなものにしてくれる。
「うわぁあああ!」
しかしそれでも俺は、高所から落ちるという状況に怯え、叫び声を上げる。当然だ。遊びのバンジージャンプでもなければ、インストラクター付きのスカイダイビングでもない。
高い場所から落ちれば死ぬのだ。そんなことは皆が知っていることだろう。
「あああああああ!」
情けない声を上げて、じたばたする。目をつぶって更にパニック。
「ピエール!」
テレサの声。そして、温かい体温を感じた。
「ピエール……大丈夫だから……私の力で……守る……」
抱きしめられているようだった。黒い甲冑の上からでも、限りない温かさを感じた。
体から力が抜けていく。
少しずつ、冷静さを取り戻す。
テレサ……。
「目を開けて、ピエール。目を閉じて見えるのは、目を閉じた世界だけだよ。そんなの、つまんないよ」
「テレサ……好きだ……テレサ……」
「私もよ、ピエール」
俺はテレサを抱きしめ返して、目を開いた。視界は、ゆっくりと下から上へ流れてゆく。
遠くに、パラシュートでゆっくりと降下するハンザとクララが見えた。ハンザは本当に、色んなものを持っているな。すごい奴だ。
棒グラフのようなビル群が間近に迫り、ビルの頂上が見えなくなった。ビルの隙間を降りていく。視界がどんどん狭くなる。下を見れば、見慣れた街並み。しかし、どうしたことだろう、街には人の気配が無かった。車道の車もほぼ無く、人っ子一人見当たらない。いくら暗雲が立ち込めているとはいえ、まだ早朝でもなければ深夜でもない。この都会の街で、昼間の無人は異常だと言えた。
俺とテレサは、大きな門の前の歩道、アスファルトにふわりと着地する。やはり周囲に人は居ない。
「ありがとう……テレサ」
俺がそう言ってテレサから離れた時、テレサの膝がガクンと折れて、固い地面にドサリと横たわった。
「テレサ……テレサ? テレサ!」
慌てて揺する。まさか、これでもう目覚めないとか言うんじゃないだろうな。そんな別れがあってたまるか。そんな運命だったなら、俺は遠慮なく世界を憎むぞ。テレサのいない世界なんて、ダメだ、生きていられない。もしも世界崩壊のスイッチとかあったら押す。押すぞ。
「テレサ! テレサ!」
叫ぶ。彼女が返事をするまで、俺は叫び続ける。
「テレサァ!」
「……ん……っ」
目は閉じたままで、返事と言う返事ではなかったが、反応を返してくれた。
よかった……生きてた……。
俺は心の底から安堵する。
「あ……ピエール……大丈夫……少し、チカラを使いすぎちゃっただけだから……少し眠れば、治るから」
「ああ、ああ。わかった。ありがとう、大丈夫だ。今度は俺が守ってやるから、今は寝ていろ」
「本当? 約束だよ?」
「ああ。約束だ」
ここは俺の世界だ。テレサよりも、この世界の勝手がわかる。だから、守ろう。そう決めた。
そしてテレサの体から力が抜けて、くーくーと寝息を立てて眠ってしまった。
そういえば、「くーくー」というキーワードで思い出したが、クーはどうしただろうか。俺は周囲を見渡す。
すると、背後に小さくなった白いハトが、血に染まって横たわっているのが見えた。ボロボロの身体を拾い上げてみる。
すると、ネクタルの効能だろうか、あれだけ串刺しにされてもまだ生きているようだ。それどころか、不思議な事にみるみるうちに傷が塞がり、元の白く綺麗な羽を取り戻した。
上空を見上げると、次第に閉じていく雲間に、大量のカラス兵が吸い込まれていくのが見えた。どうやら俺たちを追うのを諦めたらしい。
「ふぅ……」
そこで、一つ、俺は大きく溜息を吐いた。
「あれ……そういえば……ここ……」
さらに俺はあることに気付いて呟き、テレサのお気に入りのハトを抱いたままでもう一度周囲を見渡す。
目の前の門に、見覚えがあった。
「ここ……俺が通ってた高校じゃねえか……」
だいぶ、遅刻してしまったかな。何日サボったことになってるかな。
と、そんなことを考えたまさにその時――
キキィ!
車のタイヤとアスファルトが擦れる音がした。
「何……だ……?」俺は呟く。
振り返ると、白い車があって、車の上に取り付けられた赤い回転灯がチラチラと光っていた。
その姿はまるで――
「パトカー?」
まるで、というよりも、どう見てもパトカーだった。
何でこんな所に、と俺は思った。
ガチャと車の扉の開く音と共に、刑事だろうか、背広姿の一人の男が助手席から外に出てきた。
「黒い甲冑、黒の剣。まちがいない……予言で語られた魔王、ピエール……しかし……本当にこんな若者が……?」
また予言がどうとか呟いている。この世界にも予言というものがあるのか。ということは、ここは俺の住んでいた街に良く似ている別の街ということか?
考えてみれば、そうだよな。この都会で昼間なのに人影が無いなんてこと、俺の世界だったらあり得ないもんな。ああ、まだ異世界か、俺の世界にはどうやったら戻ることができるんだろうか。
「誰ですか?」
俺は訊いた。
「私は、刑事だ。君を捕まえに来た?」
え。捕まえる?
何でなんで?
「とぼけた顔をしてもムダだ。ちょうど一週間前の六月三十日に予言者が現れて言ったのだ。『世界を滅ぼす恐怖の魔王ピエール、黒い甲冑に身を包み、黒剣を持ち、天を割って姿を現し、世界を破滅へと導くであろう』と。世界を恐怖に陥れた罪はあまりにも重い」
そんな滅茶苦茶な……非現実的だ。俺が子供の頃に流行ったノストラダムスの終末予言みたいじゃないか。
それに、六月三十日が一週間前というのもおかしい。俺は数ヶ月もの間、テレサの手料理を毎朝食わされていたはずだ。だから、今はもう秋になっていてもおかしくないはずなんだ。
どういうことだ。わけわかんねぇ……。
目の前の刑事はなおも続ける。
「その顔は信じていない顔だな。だが、現実に黒い甲冑を着て、黒い剣を持った君が天を割って現れた。これは君が魔王である証拠として十分効力を発揮するのではないか?」
「そんなもの、証拠にはならないじゃないか。確かに俺は魔王だが」
「ほう、自供してくれたか。言っておくが恐怖の魔王ピエール。いや本名、西荻窪マモル――」
――西荻窪マモル?
ああ……ああ、そういえば、俺の名前、そんな名前だったっけ。気付けば、すっかり自分は生まれた時からピエールという名なんだと思うようになってしまっていた。
「――君は完全に包囲されているぞ。もう逃げ場は無いと思え」
俺はハトを手の中に抱いたまま、アホみたいに現実逃避していたと思う。どこか別世界に居るような感覚で、世界を見ていた。
なおも刑事の話は続く。
「そして、こちらにはもう一つ切り札があるんだ」
「切り札?」
「そう、切り札だ」
刑事はパトカーを振り返り、手招き。来なさい、というようなジェスチャー。そして、車の扉が開き、制服を着た警官と共に二人の女の子が出てきた。
一人は銀色のペンダントをした背の低い女の子、吉祥寺悟。
もう一人は、黒髪を後ろで束ねたポニーテールの快活女子、三鷹未来。
二人共、後ろ手で手を縛られているか、手錠を掛けられているのか、後ろに手を回したまま動かせないでいるようだ。まさか、人質……というやつだろうか。
でも待てよ。彼女ら二人が此処に居るということは、やっぱりここは異世界じゃなくて、元の俺の世界なのか?
「吉祥寺……三鷹……お前らどうして……」
俺が呟くと、三鷹未来は叫ぶように、「どうしたもこうしたも無いよ!」と言った。
そして吉祥寺は疲れ果てた声で静かに、「ひどいよ、マモル……魔王だったなんて……ずっとだましていたんだね」と言った。
なんだ、何だこれ。わけわかんねえ……。
「いい人ぶって、実は魔王なんてさ! 私、人を信じることができなくなりそうだよ!」
三鷹未来は叫び、俺をにらみつける。
「ち……違う……俺は……」
「違う? 何が? 世界を恐怖に陥れて、最低!」
最低……最低……。
三鷹未来の声が、何度か頭の中に反響した。
「違うんだ、刑事さん!」
俺は事情を説明しようと必死に思考をめぐらせる。
「違う? 何が違うんだ」
「えっと…………」
うまく説明できない。というより、俺がピエールという名を持っていて、魔王と呼ばれているのは紛れもない事実で、その事自体で罪を問われている以上、言い逃れなんてできそうもなかった。
俺が次の言葉を見つけられないでいると、刑事が、
「世界が、世界がやがて来る滅びに怯えた一週間は、今、終わる。予言の魔王、ピエールの死によって!」
死?
えっと……死?
ああ、え……俺、死ぬの?
何で?
「違う! 俺はピエールじゃなかった! 今はピエールだけど違ったんだ!」
俺は叫んだ。
「確保しろ! 後ろの青髪の女も一緒にだ!」
聞き入れられない。
「や、やめろぉ! テレサには手を出すなぁあああ!」
俺が守るって約束した。この刑事を斬ってでもテレサは俺が守るんだ!
そして俺は、抱えていた白いハトを地面に置いて、腰にあった魔王の剣を抜いた。
「発砲を許可する。世界を守るために、魔王を捕らえろ!」
何言ってるんだ!
何を、何を狂ったことを言ってるんだ!
俺が世界を壊すわけがないじゃないか!
俺は誰よりも平和を愛する男だぞ!
この世のほとんどを俺は愛していて、この世界の全ての人を幸せにしてやりたいとさえ思っているんだ!
「お……俺は恐怖の魔王なんかじゃねえ!」
俺は大声で叫ぶ。
「魔王は皆そう言うんだ!」
刑事も叫ぶ。
逃げたいと思った。逃げるわけにはいかない。テレサが捕まってしまう。吉祥寺悟が捕まっている。三鷹未来が捕まっている。
「世界を壊そうとなんか――」
その時、背後から機動隊に飛び掛かられた。信じられないことだが、本当に俺一人を捕まえるために、大勢の警官が動員されているようだ。
俺は人の波に揉み潰されて、うつ伏せに倒れた。
そこを誰かによって後ろ手に手錠を掛けられ、足にも枷がはめられた。
頬に触れるアスファルトが熱い。鉄板のように熱い。
「こんな終わり方があっていいのかよ!」
警官に押さえつけられながら、俺は叫んでいた。
「オイ! こたえろよオイ!」
そんな俺の言葉を無視して警官は言う。
「十四時四十四分、魔王ピエール確保!」
と。
「おい、答えろよ!」
「黙れ! この恐怖の魔王が!」
「違う……違うのに……」
先刻まで俺の手にいた白いハトが、バサバサバサ、と俺から距離を取るように少し飛び、熱されたアスファルトに着地して、赤いつぶらな瞳で俺を見た。
「くるっぽー」
歩きながら首を前に後ろに突き出したり引っ込めたりして平和そうに声を出した。
本当に……本当に、俺が死ねば世界が何かに怯えなくて済むのだろうか。
皆幸せに暮らして行けるのだろうか。
クーも、テレサも、吉祥寺も、三鷹も、ハンザも、クララも……ラカンス、デミン、リュシュ、鍾乳洞世界の長老、ハーラーン、バンジョウ、モアレ、アンガリー、俺たちを殺そうとしたラスカルアルタミーラさえ。
俺は皆の幸せのために、犠牲にならなくてはいけないのか。
西暦も二千年をとっくに過ぎた今になって、ノストラダムスの予言みたいなのが俺を殺すのか。
嗚呼――何だったんだ、俺の人生……。
大好きなテレサも守れずに……。
「…………」
そして……何か眠り薬でも投与されただろうか。
それとも絶望が俺の意識を奪ったのだろうか。
視界は、暗転した。
カタタタタタ……。
どこかで車輪の音がする。




