母
なんだろう。
とても暖かい。
もふもふしている。
陽だまりの匂いだ。
抱き締めたそれに頬擦りをし、はっと目が覚めた。
「リュ、リュシール!」
私の腕の中で、白目を向いた黒猫が桜色の舌をぺろんと出し、グッタリとしている。
「ごめんなさい!リュシール、大丈夫!?」
「大丈夫だ…」
よろよろと起き上がった黒猫が、ぴょん、とベッドから飛び降りた。
床に座って、乱れた毛並みを整えている。
すると、扉が小さくノックされた。
「おはようございますお嬢様。お目覚めですか?」
「え、ええ!ちょっと待ってね」
私は慌ててリュシールに近付き、小さな声で言った。
「リュシール!いきなり猫がいたら、サーシャが驚くわ!どこかに隠れられる?」
「もちろん。お前の体のどこかに、契約印があるはずだ。見せてくれるか」
「契約印?もしかして、これ?」
そっと人差し指の爪を見せる。
黒い星がきらりと光った。
「そうそう。やっぱりエルデと同じところだな」
そう言ったリュシールは、瞬きのうちに黒い星に吸い込まれて行った。
「契約印は悪魔と、悪魔と契約した奴にしか見えない。安心しろ」
頭の中にリュシールの声が響く。
「わかったわ」
私はほっとして、扉の前のサーシャに声をかけた。
「おはよう、サーシャ」
「おはようございますお嬢様。そんな所でどうされましたか?」
部屋の真ん中に突っ立っていた私を見て、サーシャが首を傾げる。
「お、お腹がすいちゃってね…」
「ふふ、料理長がお嬢様が可哀想だと言って、フレンチトーストにしたみたいですよ」
「本当?早く食べたいわ!」
朝の身支度を整え、軽い足取りで食堂へ向かう。
(そういえば、エルデは朝が苦手だったにゃあ)
「そうなの?」
「お嬢様?なんでございますか?」
「あっ!なんでもないわ!」
不意に頭の中に響いたリュシールの声に、思わず反応してしまった。
(心の中で話したいことを思い浮かべるだけでいいにゃ)
(…わかったわ)
食堂へ入ると、父と母が既に席についていた。
「おはようございますお父様、お母様」
「おはよう、ローズ」
「おはよう。今日はあなたの大好物よ」
食卓の上には、ふっくらと焼かれたフレンチトーストが用意されている。
バニラアイスとバターが添えられていて、その上にたっぷりと蜂蜜がかかっていた。
「美味しそう!いただきます!」
じゅわりと甘いフレンチトーストに、カリカリベーコンの乗ったサラダ、そして濃いブラックコーヒー。
私の大好きなメニューだ。
「ローズ」
既に朝食を終えて食後のお茶を飲んでいた母が、ゆっくりと口を開いた。
「昨日の夜、旦那様から聞いたわ。あなたって子は本当に昔から無鉄砲なんだから…今ビクトル殿下とマドリーヌ男爵令嬢の安否を確認しているから、今日は家にいて頂戴。それからその…呼び出された悪魔について、もっと詳しいことは分からないの?物語の中だと、よく対価を求められると書いてあるけれど…あなたまさか…」
母の顔色は悪かった。
目の下に隈が浮かんでいる。
私はそっとカトラリーを置いた。
心の中でリュシールに話しかける。
(…リュシール、どうしたらいい?)
(エルメが良いなら、俺が姿を見せて説明してやるにゃん)
(いいの?)
(もちろん。俺はエルデに子孫を守ってくれと託されたんだにゃ。こいつらも、ティアリーゼ公爵家の子孫に違いないからな)
(じゃあ、お願いするわ)
ピカリと、黒い星が光った。
そして。
「恐れおののけ!我こそ偉大なる黒猫にして、ティアリーゼ公爵家の守護者!名を───リ─ユ────シル─────である!遠慮なくリュシール様と呼ぶがいいにゃ!!」
テーブルの上に仁王立ちになり、リュシールが高らかに言って胸を張った。
突如として現れた黒猫が、二本足で立って腰に手を当てている。
驚いた父が読んでいた新聞を引きちぎり、母の手からカップが転げ落ちた。
二人とも目を見開き、口をぽかりと開けたまま硬直している。
私はやれやれと肩を落とした。
「どうした?遠慮なく崇めるにゃ!」
「あ、あ、貴方が悪魔なの!?」
「如何にも!」
「しゅ、守護者とは、いったい…?」
動揺する両親を尻目に、私は残った朝食を平らげる。
そしてゆっくり立ち上がった。
「とりあえず、場所を移しましょう」
ひとまず、家族会議を始めよう。




