末路
母は父と帰ってくるらしいので、私はサーシャを伴って馬車乗り場を目指した。
静かな廊下に、二人分の足音が響く。
しかし、不意に背後でどさりと何かが倒れる音がした。
「サーシャ?」
振り返ると、サーシャが廊下に崩れ落ちている。
「サーシャ!!!」
駆け寄って抱き起こす。
顔を覗き込むと、サーシャは穏やかな顔で眠っているようだった。
ほっと胸を撫で下ろす。
その時、別れた廊下の角から、桃色のドレスを着た女が姿を見せた。
「ごきげんよう、エルメローズ様」
ゆらりと現れたのは、マドリーヌだった。
派手な帽子を被り、垂れ下がったレースで顔を隠している。
そして何故か、人参を握りしめていた。
(人参…?なんで…?)
私はサーシャを抱き締めた。
「…貴方に、名前呼びを許可した覚えはないわ」
下がりたくても、サーシャを抱えたままだと流石に動けない。
「私の侍女に何をしたの!?」
「ふふ、相変わらず、お高く止まっちゃって…安心しなさい、眠ってるだけよ。あたしの目的は、あんただけだもの」
そしてマドリーヌは、何もない場所に持っていた人参を投げつけた。
「ほら、さっさとしなさい!こいつを殺すのよ!!!」
人参が転がった箇所から、ぼんやりと何かが姿を見せる。
それはボロボロ毛並みの、小さな狸だった。
がっちりと首輪がかけられて、ところどころ怪我をして血が滲んでいる。
「む、むり、無理ですよぅ。ぼくの力じゃ、そんなこと出来ないぽ…」
「うるさい!!!いいからやりなさい!!!もっと酷い目にあってもいいの!?」
怒鳴りつけられ、狸はますます小さくなった。
業を煮やしたマドリーヌが、走り寄って狸の頭を引っ掴む。
そして思い切り私の方に投げつけてきた。
「きゃ!」
サーシャに覆いかぶさり、顔を伏せる。
その時。
爪の先の星が光った。
現れた黒い影が立ち塞がる。
「リュシー、ル…?」
高い背丈。
漆黒の軍服に、金の装飾の着いた豪奢なマント。
彩られたルビーがきらりと光る。
「我が契約者に危害を加えようとするとは、なんて愚かな!しかも敬うべき聖霊に非道な仕打ち…許される事ではないぞ!!!」
轟くような怒鳴り声に、マドリーヌがへたり込んだ。
「もう許さぬ!この俺がお前の魂を地獄に落としてやろう!!!」
黒い風が吹き荒れた。
窓が揺れ、空気が冷える。
廊下に落ちた影から、無数の手が伸びた。
「いやぁぁぁ!なに!?なんなのこれ!!!」
手は容赦なくマドリーヌの体に絡みついていく。
「助けて!やめて!!!」
ぱさりと落ちた帽子が転がる。
顕になった顔は、酷く荒れてボロボロだった。
マドリーヌの体がずるりと影に沈む。
「いやぁぁぁ!!!」
悲鳴を残し、マドリーヌの姿は完全に消えた。
廊下が元の静かな様子を取り戻す。
私は吹き飛ばされて転がってきた狸とサーシャ抱き締めながら、遠のきそうになる意識を必死で保とうとした。
「リュ、シール…」
「エルメ、もう大丈夫だ。いいから、休め」
屈んで私の顔を覗き込んだ男が、穏やかな顔で言う。
美しい、赤い瞳が輝いている。
そして私は、意識を失った。
黒猫が鳴く声を聴きながら。




