第9話 銀色の見送り
そうして僕たちは、四年間を過ごした住み慣れた家を後にし、山を降り始めた。
……だが、山を包む深い霧は、最後まで僕を甘やかしてはくれなかった。
「師匠ーっ! どこですかーっ!?」
叫んでも、返ってくるのは自分の声の反響だけ。
ほんの少し目を離した隙に、僕は濃密な乳白色の闇に巻かれ、あろうことか旅の初日に師匠とはぐれてしまったのだ。
「しまったなぁ……」
僕は頭を掻きながら、数分前の出来事を思い返していた。
霧の中を歩き始めてしばらくした頃。
不意に、背後からじっと見つめるような、静かな視線を感じたのだ。
もしかして――。
そう思って足を止め、目を凝らした僕の前に、それは現れた。
かつてこの山を登っていた道中に出会った、あの『ミスト・リンクス』だ。
月日を経て二度目となるその姿は、相変わらず言葉を失うほど神々しく、銀色の毛並みは霧を透かして淡く発光しているように見えた。
けれど、その瞳は以前よりもずっと穏やかで、まるで僕の成長を認めてくれているかのようだった。
「……今まで、ありがとうございました。僕、今日でこの山を降ります。……お世話になりました」
感謝を込めて、ささやくようにそう告げた。
すると、ミスト・リンクスはじっと僕を見据えたあと、静かに、深く、その頭を垂れてみせたのだ。
それは、まるで「王」を前にした臣下が見せる、忠誠の礼のようだった。
僕が驚きに目を見開いている間に、銀色の幻影は音もなく、すうっと白い帳の向こうへ消えていった。
「今の……、何だったんだろう」
自分に向けられたとは思えないほど、あまりに気高く重い敬意。
それを振り払うように、僕は小さく首を振った。
「……あ」
そしてその時、ようやく気づいたのだ。
見惚れていた数分の間に、僕を導くはずの師匠の背中が、どこにも見当たらなくなっていることに。
「師匠! 師匠ーっ!!」
喉がちぎれるほど叫んでみたが、返ってくるのは自分の声の反響だけだ。
この濃い霧の中で闇雲に探し回るのは、あまりに無謀すぎる。
……いや、あの師匠のことだ。
僕を見失ったと気づけば、今頃は血相を変えて、僕以上に焦って探し回っているに違いない。
(……麓まで降りれば、霧も薄くなる。きっと師匠もそこを目指しているはずだ!)
僕は自分に言い聞かせるように頷くと、転がるような勢いで山を下り始めた。
四年間、毎日岩場を跳ねるフェルゴートを追い回した僕の足は、自分でも驚くほど軽かった。
重力に背中を押され、飛ぶように斜面を駆け抜けていく。
山を下るスピードは、登る時よりもずっと速く、風を切る感覚が心地よかった。
――だが、その心地よさは、一瞬にして冷ややかな警戒心へと塗り替えられた。




