表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【絶望から始まる英雄譚】呪われた右腕が輝く時、世界は彼を『王』と呼ぶ 〜半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零
第一章 呪われた右腕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/9

第5話 無知な少年と、底知れぬ守護者

 

 師匠に助けてもらってから一週間。

 師匠はほとんど口を利かず、ただ迷いのない足取りでずんずんと進んでいった。

 人目を避けるように道なき深き森を突き進むその後ろ姿を、僕は必死に追いかけ続けた。


 そうして辿り着いた僕たちの前には、今、天をも衝くほどの巨山がそびえ立っている。

 見上げれば首が痛くなるほどに高く、険しい。

 その裾野には、まるで行く手を阻む壁のように、白く重い霧が山の中腹ちゅうふくまで深く立ち込めていた。


 ガサリッ。


 不吉な音と共に、鬱蒼とした茂みからその巨躯が姿を現した。

 大人の背丈の倍はある、鋼鉄熊『アイアン・グリズリー』だ。

 針金のように硬い毛皮が金属光沢を放ち、岩のような筋肉に覆われたその獣は、僕を見つけるなり、空気を震わせるほどの咆哮を上げようと大きく口を開いた。


 ――だが、その咆哮が響くことはなかった。


 僕が恐怖で身をすくませた、その一瞬。

 剣を抜く金属音さえ、聞こえなかった。


 ただ、一筋の銀光が空を裂いたかと思った次の瞬間。


 ドォォッ、と。

 大熊の巨大な頭部が、まるで最初からそこになかったかのように、重力に従って地面へ転がり落ちた。


 断末魔も、抵抗もない。

 切り口からは血が噴き出すことすら遅れるほどの、あまりに鋭く、速すぎる一撃。


 何度見ても、息を呑むほどの神業だ。

 けれど、その鮮やかすぎる幕引きとは裏腹に、僕は倒れ伏した巨躯を見つめて密かに肩を落としていた。


(……ああ、また()()か)


 師匠と行動を共にしてからの一週間、僕たちの食事はすべて、師匠が道すがらに狩る魔物で賄われていた。


 そして僕は、この短期間ですでに学んでしまっていたのだ。

 熊系の魔物は――特にアイアン・グリズリーのような強靭な種は――肉が驚くほど硬く、鼻をつくような独特の獣臭さがあるということを。


 生きるために贅沢は言えない。

 けれど、連日「臭みの強い肉」を食べるということは、十二歳の僕にとって、なかなか過酷なものだった。


 それにしても、この七日間で世界の見え方は一変してしまった。

 村にいた頃、森で見かける魔物といえば、額に小さな角を持つ一角兎『ホーンラビット』や、風のようにすばしっこい瞬身リス『ウィンドリス』くらいのものだった。

 それだって、たまに出くわして驚く程度だったのに。


 師匠と行動を共にするようになってからは、初めて見る大きな魔物ばかりだ。

 道すがら、師匠は遭遇する魔物の名を一つ一つ教えてくれた。

 群れで襲いくるゴブリン、醜悪な豚の顔をしたオーク、そして先ほどの一撃で沈んだアイアン・グリズリーや巨大な魔猪『ワイルドボア』――。


 数え上げればキリがないほどの「本物の脅威」が、この森には、そして世界には満ち溢れている。

 その事実を知るたびに、僕は自分の無知さと、隣を歩く師匠の底知れなさを思い知らされるのだった。


 手際よくアイアン・グリズリーを解体していた師匠が、ふと顔を上げた。


「……今日はここで野宿するぞ」


 僕は「はい」と短く答えたものの、視線は地面に転がる熊の肉に固定されていた。


(やっぱり、今夜もこれなんだ……)


 隠しきれない落胆が顔に出ていたのだろう。

 師匠はフン、と鼻を鳴らした。


 彼はいつものように手早く火を起こし、野宿の準備を一通り整えると、おもむろに腰を上げた。


「ここから動くでないぞ。すぐ戻る」


 それだけ言い残すと、師匠は音もなく夜の闇が降り始めた森の中へと消えてしまった。


 残された僕は、途端に押し寄せてきた静寂に身をすくませた。

 あたりはもう、手のひらを見るのも難しいほどに薄暗い。

 つい先ほどまで師匠が教えてくれていた「魔物たちの名前」が脳裏をよぎり、風に揺れる木の葉の音さえ、何かの唸り声のように聞こえてしまう。


 パチッ、と焚き火が爆ぜる音だけが、今の僕にとって唯一の味方だった。

 膝を抱え、心細さに耐えながら待っていると――。


 ガサッ。


 すぐ近くの茂みが、大きく揺れた。

 僕はヒッと息を呑み、全身の筋肉を硬直させる。

 何かが来る。

 凶悪な爪か、あるいは……。


 しかし、茂みをかき分けて現れたのは、見慣れた筋骨隆々の人影だった。


「…………師匠?」


 安堵で膝から力が抜けそうになる僕を、師匠は一瞥もせず火のそばに座り込んだ。

 その大きな手には、数種類の青々とした香草が握られていた。


「これを使えば、少しはマシな味になるじゃろう」


 ぶっきらぼうに投げられたその草は、焚き火の熱に煽られ、爽やかな香りをふわりと漂わせた。


 その香草を纏わせて焼き上げたグリズリーの肉は、「美味しい」と手放しで言えるほどではない。

 けれど、鼻をつく獣臭さは驚くほど和らぎ、今までよりずっと喉を通りやすかった。


 一心不乱に肉を頬張る僕を、師匠は横目で見て、ふっと小さく、慈しむように目を細めた。

 それは、滅多に見ることのできない、師匠の静かな微笑みだった。


「……明日はあの霧を抜け、本格的に山に入るぞ。これまでの道など、散歩に等しかったと思えるほど辛い日々になる。今日は余計なことは考えず、ゆっくり休め」


 僕はただ、短く頷いた。

 視線の先、夜の闇に同化した巨大な山の影を見据える。

 霧の向こうに隠れたその峻険な姿は、まるで意志を持つ巨大な怪物のようにも見えた。


 明日からは、どんな日々が始まるのだろう。


 焚き火の温もりとは裏腹に、未知の試練への期待と緊張で、僕の心は小さく、けれど激しく震えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ