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【絶望から始まる英雄譚】呪われた右腕が輝く時、世界は彼を『王』と呼ぶ 〜半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~  作者: 御影 零
第一章 呪われた右腕

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第3話 隻眼の騎士

 

 村を飛び出してから、どれくらいの時間が経っただろう。  

 三日か、四日か。

 空腹と渇きで、時間の感覚すら曖昧になっていた。


 深い森の中。

 冷たい雨が降り注いでいる。  

 僕は大木の根元にうずくまり、ガタガタと震えていた。


「寒い……痛いよ……」


 額の傷は化膿し始めてズキズキと痛む。  

 でも、もっと怖いのは右腕だった。  

 あの時、異形化した右腕は、時間が経つにつれて元の肌色に戻っていった。

 今は見た目こそ普通の人間の腕だ。  

 けれど、皮膚の下には「何か」が脈打っているのがわかる。  

 ドクン、ドクンと、黒くて熱い何かが、僕の体を蝕んでいるような感覚。


「……出てくるな。お願いだから」


 僕はボロボロになった服の袖を無理やり引き伸ばし、右腕を隠すように縛った。  

 これを見られたら、また石を投げられる。


 また、大好きな人たちに拒絶される。


 ――死んじゃおうかな。


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。  

 村には帰れない。

 行くあてもない。

 魔物におびえ、人間に嫌われ、一人で生きていくなんて無理だ。  

 意識が遠のいていく。  

 雨音が遠くなる。  

 このまま眠れば、もう痛くないかもしれない――。


 ザッ、ザッ、ザッ。


 泥を踏みしめる、重い足音が聞こえた。  

 魔物じゃない。

 二本足の、人間の足音だ。


(人間……! 見つかったら殺される!)


 僕は弾かれたように顔を上げた。  

 雨のカーテンの向こうから、一人の男が歩いてくる。

 灰色のマントを羽織った、大柄な老人だった。  


 鉄錆のような色をした、短く刈り込んだ白髪混じりの髪。

 その額には、鈍い光を放つ無骨な鉄の額当て(ヘッドガード)が深く締められていた。  

 装飾の一切ないそれは、幾多の剣戟を弾いてきたのか、無数の細かい傷が刻まれている。


 マントの隙間からのぞく鉄鎧も、まるで彼自身の皮膚の一部であるかのように、その重厚な身体に馴染みきっていた。


 腰には使い込まれた剣を差し、左目は眼帯で覆われている。

 残った右目は、鷲のように鋭く僕を射抜いていた。


「……おい」


 低い、腹に響くような声だった。  

 老人が僕を見下ろす。


「こんなところで何をしておる。ここは魔物の縄張りじゃぞ」


 僕は反射的に後ずさった。  

 右腕を背中に隠し、必死に首を振る。


「こ、来ないで……! あっち行って!」


「ほう? 怪我をしておるな。見せてみろ」


 老人が一歩近づく。  

 その威圧感は、村一番の力持ちだった鍛冶屋のおじさんなんかより、ずっと怖かった。 

 でも、捕まるわけにはいかない。


「触るなッ! 僕は……僕は化け物なんだぞ!」


 精一杯の虚勢を張って叫ぶ。  

 これで怖がって逃げてくれればいい。

 あるいは、剣を抜いて殺してくれれば、それで終わる。


 老人は、眉一つ動かさなかった。  

 絶望し、死を受け入れようとしている僕の瞳を、彼は逃さじと見据えている。

 その眼差しは「お前は、本当にここで終わるのか」と、魂を試しているようでもあった。


「化け物、か。……たしかに、ひどい顔をしておるわ」


「え……?」


「泥と血と涙でぐちゃぐちゃじゃ。これではゴブリンも逃げ出すわい」


 老人は肩をすくめると、僕の目の前にしゃがみ込んだ。

 そして、懐から取り出した大きな干し肉を、素手で無造作に二つに引きちぎる。


「……ほれ」


 彼は、大きい方の半分を僕の泥だらけの手の中に押し付けてきた。


「……え?」


「死にたいなら止めん。だが、腹が減ったまま死ぬのは惨めだぞ。生きるなら、まず顎を動かせ」


 食べ物の匂いがした瞬間、お腹が勝手に鳴った。

 僕は迷いながらも、泥だらけの手で干し肉を受け取り、(かぶ)り付いた。  

 硬くて、しょっぱくて、泥の味がした。  


 でも、涙が出るほど美味しかった。


 夢中で肉を食べている僕を、老人は黙って見つめていた。  

 その瞬間、彼の頬がわずかに緩んだのを僕は知らない。  

「生きる」ことを選んだ僕を、彼がどれほどの誇りを持って見守っていたか、当時の僕は知る由もなかったんだ。



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