神の贄とカルマ1 塩と腐敗の盟約
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歴史とは時に残酷で無慈悲だ。還らぬ者がいたとしても、それは世界の運命なのだと割り切るしかない。
〜古き時代の記録者より〜
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山肌を削るような吹き下ろしの風が、痩せた麦の穂を揺らす。それは、まるで金色の絨毯のように西陽に照らされていた。
山頂近くの僅かな平原。かつて地上に暮らしていた古き民は「爛れた民族」と呼ばれ、勢力争いの結果、この厳しい世界に追い立てられ、質素な暮らしを続けている。
その日、成人の儀式に集ったのは三人の若者だった。導き手たる神父は、神殿で厳かに神に誓いを捧げ、三人は成人の試練に挑むこととなる。それは大人への通過儀礼であり、社会奉仕を通じて集落の一員となるための第一歩のはずだった。
山間部の自給自足では、どうしても手に入らないものがある。命を繋ぐために必須の塩だ。岩塩地帯が見つからない以上、他所から手に入れなければならない。この民族は、わずかに採れた麦を、商人を通して塩と交換していた。
「爛れた民族」と呼ばれる者達の取引は、常に足元を見られた侮辱的なものだったが、生きるために塩を手に入れる機会は他になかった。
導き手たる神父の口からは、驚くべき試練の内容が漏れ出た。今ある下界と繋がるルートとは別に、塩を運ぶための新規ルートの調査。成人の儀式にはあまりにも不釣り合いな、死に等しい難易度であった。
成人のうちの一人、葉月は、この計画を「口減らし」だと即座に判断した。
塩の産地は当然、海だ。山頂に近いこの高原からは遥かに遠い。遠い上に、既存のルート以外にまともな道はない。切り立った崖や渓谷を無理やり下って行く他ない。既存のルートでさえ、敵勢力の侵入を拒むための難所だが、まだ辿り着ける可能性はあった。新規ルートとなれば、その難易度は死を意味する。
その「ほぼ無理な道程」をさらに困難にする最大の障害は、敵勢力の築いた「結界」だ。結界は「爛れたこの民族」の力を奪い去る作用がある。世界はこの民族を徹底的に弾圧したのだ。当然、海とその周辺は、その結界で覆われている。
葉月は賢かった。民族の政治に影響力のある家に生まれ、英才教育を受けてきた彼は、同世代で抜きん出た存在であると自負していた。この試練で見えたのは、民族の未来に後がない状況と、それに伴う政治的な駆け引き。葉月が無念の死を遂げると、何かしらの利益を得る連中がいるのだろうと、彼は即座に結論付けた。
葉月は三人のうちの一人、リアムに目をやった。
リアムは農家の三男坊。痩せて限られた土地ではこれ以上の開墾は難しく、彼に与えられる農地は無かった。非業の死を遂げるには、彼ほど適した存在はいなかった。
葉月は、最後のもう一人、巨漢のアトラを見た。
アトラは、相変わらず何を考えているかわからない、岩のような顔のままだった。身体は人一倍大きいが、自分から何かを主張することはなかった。
葉月もリアムも、集落の土地を持つ階級に属していたが、アトラは木こりの一族だ。それは最下層に近い階級で、当然、自分たちの土地など持っていない。
導き手たる神父が、「神の加護が必ずある」ことを説き、旅の成功を祈って、成人の儀式は終わりを告げた。若き者は民族の掟に逆らえない。三人は憂鬱な気分のまま、三日後の出発に備えることとなった。
アトラとリアムがやってきた時、葉月は盛大にため息をついた。リアムとアトラの旅支度が、あまりにもお粗末だったからだ。とても命懸けの旅とは思えなかった。
リアムが持ってきたのは、畑仕事用のピッチフォークだけだった。農家の成人の贈り物としては伝統的だが、過酷な旅の装備品ではないだろう。
アトラの装備は、頑丈な棍棒と皮の服のみ。古くから伝わる旅に出る若者の伝統衣装らしい。
葉月は、この旅に生き残る可能性がないことを、大人たちは知っていたからだろうと考えた。
とにかく、三日後の出発時間に三人が揃っていたこと自体を、葉月は奇跡だと思うようにした。




