第九滴 思惑
「ほな、改めて自己紹介しよか。うちは、九重 霊藻って言いますん」
「わっ、わたしは、有栖川 兎々です」
二人用の机をくっつけ、対面になるよう腰掛ける。
九重の名前は霊藻というらしい。
水草のように鮮やかな青緑色の髪と、狐のように吊り上がった金色の目。眉を顰めがちで、目つきの悪い霊藻だが、それを引いても有り余るほど端正な容姿をしていた。
隣に座る兎々は、緊張から小柄な身体をさらに縮めている。落ち着かない様子で髪に触れながら、くりくりした目で天璃を窺う仕草は、無垢な小動物を彷彿とさせた。
「御門 天璃です。それで、どんなご用でしたか?」
「ええ、ええ。そうゆうのいらん。タメなんやし、普通に話そうや」
見かけによらず、気さくな性格らしい。
霊藻の隣でこくこくと頷く兎々を見て、天璃は「分かった」と返事をした。
「兎々がな、御門さんとお近づきになりたいらしいねん。そやかて、うちらはお互いのことなんも知らん。せやから、声をかけてみようっちゅう話になったんや」
説明を終えた霊藻が、兎々の背中を軽く叩く。
深呼吸をした兎々は、意を決した様子で天璃の方を見つめた。
「わっ、わたし、昔からウサギが大好きで……!」
「うん……?」
脈絡のない話に、天璃が思わず首を傾げた。
「だから、えっと……御門さんには、元気でいてほしいんです……!」
「要約するとあれや。見た目がウサギみたいでど好みやから、仲良うしてくれっちゅう話やな」
三人きりの教室に、西日が差し込む。
真顔になった天璃が、おもむろに口を開いた。
「仲良くするなら、元気でいさせてくれるっていう意味?」
「ちっ、ちが……!」
「別に強制やないで。断ったところで、うちらから御門さんになんかすることはあらへん。ただ、仲良うしてくれたら、力になれることはあるかもしれんけどな」
誤解だと半泣きになる兎々の頭を、霊藻がぽんぽんと撫でた。天璃を見返す霊藻の目に、悪意はない。
「自分で言うのもなんやけど、うちはけっこう強いで? 仲良うしといて、損はないやろけどな」
「九重さんはそれでいいの?」
「ええも何も、うちの可愛い飼い主の頼みや。叶えたるのがペットっちゅうもんやろ」
飼い主とペット。
霊藻の発した言葉に、天璃の視線が兎々の方へとずれる。
「わっ、わたし……御門さんと、仲良くしたいだけなんです……! だから、その……」
「有栖川さんのこと、兎々ちゃんって呼んでもいい?」
パッと顔を上げた兎々が、潤んだ瞳に天璃を映した。
何度も大きく頷く兎々に、天璃が笑みを浮かべる。
「私のことも、天璃って呼んで。よろしくね、兎々ちゃん」
兎々の顔が、ぼふっと噴火した。
真っ赤になった兎々が、ぐるぐると目を回す。ふらりと机の上に突っ伏した兎々は、そのまま微動だにしなくなった。
「キャパオーバーしたみたいやな。ま、そのうち起きるやろ」
よくあることだと続けた霊藻は、天璃を見て片眉を上げた。
「そういや、阿留多伎とはどんな関係なん?」
「珠羅ちゃん? うーん……」
説明するのが難しいのか、天璃は悩ましげな様子で唸っている。
「友達……ってほどではないかも。でも、話すのが好きみたいで、よく声はかけてくれるよ」
「はあ? ほんまにゆうてんの?」
信じられへんと呟いた霊藻は、天璃を見て正気かと言わんばかりの表情をしている。
「人の名前は覚えんわ、つまらんと『へえ〜』しか言わんようになるわ、散々やで。あいつから話しかけとるとこなんか、見たことあらへんしな」
なのに何故か、人当たりがいいと人気がある。
全くもって意味が分からないとこぼした霊藻は、ふと真剣な雰囲気に変わると、正面から天璃を見つめた。
「けどな、あいつほど強い猛獣は、この学園どころか島の外にもそうそうおらん。もし、阿留多伎をペットとして飼い慣らしたいんやったら、協力すんで」
教室内に、静寂が訪れた。
何も答えない天璃に、霊藻が目を細める。
「こうして話しとって分かった。自分、けっこうな策士やろ。今もうちとの会話を通じながら、本心を探ろうとしよる」
鋭い視線は、獲物を狙う猛獣のそれだ。
「図星か? 心配せんでも、他のモンには気付かれてへんと思うで。うちは化かすのが得意やから、何となくカマをかけてみただけや」
金色の目を妖しく光らせながら、霊藻はにいっと三日月のように笑った。
「ひょっとして、餌係になったのも御門さんが仕向けたん?」
「……それは偶然だよ。まさか、会ったばかりの人が、私のために命をなげうつなんて思わなかったから」
「まあ、せやろな。あれはだいぶメンタルがきとったから、遅かれ早かれ消えてたはずや」
「それでも……私が油断したことに変わりはないよ」
初めて、天璃の瞳が揺らいだ。
後悔の色を感じた霊藻が、興味深そうに天璃を観察する。
「なあ、取引せえへん?」
「取引?」
「そ。うちと御門さん、二人だけの取引や」
冷静だが、冷酷ではない。
天璃は、他人の死を忘れない人間だ。
「困りごとがあれば、出来る限り助け合う。いたってシンプルな取引やろ?」
だから霊藻は、賭けに出ることにした。
「どうして急に取引をしようと思ったの?」
「うちにとって重要なんは、御門さんがうちらの敵になるか否かや。そうやないなら、今のうちに唾つけとこ思うてな」
飼い主は、猛獣と違って獲物からの嫉妬を受けやすい。
大切な飼い主を守るためにも、味方を作っておいて損はないだろう。
霊藻の差し出した手に、雪のような白が重なった。
◆ ◆ ◇ ◇
天璃が去った教室で、霊藻は机に突っ伏したままの兎々を優しく撫でていた。
「阿留多伎があないに執着しとんのは驚きやが、惹かれる理由は分からんでもないな」
飼い主に必要なのは、猛獣を上回る強さではない。
本能に勝る理性と、冷静な判断力。
そして何より、猛獣を虜にする素質だ。
思わぬ収穫が得られそうな予感に、霊藻はゆるりと目を細めた。




