第七滴 ファンタジア
カーテンの隙間から差し込む光に、天璃はうっすらと目を開けた。
眠たげな顔でベッドから起き上がると、身支度を整え、新しい制服に袖を通す。
昨日の制服は腕の部分が破れてしまい、べったりと血も染み込んでいた。
裁縫道具を借りるか悩んだものの、寮に戻るとドアの横にボックスが置かれており、新しい制服と救急セットが入れられていたのだ。
使用者のいないベッドを静かに見つめる。
綺麗に整えられたシーツから視線を外すと、天璃はドアノブに手をかけ、そのまま廊下へ出ようとした。
「……あ」
開いたドアの向こうに、同じ制服を着た少女が立っている。ノックをしようとしたのだろう。行き場のない手が、宙を彷徨っていた。
「何かご用ですか?」
「薄井さんの荷物を、取りにきました」
「……薄井さんの?」
部屋へ招き入れた天璃にぺこりと頭を下げると、少女は残っていた薄井の私物をダンボールに詰め始める。
「親しかったんですか?」
「それほどじゃないです。でも……お互いそこそこ生き残っていた方でした」
口調は淡々としているが、どこか寂しさの滲む声だ。
目を伏せた天璃を見て、少女はぽつぽつと話を続けていく。
「薄井さんの家は、ごく普通の一般家庭なんです。能力者は大抵、先祖から受け継いだ血の影響によって誕生します。だけど時折……全く関係のない場所から生まれることもあるんです」
血族という決められた範囲の外。
予想だにしない場所から、ビー玉のようにころりと現れるイレギュラー。
それが、薄井のような存在だった。
「……いくら説明を受けたって、怖いに決まってます。能力者の家系に生まれた私だって、ここに来た時は震えが止まりませんでした。それでも──絶対に逆らうことはできないんです」
弱肉強食は自然の摂理だ。
ライオンがシマウマを食すように。人間が家畜を飼うように。強いものが弱いものを支配する。
単純で明解な、ピラミッド型の法則。
「この世界の頂点にいるのは、人間なんかじゃない。幻想種と呼ばれる、先祖返りたちなんですから──」
まるでそれが、揺るぎない真実だと悟っているかのように、少女は淡々と言葉を口にした。
「薄井さんの荷物は、ご家族に送っておきます。ご協力ありがとうございました」
ダンボールを抱え立ち上がった少女は、天璃に会釈をすると部屋から出ていった。
室内にはもう、薄井がいた痕跡さえ残っていない。
あのダンボールに詰められた遺品が、亡骸さえ戻ってこない家族への、せめてもの慰めになったらいいと思った。
◆ ◆ ◇ ◇
学園内の食堂でお昼を済ませた天璃は、午後からの授業を受けるため教室へ向かっていた。
ドアを開くと、一気に視線が集中する。
窓際の奥へと足を進めた天璃は、そのまま手前側の席に腰を下ろした。
二人がけの机と椅子は、窓に近い方が一人分空いたままになっている。
珠羅はまだ来ていないようで、天璃は窓から見える空をぼんやりと眺めていた。
「あっ、ああの……! みみ、御門しゃん!」
すぐ近くで呼ばれた名前に、天璃は声の先を辿るように視線を移した。
ふんわりした亜麻色の髪と、くりくりした同色の目。
舌を噛んだのか、少女は口元を押さえ「うぅ……」と痛そうに呻いている。
「大丈夫?」
「ひゃっ、ひゃい! だだだ、大丈夫でずっ!」
慌てた拍子に、もう一度舌を噛んでしまったようだ。
涙目の少女は恥ずかしそうに眉を下げ、「すみません……」と消え入りそうな声で呟いた。
「わっわたし、有栖川 兎々って言います……! それでその……えっと、えっと、ああの……!」
顔から湯気が出そうなほど真っ赤になった兎々は、緊張のあまり目をぐるぐるさせながら倒れそうになっている。
「ほれみぃ、言わんこっちゃない」
ふらついた兎々の身体を、呆れた表情の少女が支えた。
「堪忍な、御門さん。うちは、九重って言いますん。放課後、ちょいと時間もらえます?」
しっかりせえと兎々を揺らした九重は、世話の焼ける子供に苦労する母親のようだった。
目つきは悪いが、態度には面倒見の良さが表れている。
頷いた天璃に「ほんならまた」と口にした九重は、完全に目を回した兎々を軽々と担ぎ上げ、そのまま席に戻っていった。




