第六十五滴 脅威
「援護役に呼び戻された攻撃役はぁ、移動分として一ターン休みになる。この状況での休みは、かなりきついよねぇ」
勝てなくてもいい。あくまで未来留の目的は、珠羅の足留めをすることだ。
黒の攻撃役はすでに二人削れ、残りの一人も時間の問題になっている。それなら、ここで時間さえ稼いでおけば、白の陣営の勝利が揺らぐことはない。
「そういえばぁ、この際だから教えてよ。本当は真っ白ちゃんのこと、どう思ってるのぉ?」
未来留とて分かっている。自分が珠羅に勝てる可能性は、微塵もありはしないと。
やるべきことは終えた。であれば、好奇心を満たし、こびり付いた違和感を拭うために動いても良いと思ったのだ。
「知りたい?」
スッと目を細めた珠羅が、口元に笑みを浮かべながら問いかける。
「知りたいなぁ」
「そ。じゃあ、教えてあげる〜」
瞬間──未来留の身体は、もの凄い力で地面に押し付けられていた。
あまりの勢いに、舞台の一部が陥没する。何本もの黒い手に拘束された未来留の身体から、ミシミシと骨の軋む音が鳴った。
他の駒が進んだことで、いつの間にか休みのターンが終わっていたらしい。しかし、珠羅という存在に気圧されていた未来留は、そのことを失念してしまっていた。
攻撃役同士の戦いでは、領地を守る側が先行になる。未来留は珠羅が黒に変えた領地に踏み入ったため、必然的に先行は珠羅からという流れになっていた。
白の攻撃役が、棄権しろと叫ぶ声が届く。けれど、逃げるのはプライドが許さなかった。
未来留は、荒牙や朽苑のような小心者とは違うのだ。
幻想種に次ぐ実力を持っていながら、これほど差が存在する事実に、いっそ腹を抱えて笑いたくなった。
霞む視界の中、未来留は夏論の名前を口の中でそっと呟いていた。
◆ ◆ ◇ ◇
未来留に何かを言われた直後、天璃は珠羅の雰囲気がどこか変わったのを感じた。
辺りに響いた轟音と共に、未来留の身体が舞台にめり込む。
見覚えのある黒い手たちが、逃げ場をなくすように未来留の首や腕、足を拘束していった。
命がどんな形をしているのかは分からない。けれど、今はきっと珠羅の指の形をしているのだろうと思った。
歪み、凹んだ命が悲鳴を上げている。
やがて気を失った未来留を、結解が医務室に運ぶよう伝えていた。
「分かりやすい答えやな」
片眉を上げた霊藻が、脈絡のない言葉を口にする。
霊藻は聴覚が優れているため、おそらく珠羅たちの会話が聞こえていたのだろう。
血を流し過ぎた影響で、徐々に痛みが薄れてきている。ぐらつく意識を繋ぎ止めた天璃は、力を振り絞りその場に踏ん張った。
「相方がやられたっちゅうのに、興味なさそうやな」
「あいつ一人が居なくなったところで、勝敗は変わらない」
眼前までやってきた夏論は、無情にも思える態度をしていた。その姿に、霊藻が小さく息をつく。
「時間の無駄だ。早く始めろ」
「いや、うちの負けや。戦う必要はあらへん」
僅かに逡巡していた霊藻が、さっぱりした表情で手を上げる。
「……正気か?」
すんなり引いた霊藻を、夏論が訝しげに睨んだ。
「うちかて、自分の身はかわええからな。ただの試合で、幻想種とやる気にはならへんわ」
重大なリスクがあるならともかく、学園行事にこれといったペナルティはない。わざわざ身の危険を犯してまで、夏論と戦うつもりはないと言いたいようだ。
言外に語られた意図を、夏論は弱者らしい理由だと感じた。
そして同時に、納得した。
夏論にとっては、たとえ先祖返りであろうと、大体の存在が弱者に当たる。我が身を守るため逃げるのは、弱者の本能のようなものだ。
「大したことなかったな」
キングの像に向かって、夏論が足を進める。
結局、三年間一度も負けることはなかった。学年対抗戦では常に、夏論たちのクラスが優勝を手にしている。
強者は勝ち、弱者は負ける。
この法則が覆ることもまた、一度もなかったのだ。
どうあっても勝てない状況だと悟ったのか、黒の陣営がキングを移動させる様子はなく。その潔さだけは、評価してもいいと思えた。
キングの前に立った夏論が、一撃で像を粉砕する。
飛び散った破片の先で、ふと赤に染まった白が目についた。
未来留が玩具として巻き込んだ獲物。元から白い肌は、もはや死人のように生気がない。
脇腹から流れた血の量を考えると、立っていること自体が奇跡のような状態だった。
「……なぜ笑う?」
破片の一部が、天璃の頬に傷をつける。
何となしに眺めていた光景の中で、不意に微笑んだ人間の少女を、夏論は初めて“脅威”だと思った。




