第六十二滴 異常者
明らかに風向きの変わった舞台上を眺め、天璃は浅く息を吐いた。
分が悪いと悟った途端、リスクを丸投げして攻撃のみに切り替える判断。捨て身の作戦を疑うほど大胆だが、同時に潔くもある。
あっという間に、舞台の上はめちゃくちゃだ。何通りも用意していた道筋が、全てバツ印で消されていく。
今や天璃の視界に映るバツの数は、二桁を超えていた。
「面倒なことするね〜」
一ターン休んでは進み、また一ターン休む。極端な遅延方法に、珠羅が退屈さを滲ませる。
白の陣営が防御役をことごとく珠羅に集中させたことで、領地の片側はもぬけの殻になっていた。もし他の攻撃役が足を踏み入れれば、何の障害もなく最後列まで進めてしまうだろう。
「……これって、何が起きてんの?」
「午前の試合では、攻撃役がバラバラに動くことで守りを分散させて、手薄になった箇所を攻めてたよね。あの方法は領地戦におけるセオリーみたいなもので、土台にも等しいものなの。でも、相手はそのやり方を、根本から覆そうとしてる」
困惑する音夢に、天璃が詳細を語る。
舞台上の領地戦は、チェスや将棋の盤上と同じだ。ルールという範囲の中で先を予想し、徐々に相手の退路を塞いでいく。
攻撃役の役目は、大きく分けて二つ。
一つは、キングを破壊するため相手の陣地に切り込むこと。もう一つは、自陣が危機に陥った際、相手の攻撃役を迎え撃つことだ。
キングに向かうルートを断ち、防衛ラインを死守する。つまり、攻撃役同士が戦うのは、逆転か王手かを賭けた重要な盤面でのみだった。
「たとえば、将同士の率いる戦が起こったとして、まずは足軽のような歩兵から戦っていくよね。初めから将軍が前線に立って、一騎打ちで決着をつけるなんてことはしない」
将軍の存在は、軍の士気に直結する。
数と数の戦いにおいて、戦況の変わらないうちから将軍が動くことは、ほぼないと言ってもいい。
「白の陣営がやろうとしてるのは、そういうことだよ。兵を動かすことなく、将同士で首を取り合おうとしてる」
「でもさ、戦は将軍がいなくなれば終わるけど、この試合にはキングが……」
何かに気づいた様子の音夢が、途中で口を噤む。
「そう、キングを破壊できるのは攻撃役のみ。白の陣営は、全ての守りを珠羅ちゃんに集中させることで、最大限時間を稼ぎにきた。そしてその間に、他の攻撃役を全員狩る気でいる。こっちも同じ状況を維持するためには、最低でも二勝はしないといけない」
双方共に、クイーンのいる縦列よりも片側に防御を固めている。もし自陣の攻撃役が三人とも削られれば、珠羅が辿り着くよりも早く、白の陣営がキングを手にしてしまうだろう。
「こうなった以上、私たちができるのは初手の攻撃役を食い止めることだけ。後のことは、こっちの攻撃役に任せるしかない」
二つのライフを活用し、可能な限り時間を稼ぐ。天璃の言葉に、音夢と千莉がこくりと頷いた。
胸の前で手を握った兎々が、クイーン越しに立つ霊藻へ視線を向ける。
ヒリついた空気が漂う舞台の上は、まるで嵐の前のように静かだった。
◆ ◆ ◇ ◇
「さすがの飼い主はんも、ここまでかもしれへんなぁ」
観戦席から眺めていた清妃女が、勝負ありかと呟く。
二年三組は去年の学年対抗戦に出ていたこともあり、三年三組の強さをよく知っていた。
竜の先祖返りに加え、グリフォンの先祖返りまで。幻想種とそれに準ずる猛獣が揃ったクラスだ。強いに決まっている。
「観察眼は大したもんやったさかい、少し残念どす」
「ふんっ。あいつはちょっと狡賢いだけで、弱っちいただの人間にゃ」
不服そうな茶美が、買い被りすぎだと鼻を鳴らす。糸目を向けた銭が、どこか楽しげに「おやまあ」と声をこぼした。
「御門さんは、観察眼が優れているだけではありませんよ」
両隣から問うような視線を受け、銭が続きを口にする。
「宝探しを終えてみて、気づいたことがあるんです。あの時……あたくしが御門さんに注意を払っている間、御門さんはあたくしだけでなく、周りにいる全員の動向を把握していました」
天璃に意識を向けていた銭とは異なり、天璃は文字通り、あの場にいた全員を観察していた。
「誰がどんな反応をしているのか。何をすれば、相手の言動を操作できるのか。そんなことを常に考えていられるような人が、普通なはずありません」
正気の沙汰とは思えない。
銭から見た天璃という人間は、まごうことなき異常者だった。
「銭ちゃんったら、えらい入れ込んではるやないの」
優雅に笑んだ清妃女の口から、二股に裂けた舌先が覗く。
「公平に評価しているだけですよ。物の価値に、私情は関係ありませんからねぇ」
「さすが銭ちゃん。建前がお上手やわ」
「清妃女さんこそ」
上品に牽制し合う清妃女と銭の姿に、茶美が鼻に皺の寄った表情を浮かべる。
舞台の上に立つ純白は、雪原のように輝いていて、自然と茶美の目を引いた。
「だとしても、あいつが負けるのは変わらないにゃ」
「では、賭けませんか?」
「にゃにを賭けるつもりにゃ」
茶美の前に手を掲げた銭が、親指と人差し指で円を作る。
「それは勿論、これですよ」
「いくらにゃ」
「いくらでもいいですよ」
余裕を崩さない銭が気に食わず、茶美は尻尾をブンブンと椅子に叩きつけた。
金額を提示され、銭が二つ返事で承諾する。
「後悔させてやるにゃ」
冷静さを肝とする知略型にとって、感情のままに動く本能型は相性が悪い。
言い換えるなら、銭と茶美もまた、この二つに当てはまるタイプだということだ。
盛り上がる二人を横目に、清妃女は欲しかった茶器について考えていた。




