第六十滴 強者と弱者
最強格と称される幻想種。中でも、珠羅は頂点と名高い猛獣だ。
これ以上、どんな言葉が必要だろうか。
「なるほどな。阿留多伎さんが相手なら、むしろ向こうから避けてくだろうし……このまま自陣に残るよりは安全かも」
随所で負け戦を仕掛けるより、大局を見て動いた方が勝算も高くなる。唯一仕掛けられる者がいるとすれば、それこそ夏論くらいだが、初めから最大戦力で潰し合うような悪手を打つとも思えない。
「……わたし、援護役がいい」
一人が口を開いたのを皮切りに、次々と援護役への希望が挙がっていく。
「ほぼ全員、か」
息を吐くように呟いた音夢が、天璃の方を窺い見る。当の天璃はといえば、これといって動じた様子もなく、何かを考えているようだった。
「防御役は、私と兎々ちゃんで担当するつもり。あと数人欲しいところだけど、どうかな? 前方の人は早めに舞台を降りられるし、指示通りに動いてくれたら、そんなに危険もないと思うよ」
防御役は、あくまで攻撃役の侵攻を一ターン止めるのが目的だ。攻撃役と直接戦う必要はない。
午前の試合でも、前方に配置された防御役は早めに舞台を降りていた。
「あたしがやる。あと、千莉も」
「……ほあ?」
いきなり名前を呼ばれ、千莉が間の抜けた声を漏らす。
「拙者もでござるか?」
「テスト勉強、手伝ってもらうんだろ。だったら、その分の働きはしとかないとな」
「むむ……! たしかに、音夢殿の言う通りでござるな!」
やる気に満ちた千莉を横目に、音夢が単純だと苦笑を浮かべる。
痛いのは苦手だ。
猛獣は怖いし、死ぬのはもっと怖い。危ない目になんて、遭いたくないに決まってる。
それでも、学園にいる限り、獲物は常に選択する必要があった。
入学前、祖父は怯える音夢に向けてこう言った。
信の置ける強者に出会ったら、懐に入りなさい。お前に情をかけてくれる相手なら、悪いようにはしないだろうから──と。
これまでの音夢は、それがどういう意味なのか、いまいち理解できていなかった。けれど、天璃と出会って、何となく分かったような気がしたのだ。
春の訪れを示すような瞳が、音夢と千莉の姿を映し、次いで淡く解けていく。
雪の下で色づく桃花を見つめ、音夢は素直に綺麗だと思った。
◆ ◆ ◇ ◇
ファンタジア女学園は、生徒の八割以上を獲物が占めている。猛獣は各クラスに四人程度で、一クラス辺りの人数は、狩りの前で三十人ほどだ。
今は生贄枠がおらず、夜の狩りで獲物が大幅に減ったため、二十人いればいい方だった。
不意に、目元を黒い布で隠した生徒が、天璃の前を横切っていく。
梵 朽苑。
入学してから誰とも関わらず、声を聞いた者さえいないことから、孤独を愛する猛獣と言われているらしい。
珠羅、霊藻、荒牙。そして、朽苑。
この四人が二年一組の猛獣であり、今回の試合における攻撃役だった。
「例の猛獣、一番手になったんだぁ。スピード勝負にでも持ち込むつもりかな?」
「順番を変えろ。私が先に行く」
「ちょ、血の気多すぎぃ。ダメダメ。夏論ちゃんは、三番手って決めたじゃん」
双方が位置についたことで、自然と視線が交錯する。相手の配置を確認していた未来留は、珠羅と戦いたがる夏論を慌てた様子で諌めた。
「あ、真っ白ちゃんみっけ」
「また弱者を甚振るつもりか?」
「だってぇ、獲物ってちょっと驚かせただけで、プルプル震えて腰抜かしちゃうんだもん。なんか、虐めたくなっちゃうんだよねぇ。あ、でも、真っ白ちゃんは違うよ」
天璃を見つけてはしゃぐ未来留を、夏論が瞳孔の鋭い目で睨む。強者以外に興味のない夏論からしてみれば、未来留の思考は理解し難いものだった。
「あんなに可愛いんだもん。もっと着飾ってあげなくちゃ。あたしね、白には黒じゃなくて──赤が似合うと思うんだぁ」
雪原に散る赤を想像して、未来留がうっとりと微笑む。
「一応言っておくが、あれは飼い主だぞ」
「分かってますってぇ」
飼い主に手を出せば、ペットを怒らせるかもしれない。
夏論の言葉に頷いた未来留だが、視線が天璃から外れることはなかった。
歪んだ善意の塊は、時に悪意より残酷だ。
とはいえ、飼い主という弱者がどうなろうと、夏論はいっこうに構わなかった。
強者は勝ち、弱者は負ける。どちらにせよ、この法則が変わることはないのだから。
本当の最強はどちらなのか。
初めから、夏論の目に映るのは、ただ一人だけだった。




