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ブラッドカーストファンタジア  作者: 十三番目
第三章 血の盟約

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第五十五滴 侵食


 医務室のドアが開いた音に、神領(しんりょう)は一瞬だけ視線を向けた。


「骨折してる」


「あ、やっぱり分かりますか?」


 室内に入ってきた希杏(きあん)は、折れた右腕を押さえながら、近くのベッドに腰掛けている。

 給仕として働く際の気弱さは鳴りを潜め、柔らかい物腰はどこかさっぱりとしていた。


「仕事は休むつもりか?」


「まさか。(わたくし)、両利きなんですよ。片腕が使えなくても、業務に支障はありません」


「見上げた社畜根性だな」


 皮肉の混じった言葉に、希杏が愛想笑いを浮かべる。


「とはいえですね、上司が少々口うるさい方でして。早く治してこいと、怒られてしまいました」


「まるで、本当は治したくないとでも言いたげな態度だな」


「当然です。本来であれば、骨折の痛みを味わいながら、じっくりと悦に浸る予定でしたから……」


 残念だと話す希杏は、腫れ上がった右腕を名残惜しそうに撫でている。棚から物品を取り出した神領が、汚物でも見るかのような目つきをした。


「マジで気持ち悪いな、おまえ」


「ありがとうございます」


 頬を染めた希杏が、心底嬉しそうに答える。

 悪態をつくのは逆効果だと察した神領は、げんなりした様子で腕の処置を始めた。


「誰にやられた」


(わたくし)の不手際で折った、とは考えないんですか?」


名張(なばり)家の長子であるおまえがか? 寝言は寝て言え」


 濃いクマの張り付いた瞳が、億劫そうに希杏を映す。


「右腕は、阿留多伎(あるたき)様に折っていただきました」


 望んでされたことだと口にした希杏に、神領は長いため息をつくと、「右腕“は”?」と面倒そうに問いかけた。


「背中の痣は、御門(みかど)様に付けていただいたんです。あ、そちらの治療は結構ですよ」


 絶対に触れるなと念を押す希杏に、神領が僅かに驚いた表情をみせる。


「獲物を下に見てたおまえが、御門を気に入るとはな」


「下に見るなんてとんでもない。それに、御門様は素晴らしいお方ですから」


 誇らしげに語った希杏が、ポツポツと話を続けていく。


「御門様と話していると、ここが仮にも女学園だということを忘れそうになります。達観した視点をお持ちで、時折……猛獣よりも大人びているように感じるんです。他の獲物が、幼く思えてくるほどですよ」


「獲物が幼く思えるなら、それは単に年相応ってだけだ。中には猛獣と比べて幼稚だと言う者もいるが、生まれて十年とそこらの子供に、いったいどんな理想を求めてるんだか」


 鼻で笑った神領が、巻き終えた包帯から手を離す。

 立ち上がった神領が薬棚の方へ向かうのを、希杏は黙って見つめていた。


「そもそも、先祖返りは元となった人外の性質を受け継いでる。血が濃いほど長寿で、老化が遅い。大人びて見えるのは先祖の影響もあるが、達観してるように思えるのは、人間とは違う常識(物差し)で生きてるからだ」


 どんなに人間と似ていても、先祖返りは人間ではない。人間を殺し、喰べることに戸惑いがなく、人外(かれら)なりのルールを持っている。

 先祖返りとして生まれた時点で、人間とは根本的に異なっているのだ。


「だからこそ、御門については僕も気になっていた。あの子はどこか……異質だからな」


 最下層から成り上がった、人間の獲物。雪のように儚い姿をしていながら、内側には真逆の何かを潜ませている。

 ()()()を飲んでも平然としていた天璃(あめり)のことを、神領はずっと忘れられずにいた。


「たしか、名張は探偵業にも優れてたな。報酬さえ用意すれば、僕の依頼も受けてくれるのか?」


「他ならぬ神領先生からの頼みですし、場合によってはお受けすることもやぶさかではないのですが──お断りします」


「理由は?」


 きっぱりとした返答に、神領が落ち着いた口調で問いかける。


「古くから、主と忍びは一連托生です。自らがこれと定めたならば、裏切ることは決してありません。それ故、御門様に関する情報をお渡しすることも、主の不利益となる行動を取ることも、(わたくし)にはできかねます」


 他の教師からの誘いをのらりくらりと(かわ)しながら、特定の相手に深入りすることを避けていた希杏が、まさか一人の生徒に忠誠を誓うとは。それも、猛獣ではなく獲物に。

 思わず沈黙した神領を、希杏が強い眼差しで射抜いた。


「それに、もしも情報を流したと知られれば、御門様は(わたくし)のことを排除しようとなさるはずです。最悪の場合、怒ったペットに喉笛を噛みちぎられてしまうかもしれません」


 否定のしようがなかった。

 ファンタジアでは、不興を買った者が消されることはままある。人間にとってこの島は、常に死と隣合わせの場所でもあるのだ。


「まったく。御門も面倒なやつに気に入られたな」


 厄介な相手を惹きつける体質でも持っているのだろうか。ため息を呑み込んだ神領が、持っていた瓶を放り投げる。


「飲めば三日で治る。ただし、かなり痛むぞ」


 危なげなく瓶を掴んだ希杏は、医務室のドアを開けると、まばゆい笑顔で神領を振り返った。


「痛いのは大歓迎です」




 ◆ ◆ ◇ ◇




 滑らかな肌触りと、ほどよい弾力。

 極上のベッドで丸まる天璃の髪を、体温の低い指が掬っていく。


「天璃ちゃん、朝だよ〜」


 露わになった頬に、指先がツンツンと埋められる。

 まだ起きたくないと抵抗する天璃から布団を剥がすと、珠羅(しゅら)は軽々と天璃の身体を抱き上げた。


「……わたしのふとん……」


「ほんと、朝弱いよね〜」


 洗面所に運ばれ、歯ブラシを渡される。

 口に含んだブラシを、天璃は寝ぼけ眼のままシャコシャコと動かした。



 歯を磨き終わる頃には、天璃の意識はほとんど覚醒していた。

 珠羅のコップの隣に自分のコップを並べると、はっきりした頭で周りを見回す。


 二つ並んだ洗面台と、横に長い鏡。洗面所だけでも、天璃が以前いた寮の一室と同じくらいの面積がありそうだ。

 ワンフロアを全て使っているだけあり、どこもかしこも規格外に広い。リビングに着いた天璃は、テーブルに並べられた朝食を見て微かに頬を緩めた。


 朝はあまり食べられない天璃のために、フルーツやスープなど、軽めの物を選んでくれたようだ。

 最近は、朝も夜も部屋で食べることが多かった。珠羅が何かにつけて世話を焼きたがるため、それなら二人きりの方がいいと天璃自身が思ったためでもある。


「美味しい?」


「うん。美味しいよ」


 口に含むたび、ほのかに甘さを感じた。蕩けるような心地に、天璃の表情がふわりと緩む。


 幸せそうに味わう天璃を、珠羅はどこか楽しげで、満足そうに見つめていた。


 

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