第三十五滴 知能
「兎々ちゃんはどう?」
「わ……わたしは、いいと思う」
「そっか。なら、お願いしようかな」
すんなり頷いた兎々に、天璃も異論はないと微笑む。おさげの少女は、いささか驚いた様子で眼鏡のフレームに指を当てていた。
「もうちょい悩むと思ってた」
「断る理由もないからね。それに……」
「それに?」
「目は嘘をつかない」
訝しげな顔の少女が、レンズ越しに天璃を見つめる。次いで、ぷっと吹き出す音が聞こえた。
「ほらな、千莉。あたしの言った通りだったろ?」
「ふむふむ。やりますな、音夢殿」
千莉と呼ばれた少女が、感心した態度で腕を組んだ。
「一応言っておくけど、あたしたちに飼い主だからどうこうって感情はないよ。ぶっちゃけ、生きて卒業するのが目標だし。そのためには、御門さんたちと組む方が好都合だったんだよね」
「拙者も音夢殿も、脳みそが足りてないでござるからなぁ」
「おい、千莉」
何が好都合なのか疑問に思う前に、千莉が答えらしきものを発した。咄嗟に睨みをきかせた音夢だが、表情には図星を突かれた苦々しさが浮かんでいる。
「はあ。とりあえず自己紹介しとく。あたしは轟。んで、こっちのは──」
「拙者は、麿 千莉でござる! 御門殿、有栖川殿、これからよろしく頼むでござるよ」
物々しい話し方ではあるが、千莉の雰囲気が明るいためか、むしろ親しみやすさの方が感じられる。
「さむらい、みたい……」
「おお! 有栖川殿はお目が高いでござるな。拙者の祖先はかつて、陰陽師と共に働いていた武士の一族だったでござる。偉大なる祖先に敬意を払い、拙者も言動を見習おうと──」
「千莉にしゃべらせるといっつもこうだ」
呆れを滲ませた音夢が、天璃のそばに近寄った。千莉の長々と続く話に耳を傾けながら、兎々はどこか楽しそうに相槌を打っている。
「さあさ、皆さん。移動しますから、私の後についてきてください」
百目鬼の指示で、生徒たちがぞろぞろと教室を出ていく。
兎々はまだ千莉の話を聞いていたが、当人同士が良いのであれば、天璃がこれといって何かを言うこともない。
「教室では大人しくさせてたけど、今は猛獣がいないから好きにさせてる。千莉はなんて言うか……ちょっと変わってるんだ。でも、悪いやつじゃないのは保証するよ」
天璃の視線を追った音夢が、独り言にも近い声で呟く。
「仲がいいんだね」
「まさか。家同士の付き合いってだけ。腐れ縁みたいなもんだよ」
顔を顰めた音夢に、天璃は「そっか」とだけ返した。
淡白なのか、引き際をわきまえているのか。ずけずけとラインを踏み越えてこない天璃が、音夢にとっては心地よく感じられた。
「さっき、好都合だって言ってたよね。轟さんが私たちと組むことで得られるメリット。それが何か、聞かせてもらってもいい?」
「……それを話したところで、何か変わるわけ?」
「お互いのメリットが一致するなら、協力できることも多いかなと思っただけだよ」
数秒ほど黙ったあと、小さく息をつく。
隣を歩く天璃に、音夢はチラリと視線を向けた。
「獲物は猛獣と違って、力の強さだけで勝負できるわけじゃない。対抗戦では能力の使用が許可されてるけど、戦闘向けじゃないのがほとんどだし。ぶっちゃけ、獲物が勝つためにはここも必要って話」
音夢の指が、トンと頭を突いた。
「轟さんは、対抗戦に勝ちたいの?」
「そりゃあね」
生きて卒業することが目標でありながら、クラス対抗戦をそつなくこなすつもりはないらしい。
いつの間にか話を終えていた千莉と兎々が、天璃たちの方をじっと見ていた。
「拙者も音夢殿も、テストの赤点を回避しなければならないのでござる」
さらりと混ざってきた千莉に、音夢が「一緒にすんな」と眉を顰めた。
「あたしは一教科だけだけど、千莉は五教科もあんだろ。留年になっても、あたしは知らないからな」
「音夢殿、拙者を見捨てるのでござるか!?」
信じられないと言いたげな千莉を、音夢は面倒くさそうにあしらっている。名前を連呼しながらまとわりつく千莉に、音夢の眉間の皺が増えた。
「轟さんと麿さんは、テストの赤点を回避するために対抗戦の賞品が必要ってことだよね」
「さすが御門殿。音夢殿が、頭脳担当に欲しいと言っていただけありますな」
「おい、バカ。あんまりペラペラしゃべんな」
たとえ既に察しがついていようと、直接言葉にするのは別問題だ。キラキラした目で天璃を褒める千莉に、音夢が大きくため息をついた。
「あーもういいや。そうだよ。あたしたちが欲しいのは黙認権。だから、どうしてもクラス対抗戦に勝ちたいんだよね」
「黙認権があれば、テストでカンニングし放題でござるからな。あいたっ!」
眼鏡に触れていた音夢が、千莉の頭を手のひらで叩く。
不意に、前方の生徒たちが足を止めた。百目鬼は他の教師と話をしており、その後ろには天璃たちと同じ一組の生徒の姿も見える。
「げえ。三組のやつらじゃん」
嫌そうな声の音夢と、先ほどまでとは一転、大人しく口を閉じている千莉。緊張で身体を震わせる兎々の背を、天璃が優しく撫でた。
心なしか暗い表情をした一組の生徒たちを押し退け、知らない顔ぶれが進み出てくる。
「あらら〜? 去年うちのクラスに負けた、一組と二組の方々じゃないですかぁ」




