第三十四滴 責任
寮の食堂に着くと、真っ先に気づいた給仕がさっと近寄ってきた。天璃たちを席に案内した給仕は、そのままテーブルの側に控えている。
「ここに居ていいんですか?」
「問題ございません。夕食をお運びして以降、御門様と阿留多伎様に関することは、私の担当に決まりましたので……」
付きっきりの希杏に他の対応はいいのかと声をかけた天璃だが、どうやら専属扱いになっていたらしい。
柔らかな物腰と、緊張で微かに強張った表情。本来の性格は綺麗に隠されており、希杏について知らない者が見れば、そこらにいる給仕と何ら変わりなく思えただろう。
「御門様。本日の夕食は、どちらで食べられますか?」
「部屋で食べます。名張さんが運んできてくれるんですよね?」
「勿論でございます」
朝食のメニューを見ている時に、夕食の話をするなんて不可解だ。しかし、相手が希杏である以上、言動には意味が伴っている。
垂らされた釣り糸をあえて掴んだ天璃に、希杏が満足げな様子で会釈した。
「君さー、随分と天璃ちゃんになれなれしくなったね〜」
「っ、申し訳ございません……!」
距離の近い希杏に向けて、珠羅がにこりと笑みを浮かべる。顔は笑っているのに、まるで研ぎ立ての刃のように冷ややかな雰囲気だ。
謝罪と共に、希杏が慌てて俯く。
傍から見ればただの気弱な給仕だが、天璃の位置からは、希杏が嬉しそうに口元をニヤつかせるのがはっきりと見えていた。
希杏が事あるごとに俯くのは、どうやら昂った感情を誤魔化すためでもあったらしい。
「珠羅ちゃん。これとこれ気になるから、分けっこしてくれる?」
「いいよ〜」
メニューを指で示すと、すぐに快諾された。
珠羅は天璃のお願いごとを聞くのが好きなようで、先ほどまでとは一転、機嫌が良さそうに目を細めている。
注文を通すため離れていく希杏を見送っていると、テーブル上に置いていた手にふと珠羅の手が重ねられた。指先で手の甲をくすぐられ、天璃がくすくすと笑みをこぼす。
よそ見を咎めるように絡められた指ごと、天璃が手を持ち上げた。
頬に当てた手は、夜風のように冷んやりとしている。
「可愛いね、珠羅ちゃん」
光の灯った瞳が、瞼の下に見え隠れする。
ぱちりと開かれた目に、蜂蜜のような感情が溶けた。
「でしょ〜? もっと可愛がって〜」
「ふふ。なら、今日の朝食は私が食べさせてあげるね」
飼い主とペットの戯れにしては、糖分が多すぎる光景だ。ここが食堂だということを、忘れているのかと聞きたくなるほど、天璃と珠羅の纏う空気は甘ったるい。
初めは興味本位で観察していた猛獣たちも、とんでもないものを見てしまったと言わんばかりに、思い切り視線を逸らしている。中には、最強格の猛獣の変わりように、青ざめた顔をしている者さえいた。
微笑む天璃に、珠羅もにこにこと笑い返す。
天璃は時折、食事の場所に食堂を希望することがあった。もしかすると、こうした状況も天璃にとっては策略の内であり、想定の範囲内なのかもしれない。
どこまでが本当で、どこまでが作られたものなのか。それすらも曖昧だったが、珠羅は別にどちらでも構わなかった。
珠羅にとって重要なのは、天璃が傍にいるかどうかだけだ。
ペットとしての条件は、“飽きさせない”こと。
天璃が手綱を握り続けている限り、満たされた杯が空になることはない。つまり、天璃が珠羅を手放さなければ──杯が傾くことも、倒れることも決してありはしないのだ。
ペットを飼ったからには、最期まで責任を持ってもらう。
猛毒のような欲望を抑え込みながら、珠羅は傷一つない真っ白な肌を、ゆっくりと指でなぞった。
◆ ◆ ◇ ◇
クラス対抗戦の準備により、天璃と兎々は二組の教室へと移っていた。
前回と同じような視線は感じるものの、何かしてくる気配はない。
反撃を恐れるくらいなら、最初からやめておけばいいのに。なんてことを思いつつも、天璃は彼女たちのそういった部分が嫌いではなかった。
とはいえ、天璃は目的のためならあらゆる手段を講じるタイプだ。珠羅という存在が何より重要な天璃にとって、彼女たちとの衝突は不可避とも言えた。
「獲物が参加する種目は、危険度が低めに設定されています。本日は予行練習として、その内の一つを行うことにしました」
百目鬼の指示に従い、生徒たちが席を立つ。
「同じクラスの者同士で、四人組を作ってください。当日も同じメンバーになりますから、そのつもりで組んでくださいね」
顔を見合わせた生徒たちだったが、案外すんなりとグループを作っていく。去年から学園にいる生徒たちは、ある程度勝手が分かっているようだ。
「兎々ちゃん、組みたい人とかいる? 去年と同じ人とか」
「えっと、去年の人たちは、その……」
兎々の反応を見るに、どうやら全員亡くなっているらしい。眉を下げる兎々を横目に、天璃が頭を悩ませていた時だった。
「たのもー!」
「バカ、声がでかいって! ……こほんっ。御門さん、有栖川さん。今回の種目、あたしたちと組む気はない?」
高い位置で結われたポニーテールと、短めの眉。
溌剌とした少女の隣には、眼鏡をかけたおさげの少女が立っていた。




