第三十二滴 打算と友情
資金が豊富なこともあり、学園が有するカフェはどこも美味しかった。
珠羅は食べさせるのが好きなようで、天璃の口元へ度々フォークを運んでいる。
霊藻は「また人前でイチャつきよる」と呟いていたが、視線には呆れと少しの愉快さが込められていた。
「そういや、大層な悲鳴がうちらん教室まで届いてたで」
ニヤリと笑みを浮かべた霊藻に、天璃が事の顛末を語る。
段々と眉間に皺を寄せていく霊藻を、兎々が心配そうに見つめた。
「あいつら、まだそんなくだらんことしとんのか。ほんま懲りんやっちゃな」
「ねぇねぇ、天璃ちゃん。そいつの足折ってあげようか〜?」
「気持ちは嬉しいけど、大丈夫だよ」
雑草と同じだ。見えている部分だけ刈っても、そのうちまた生えてくる。
それならいっそ、根本からきちんと除去した方がいい。
言外に滲んだ意図を知ってか知らずか、珠羅はアーモンド型の目をにっこりと細めた。
「気が変わったら教えてね〜」
やり取りを静観していた霊藻が、小さく息をつく。
「ま、今回は兎々も天璃も無事やったからええけどな。この先、万が一怪我でもするようなことがあれば──足の一本や二本は刈らせてもらうで?」
「それで構わないよ」
ガラリと雰囲気を変えた霊藻が、吊り上がった目を鋭く光らせる。
天璃にどんな思惑があろうと、自らの飼い主を傷つけられて黙っていられるほど寛容ではない。意思を察した天璃が迷わず肯定したことで、霊藻の纏う空気がふっと緩んだ。
「あ、あのね、霊藻ちゃん。天璃ちゃんがいてくれたから……教室でも寂しくなかった、よ」
「ほーん。そら、喜ぶべきか妬くべきか、分からん話やな」
片眉を上げた霊藻が、真顔で兎々を見つめた。
ぴゃっと小動物のように肩を跳ねさせた兎々は、頬を真っ赤に染めて口をまごつかせている。
「せやけど、助かったで天璃。あいつらが手に負えんくなったら、いつでも相談にのんで。その前に、そこのペットが消してそうな気もするけどな」
兎々がキャパオーバーを起こす前に離れた霊藻が、視線を珠羅の方へと移す。
以前は飛び交っていた火花も、今となっては過去のことだ。
飄々とした態度から、棘のようなものは感じられない。
「ほんで、本題の件やけどな。東妻くくりについて、なんか分かったんか?」
「それがさー、けっこう面白いこと言ってたんだよね〜。たしか、後天的な能力者を造る実験について──だったかな」
一瞬で訪れた沈黙が、重くのしかかってくる。
吸血鬼との遭遇も含め、かいつまんで話した珠羅に、霊藻も兎々も緊張した面持ちを浮かべていた。
「……それがほんまに行われとるとしたら、えらいことやで」
黙って耳を傾ける天璃に、兎々が話を補足する。
「能力者を後から造るのは……法律で禁止、されてるんだよ」
「法律って、日本の?」
「正確に言うんやったら、“裏の法”ってやつやな。うちらみたいな人外や、事情を知る家に別途課される制約ってところや。公にはされとらん」
難しい表情の霊藻が、想像以上の厄介ごとに思わず眉間を押さえた。
「藪をつついて蛇を出した気分や。そやかて、ほっとくわけにもいかん」
「九重の家って、警察関係だもんね〜」
「そうだったんだ」
ぱちりと瞬いた天璃に、兎々がこくこくと頷いている。
面倒そうに顔を歪めた霊藻だが、このまま流せることでもないと判断したのだろう。
「問題は、学園がどこまで把握しとるかっちゅうことや。調べようにも、先祖返りと吸血鬼は互いに深入りを禁じられとる。顔を合わせるんも、狩りの時くらいやしな」
「気になるなら、踏み込んでみればいいのに〜」
「あんなぁ。そんな簡単に──」
決められることでもない。
そう続けようとした霊藻は、兎々に服の裾を引かれたことで反射的に口を噤んだ。
「霊藻ちゃんは……わたしがいるから、迷ってるんだよね……」
何かを言いかけた霊藻だが、真剣な眼差しを向けられ言葉を呑み込む。
「わたしは弱いし、泣き虫だし……霊藻ちゃんが心配するのも、当然だと思う。でも、わたしももう、子供じゃないから……! だから……その、えっと……」
「兎々……」
珍しく困った様子の霊藻が、震える兎々の手をそっと握った。
テーブルに置かれたティーポットから、仄かに茶葉の香りが漂う。
「とりあえず、霊藻ちゃんは兎々ちゃんを危ないことに巻き込みたくない。でも、家の事情や霊藻ちゃんの性格的にも、このまま野放しにはしておきたくないってことだよね」
「相変わらず、頭の回転が速いこっちゃな」
不意に、天璃が霊藻の名前を呼んだ。
続く発言に、霊藻は驚きと感心を滲ませている。
「私もできる限り協力するよ。霊藻ちゃんだけじゃなくて、兎々ちゃんの力にもなりたいって思うから」
「天璃ちゃん……」
潤んだ目の兎々が、ゆっくりと顔を上げた。
天璃の言葉には、霊藻との取引を匂わせつつも、同時にそれだけではない感情も含まれている。
「……阿留多伎にも、協力してもらうことになんで」
「別にいいよ〜。そもそも、天璃ちゃんがそうしたいって言ってるのに、断る理由なんてないでしょ」
当然のように答えた珠羅が、緩く首を傾げる。
霊藻は虚をつかれた顔になると、一泊置いて笑い声を上げた。
「そうやったな。可愛い飼い主の頼みは、叶えたるのがペットっちゅうもんやったわ」
ひとしきり笑った玉藻が、三日月のように笑む。
「おおきに。ほな、遠慮なく頼むわ」
嬉しそうに頬を赤らめた兎々へ、霊藻がもう一度感謝を呟く。
寄りかかってきた珠羅を撫でると、天璃は自身のケーキを躊躇なく差し出した。
「ひとまず、作戦会議でもする?」
「あの……!」
天璃の提案にパッと手を上げた兎々へ、全員の視線が集まる。
顔を真っ赤にしながらも、兎々は懸命に言葉を絞り出そうとしていた。
「そっ、そのことなんだけど……対抗戦の賞品を使うのは、どうかなって……」




