第二十一滴 日を遮る闇
ふかふかの布団と、日差しを遮る心地の良い闇に、天璃はかつてないほどの安眠を得られていた。
冷んやりした温度が肌に触れ、無意識に身を寄せる。
くすりと笑う気配と共に、天璃の身体がすっぽりと何かに包まれた。
マシュマロのような弾力が頬に当たる。
再び深い眠りに落ちかけた天璃の耳に、目覚めを促す声が届いた。
「天璃ちゃん、朝だよ〜」
何秒かの沈黙。
天璃の耳元に唇を寄せた珠羅は、「起きないと悪戯しちゃうよ?」と囁いている。
「……ん、おきる……」
うっすらと開いた天璃の目が、眠たげに瞬いた。
口では起きると言いながらも、天璃の瞼は今にも落ちそうだ。
「天璃ちゃんって、朝弱いよねぇ」
そう呟いた珠羅の声に、咎めるような響きはない。
「よいしょ〜」
先に身体を起こした珠羅が、天璃を軽々と抱き上げた。
強制的にベッドから運び出され、天璃は腕の中でぼんやりと珠羅の顔を見つめる。
「なぁに?」
天璃からの視線を感じ、珠羅が砂糖の溶けた笑みを浮かべた。
出会った時は闇そのもののような目をしていたが、最近の珠羅は天璃といる時だけ光を見つけたような瞳になる。
底知れず美しい猛獣が、自分の前では可愛らしいペットに。そんな二面性にも近い変化を、天璃はどこかこそばゆく感じていた。
「おはよう、珠羅ちゃん」
はっきりした声は、天璃がまどろみから抜け出したことを表している。
「おはよー」
普段よりも近い距離で重なった視線に、珠羅がゆるりと目を細めた。
◆ ◆ ◇ ◇
どうして珠羅の傍では、深く眠ることができるのだろうか。
答えの出ない疑問を抱えたまま、天璃は珠羅と寮の食堂にきていた。
メニューを選んでいた天璃の視界に、ふと見覚えのある給仕の姿が映り込む。
天璃の視線に気づいた給仕が、足早に近づいてきた。
「お決まりでしょうか?」
「はい。それと、頼みたいことがあって」
珠羅の分も含め注文を済ませた天璃は、給仕を静かな眼差しで見上げた。
「夜は部屋で食べるので、あなたが運んできてくれますか?」
「私が、ですか?」
「あなたにお願いしたいんです」
困惑した様子の給仕が、にこにこと笑うだけの珠羅に顔を向ける。
「阿留多伎様は……よろしいんでしょうか?」
表情はそのままに、珠羅の目からすうっと光が消えた。
「それさー、私に聞く必要ある?」
「っ、申し訳ございません……!」
真っ暗な瞳が向けられ、給仕が咄嗟に俯いた。
飼い主の位は、ペットである猛獣のものが反映される。
つまり、学園の制度に基づくならば、天璃は珠羅と同等の立場であり、同じ待遇を受けるべき存在になったということだ。
そもそも、天璃の要望に何も言わない時点で、珠羅が承諾しているのは分かり切っていた。
にも関わらず、給仕が珠羅にも許可を求めたのは、たとえ飼い主といえども、立場は猛獣の方が上だと判断していたからだ。
「……またご夕食の際に、伺わせていただきます」
頭を下げた給仕が、テーブルを離れていく。
遠ざかる背中から視線を逸らすと、天璃は料理が届くまで珠羅との雑談を楽しんでいた。
◆ ◆ ◇ ◇
「……あ」
教室の前でばったり会った荒牙は、天璃を見るなり思わず声を漏らしている。
「おはよう、風殿さん」
「おはよ」
相変わらず気怠げな雰囲気をしているが、思いの外はっきりとした挨拶が返ってきた。
初めて会った時は、天璃を取るに足らない相手だと哀れんでいた荒牙だが、今は真逆の感情を抱いているらしい。
飼い主だった頃の魅与に向けていたような、強者に対する一種の尊重を感じる。
「阿留多伎さんはいねえの?」
「職員室に寄ってから来るんだって」
へえと相槌を打った荒牙が、教室のドアを開いた。
先に入るよう促され、天璃がお礼を口にする。
「上手くいってんの?」
「珠羅ちゃんと? 私はそう思ってるよ」
教室の中央辺りで、荒牙が足を止めた。
天璃の席はもっと奥のため、そのまま背を向けて歩き出す。
「ま、気が変わったら、いつでも声かけてよ」
思わぬ言葉に、天璃が後ろを振り返った。
机でうつ伏せになった荒牙は、授業が始まるまでもう一眠りするつもりらしい。
表情の見えない荒牙から視線を外すと、天璃は自分の席に座り、窓の外を眩しげに見つめた。




