第十九滴 演じる
「珠羅様……お隣の方とは、どんなご関係ですか?」
怒りを押し殺した声に、兎々がびくりと肩を揺らした。
テーブル横で足を止めたくくりは、天璃の方を不愉快そうに睨んでいる。
「いきなり割り込んできて、えらい喧嘩腰やな。うちらに挨拶もなしか?」
怯える兎々の手を宥めるように握った霊藻が、くくりに冷ややかな眼差しを向けた。
「序列っちゅうものを理解してへんようやな。そんなんやと自分……近いうちにお陀仏すんで?」
くくりの背を、ぞわりとした悪寒が走っていく。
逆らっては駄目だと理解した脳が、くくりの感情を幾分か落ち着かせた。
「……失礼しました。本日付けで転入してきた、東妻家のくくりと申します」
獲物であるくくりにとって、猛獣は自分よりも上の存在だ。
ファンタジアでは生徒同士という観点から、家柄などの立場に関係なく、自由に声をかけることが許されている。
ただし、自分よりも位の高い相手には礼儀を尽くさなければならず、下の者が上の者を無視することは許されなかった。
逆に、位の高い者は低い者に応える必要がなく、気に入らなければ無視をすることもできる。
よって、霊藻たちがくくりに名乗り返さずとも、周囲は不興を買ったくくりに問題があるとしか思わないのだ。
授業後の店内には、他の学生たちの姿もちらほらと見える。
注目されているのに気づき、くくりが居心地悪そうに眉を顰めた。
「それで、何だっけ。私たちがどんな関係か知りたいって話?」
「そ、そうです!」
珠羅に話しかけられたことで、くくりの表情が明るくなった。
にこりと笑った珠羅が、天璃の肩を引き寄せる。
次いで聞こえた言葉に、くくりの表情が一転した。
「天璃ちゃんは私の飼い主だよ〜。要するに、ペットと飼い主ってこと」
闇のような黒と目が合い、くくりが一歩後退る。
どうしてと漏れた声は、悔しそうに震えていた。
「……っどうしてですか、珠羅様! わたしが飼い主になりたいとお伝えした時、あんなに優しく笑ってくださったではありませんか……!」
「自分、フィルターでもかかっとるんか?」
感情を露わに叫ぶくくりに、霊藻が呆れたような顔で呟いた。
憐れむような視線を向けられ、くくりが思わず口を噤む。
「阿留多伎を庇うわけやないが、自分の勘違いやと思うで。どうせ『へえ〜、そうなんだ』とか適当な相槌打ちながら、胡散臭い笑み張り付けとったんやろ。それが肯定に見えたんかもしれへんけどな、阿留多伎は誰に対してもそんな感じやねん。自分が特別やったわけあらへん」
「わー、九重ってば酷いね〜」
傷ついちゃうと続けた珠羅だが、にこにこと笑いながら話す珠羅の態度は、とても傷ついているようには見えない。
「ま、こうゆうやつや。諦め」
反論する言葉も思いつかず、くくりは珠羅にひっつく天璃を悔しそうに睨んでいる。
ふと、先ほどから何も話さない天璃を不思議に思い、霊藻は斜め前へと視線を向けた。
「天璃、さっきからどうしたん──」
「あんまり睨まないで……怖い」
くくりをチラリと見上げた天璃は、珠羅の身体を盾にするように隠れ、制服の裾をぎゅっと握りしめている。
吹き出しかけた笑いを、霊藻はすんでのところで呑み込んだ。
今や、店内の視線は天璃たちのいる席に集中している。
他の生徒の目がある状況で、天璃がか弱い少女を演じることにした理由に、霊藻が気づかないはずもなかった。
「心配しなくても、天璃ちゃんのことは私が守ってあげるからね〜」
珠羅に抱きしめられた天璃が、縋るように腕を回す。
目の前の光景に耐え切れず、踵を返したくくりは、足早にカフェから去っていった。
コソコソと聞こえる話し声に、霊藻が片眉を上げる。
女子の噂は回るのが早い。
今後のためにも、油断させておくのは悪くない方法だろう。
紅茶のカップで口元を隠しながら、霊藻は唇を三日月のように吊り上げた。
◆ ◆ ◇ ◇
「ほんま、腹が捩れるかと思うたで……」
寮への道を四人で歩きながら、霊藻は天璃に何とも言えない表情で声をかけた。
「ごめんね。クラス対抗戦の話を聞いて、咄嗟に思いついたことだったから」
びっくりしたよねと続けた天璃に、兎々はふるふると首を横に振っている。
珠羅や霊藻に対しては、はなから心配していなかった天璃だが、本音を言うと兎々の反応が少し気がかりだった。
しかし、何ら変わらない様子で接する兎々に、天璃も頬を緩ませている。
「ほんで、予想通りに動きよったか?」
「やっぱり気づいてたんだね」
くくりが天璃たちの後をつけていると分かった時から、天璃もまたくくりのことを観察するようにしていた。
霊藻の話が終わったのを皮切りに、天璃はくくりから行動を起こすよう仕掛けることにしたのだ。
「そりゃあな。天璃と阿留多伎がなんかするたび、凄い目で見よったからな」
いつか飼い主になれると思っていた憧れの猛獣の隣には、すでに別の誰かが寄り添っていた。
何処の馬の骨か。はたまた泥棒猫か。
くくりの心情を想像するなら、そんな感じだったのだろう。
月の描かれた扉を開くと、天璃たちが暮らす寮のエントランスが広がる。
宇宙をモチーフにしたような寮の内装は、煌びやかでありながら、不可思議な魅力も漂っていた。




