第十五滴 小手調べ
日光は苦手だ。
目が焼かれそうなほど眩しくて、肌がひりつくほど痛い。
それでも、朝に弱い天璃にとっては、覚醒を促すための手段の一つになっていた。
天蓋を垂らすように、漆黒の髪が天璃の視界を遮る。
頬をくすぐるさらさらした感触に、天璃は眠たげな目をゆっくりと瞬かせた。
「……しゅらちゃん?」
「おはよ〜。ぐっすりだったね」
ぼんやりした様子の天璃に微笑むと、珠羅は天璃の上から退いていく。
「もうすぐお昼だけど、部屋で食べる?」
「……へや……。ルームサービス……?」
カーストの差による待遇の違いに、昨日から衝撃を受けっぱなしだ。
思考がはっきりしてきた天璃は、ベッドから降りるため身体を起こすと、部屋の中をくるりと見回した。
「寮の食堂もあるけど、どっちがいい? 天璃ちゃんが選んでいいよ」
「じゃあ……寮の食堂に行ってみたいかも」
珠羅の問いかけに答えつつ、寝室の窓へと近づく。
閉じられたカーテンからは、うっすらと光が漏れていた。
「カーテン、もっと分厚いのに変えようか?」
「ううん、大丈夫。こんなに寝れたの久しぶりだったから、何でかなって思ってたの」
ほんの僅かな日差しで目が覚めることもある天璃にとって、誰かに起こされるほど熟睡するのは珍しいことだった。
珠羅の傍は、まるで太陽のない世界のように暗くて心地がいい。
純粋な闇に包まれる感覚に、天璃は自然と安息を得られていた。
「あの……珠羅ちゃん。何でボタンを外してるの?」
「んー? 着替えさせてあげようと思って〜」
ゆったりとした寝巻きは、首から胸元の部分がボタンでとまっている。
するすると服を脱がしにかかる珠羅の手を、天璃は勢いよく握った。
「自分で着替えマス」
「え〜。遠慮しなくていいのに」
天璃の手を握り返すように開くと、珠羅は指の間に自身の指を挟んでいく。
恋人繋ぎにした手を掲げた珠羅は、「こういうのは良いんだ?」と面白がるように天璃を見つめた。
大抵のスキンシップは平気な天璃だが、一部に看過できないものがあるらしい。
落ち着いた天璃が時折見せるうぶな反応を、珠羅は内心とても愉快に思っていた。
「珠羅ちゃんの手、冷んやりしてて気持ちいい」
ふと天璃からこぼれた本音に、ほんの一瞬、珠羅の気配が揺らいだ。
にこりと笑みを浮かべた珠羅が、「じゃあずっと繋いでよっか〜」と揶揄うように覗き込む。
「着替えたいから、今は離して」
「しょうがないなー。新しい制服が届いてたから、今日からそっちを着てね」
珠羅が示した先には、リボンの結ばれた箱が置いてある。
珠羅はすでに着替えを終えており、天璃が箱を開けるのをじっと観察していた。
ファンタジア女学園の制服には、軍服や騎士を彷彿とさせるような、かっちりとしたデザインが採用されている。
上下別の制服はスカートかズボンを選べるようになっており、学内にはズボンを履いている女生徒もそこそこいた。
制服には一体型と呼ばれる物もあり、珠羅が着ているのはまさにその一体型だ。
真っ黒なワンピースには、服の形をなぞるように白いラインが入っている。斜めに大きく開いたスリットの下には、同色のスカートが重なっていた。
シックな雰囲気でありながら、遊び心も感じるデザインだ。
何より、珠羅に驚くほど似合っていた。
「珠羅ちゃんと契約したのって、昨日の午後だよね。出来上がるの、早すぎない……?」
「猛獣って、日頃から制服を駄目にするのが多いからね〜。デザイナーとスタッフは、学園に住み込みで働いてるんだよ」
そこはかとなく、ブラックな気配を感じる。
箱の蓋を開けた天璃が、思わず感嘆の声を上げた。
白を基調としたワンピースには、要所に黒いラインが走っている。腰から裾まで大きくスリットの入ったワンピースの間からは、黒いスカートが覗いていた。
「配色を変えるだけで、こんなに違って見えるんだね」
黒を重ねた珠羅とは違い、天璃は白の下に黒を重ねてある。
バランスの取れた色合いからも、作り手のセンスを感じられた。
「興味があるなら、今度会いに行ってみる?」
「いいの?」
「多少の人脈は、あった方がいいでしょ」
予想外の理由に戸惑いつつも、天璃は落ち着いた表情で感謝を口にした。
目を細めた珠羅が、ゆるく唇を上げる。
「そういえば天璃ちゃん。下着、可愛いね」
唐突な言葉に、和やかな空気がぴたりと凍った。
天璃の視線が、自身の胸元に向けられる。
ボタンが外れていたことで、寝巻きが肩からずり下がり、前がぱっかりと開いていた。
「……着替えるから、珠羅ちゃんはあっちに行ってて」
「え〜、女の子同士なのに」
「あっち、いってて」
胸元を隠した天璃が、寝室から出るよう指をさす。
不満そうにしながらも、珠羅は天璃に言われるまま部屋を後にした。
◆ ◆ ◇ ◇
寮の食堂は、ホテルの会場のような豪華さをしていた。
ビュッフェコーナーの他にも、各テーブルにはメニュー表が置いてある。
中で配膳をしていた給仕の一人が、珠羅の姿を見るなり慌てた様子で駆け寄ってきた。
「阿留多伎様、本日はこちらでお食事ですか……?」
「私の飼い主が、こっちで食べてみたいんだって。ね?」
天璃を抱き寄せ甘い笑みを浮かべる珠羅に、給仕が頬を赤らめた。
「……っお席にご案内します」
給仕の後に続き、珠羅の隣を歩く。
周りから感じる視線は、どれも猛獣らしく鋭いものばかりだった。
「あっ、天璃ちゃん……!」
「食堂で食べよるなんて、珍しいこともあったもんやな」
奥の席に向かう途中、天璃は食事中の兎々と霊藻を見かけ、自然と足を止めていた。
「せ、制服かわいいね」
「ありがとう兎々ちゃん」
微笑む天璃に、兎々が照れた表情を浮かべる。
「そうや、天璃に話したいことあってん。今日の授業後、時間もらえるか?」
「もちろん。じゃあ、また学園でね」
午後からは授業があるため、どのみちすぐに会えるだろう。
少し先で待つ珠羅の元へ、天璃は小走りで近づいた。
「ごめんね、待たせて」
「いいよ〜。何食べる?」
「え、うーん……ちょっと悩むかも」
案内された席で、メニュー表を手に取る。
「天璃ちゃんの好きな物、教えてよ」
優しげな眼差しで天璃を見つめる珠羅に、天璃が口を開きかけた時だった。
ふっと、珠羅の目から光が消える。
気づくと、天璃の前にカトラリーのフォークがあった。
「行儀がなってないのがいるね〜」
飛んできたフォークを手で受け止めた珠羅は、ちらりと目線だけを斜め後ろに向けている。
もし珠羅がいなければ、フォークは天璃に刺さっていただろう。
異変に気づいた給仕が、青ざめた顔で駆け寄ってくるのが見えた。




