第十一滴 体質
狩りとは、島全体をエリアとした隠れ鬼のようなものだ。
時に逃げ、時に隠れ、獲物は自身を守る手段として能力を使用する。
ただし、捕まっても鬼は変わらず、待っているのは死だけだ。
そんな理不尽なゲームに、天璃は獲物にも劣る生贄としてやってきた。
天璃に物理的な強さはない。獲物のような能力もなければ、狩りに対する知識もほとんどない。
それでも、知略を巡らせることだけはできた。
狩りが始まれば、魅与は荒牙を連れて、真っ先に天璃を探しにくるだろう。
つまり、天璃は他の獲物よりも、残された時間が少ないことになる。
薄井に教えてもらった話を基に、なるべく木々の密集した場所を縫うように進んでいく。
すでに開始から十分は過ぎているはずだ。
前方でカサリと音が鳴り、天璃は反射的に顔を上げた。
「……あ」
別のクラスの生徒だろうか。
全く見覚えのない姿に、天璃が無言で足を止める。
呆然とした顔で天璃を見ていた生徒は、「良かった……!」と言いながら天璃の方に近づいてきた。
「やっと人に会えた! 転入したばかりなのに、いきなり狩りなんて訳の分からないものに参加するよう言われたんです! もうどうしたらいいか分からなくて……!」
天璃に会えた安堵から、生徒はペラペラと話を続けている。
「事情は分かったから、いったん静かにして」
話を聞く限り、天璃と同じ生贄枠の生徒だろう。声が通るため、辺りに生徒の声が響いている。
耳のいい猛獣に気づかれないよう、天璃は生徒に向けて口を閉じるよう促した。
「どうしてそんなこと言うんですか……? そもそも、狩りってなんなんですか……!? みんな、ちっとも教えてくれない! どうせあなたも──」
ぐちゃり……と、肉の潰れる音が鳴った。
飛び散った血液が、地面に花火を描く。
空から降ってきた何かは、背中から生えた翼を折り畳むと、絶命した生徒の首根っこを持ち上げている。
「やっぱり能力者じゃなかったかぁ。まあ、それでも力にはなるし、早く帰れるからいっか!」
にぱっと笑った少女は、近くに佇む天璃を見ると、上機嫌で声をかけてきた。
「君は早く逃げた方がいーよ! 僕の獲物はこいつで終わりだけど、他の猛獣たちはそうじゃないからね!」
親切心だと言わんばかりに笑いかけた少女は、亡骸を一度地面に落とすと、首を締めるように掴み直している。
ごきりと骨の折れた音が響くも、少女に気にした様子はない。
竜のように巨大な翼を広げた少女は、亡骸を揺らしながら、再び空へと飛び立っていった。
◆ ◆ ◆ ◇
猛獣が狩りをする場面を目にしたのは、これで二回目だ。
気分は良くないが、赤の他人に心を砕くほど優しいわけでもない。
今頃、魅与は荒牙に命じて、天璃の居場所を探させているはずだ。
もうそれほど、猶予はなかった。
木の根元に腰を下ろし考え込む天璃の傍に、ふと小さな雪玉が駆けてくる。
「……ウサギ?」
隣にちょこんと座った真っ白なウサギは、くりくりした目で天璃を見上げた。
ウサギの首には紙のような物が括られており、指でそっと抜き取っていく。
白い紙片には、数行に渡って霊藻からのメッセージが書かれていた。天璃が読み終わった途端、察したように青い炎が燃え上がる。
跡形もなく消え去った紙片を見て、天璃は霊藻らしいと小さく笑みをこぼした。
突然、ウサギがびくりと震えた。
酷く怯えた様子で逃げていったウサギを見て、天璃はゆっくりと立ち上がった。
「私を殺せるのが、そんなに嬉しい?」
「当たり前じゃない。嬉しくってたまらないわ」
嘲笑を浮かべる魅与の後ろには、耳と尻尾を生やした荒牙がいる。喜びを露わにする魅与を見つめ、天璃は「赤ちゃんみたいだね」と口にした。
「……は? あんた、今なんていったの?」
「赤ちゃんみたいって言ったよ。探すのも、殺すのも、機嫌を取るのも、全部人にやらせてる。あ、でも……こんな相手と比べたら、赤ちゃんに失礼だったよね」
怒りで身体を震わす魅与にくすりと微笑むと、天璃は「だってそうでしょ?」と続けた。
「今回だって、全部やらせようとしてる。自分じゃ何もできないから、いつも風殿さんと一緒にいるんじゃないの?」
「あんた、よくもそんな……! あたしがどうやってここまできたと……!」
怒りを抑えきれない魅与だが、普段であれば宥めにかかるはずの荒牙は、珍しく静観に回っている。
プライドを傷つけられたことで、魅与の目は憎しみに燃えていた。
「はっ、あはは! ……いいわ、どうせ死ぬんだもの。その前に、あたしの能力を教えてあげる」
ゆらりと顔を上げた魅与が、天璃と目を合わせる。
その瞬間、魅与の目が妖しい光を放った。
『こっちへ来なさい』
ぴたりと動きを止めた天璃が、魅与の方へふらふらと歩き出す。
縮まっていく距離に、魅与が嘲るような声を上げた。
「ばっかみたい! あんだけ生意気なこと言っておいて、あたしの能力にはころっと負けちゃうんだから」
目の前で止まった天璃の頬を、魅与が爪で引っ掻いた。
真っ白な肌に走った赤い線を見て、魅与の怒りが少し収まっていく。
「あたしの能力はね、目が合った者を“魅了する”能力なの。魅了中の命令は絶対。つまり、あたしが死ねって言ったら、あんたを殺すことだってできるのよ?」
唇を吊り上げた魅与が、懐から何かを取り出した。
小刀のような形状のそれを、魅与は天璃へと手渡す。
「どうせなら、苦しんで死んでもらおうかしら。そうねえ……」
思案顔の魅与が、何かを思いついた表情に変わる。
「切腹ってすごく痛い上に、なかなか死ねないって聞いたことがあるの。だから決めたわ。『自分で腹を裂いて死になさい』」
天璃の手が、鞘から小刀を抜いた。
鋭く光る刀身を振り上げた天璃に、魅与が笑みを深める。
「ごめんね。私、そういうの──効かない体質なの」
「……は?」
ほんの一瞬の出来事だった。
勢いよく地面に叩きつけられた魅与が、目を瞬かせる。
瞬きの直後に見えたのは、魅与の首に刃先を突きつける天璃の姿だった。




