第八話 他化自在天
「それにしてもさ、第六天魔王ってなんなの?」
放課後、いつものようにボクらイエヤス、ノブナガ、ヒデヨシの幼馴染の男子高校生三人はコメダ珈琲店でたむろしていた。
「家康殿がまさか知らぬとは!」
ノブナガがまた変な口調だけど、ボクは無視して答えた。
「知るわけないじゃん」
「なんと!」
「オレも知らない」
スマホをいじっていたヒデヨシも口を挟んだ。
「むむむ。そもそも信玄のやつが偉そうなことを言うので、脅すために返信の書状の名に使ってみたのじゃ。自分で言うのもなんだが、魔王と名乗るのはわしにふさわしかったわ」
一五七一年、織田信長が明智光秀に命じて比叡山を焼き討ちした後、武田信玄は信長を非難する書状を送りつけてきた。
「てかさー、そもそも第六天って何なの?」
ボクが聞いた。家康の記憶にもないんだよね。
「それはだな……」
ノブナガが口ごもった。
「あれれ、ノブナガ知らないんじゃない?」
茶化してみたけど……。
「ぐぬぬ、あれは戦国時代にだな……」
「知らないんだろ」
スマホを見たままヒデヨシが追い打ちをかけた。
「ぬぬ、主君を愚弄するか」
「だからさー、織田信長の生まれ変わりとか妄想なんだよ」
ヒデヨシがドライに言った。
「うむむ」
「えっとね、ググってみたよ」
ボクはスマホで調べた説明を読み始めた。
「第六天とは仏教における天のうち、欲界の六欲天の最高位(下から第六位)にある他化自在天をいう……それでね、仏道を妨げている悪魔のことなんだってさ」
「お……おう」
ノブナガは答えに窮した。
「はは。確かに織田信長にぴったりな称号だね。比叡山を焼き討ちしたり、一向一揆を弾圧したりしたんだから」
まあ、ボクはあんまり加担してないよ。比叡山に関しては。
「……まあな……ああ、思い出したぞ。あの時、比叡山延暦寺に与する信玄に出す書状に、第六天魔王と名乗ったらいいと光秀に指南されたのじゃ。あやつは仏門にも学問にも秀でていたから、なるほどと思ってな。まあ、かっこよかったのが一番の理由だけどね」
なんか現代言葉と混じっちゃってるけど……意地悪言ってみようかな。
「ふーん。織田信長ってホントにうつけだったんだね。光秀の言いなりって」
「うるさいわ。あの時は光秀を信頼しておったのじゃ」
そうだったんだ。なんか下僕っぽかったけど。
「イエヤスさ、ノブナガの中二病話に乗りすぎだろ」
スマホから視線を上げ、不機嫌そうにヒデヨシが文句を言った。
「あ、うん。そーだね。なんか面白いからついね」
「藤吉郎は主君の話に乗れぬか。それならどうだ。きょうもわしのおごりということでどうだ」
「うっ」
痛いところを突かれたヒデヨシがうなった。
ヒデヨシはだいたいいつも金欠だ。
ただし、豊臣秀吉のように貧しい家に生まれたわけではなく、厳格な家庭環境が原因だ。一カ月の小遣いは八千円。多いようだが両親が共働きで忙しく弁当は作ってもらえないため、昼食代込みの金額だ。
ノブナガに付き合ってコメダに入り浸ると、あっという間に底をつき、昼食もままならなくなってしまう。参考書とかならきちんと申告すれば惜しみなく買ってもらえるらしいが、漫画やゲームは×。ラノベは微妙らしい。子供の頃からお菓子もあまり買ってもらえなかった。そんな生い立ちから、一発でクレーンゲームの商品を取ってしまうようなスキルが身に付いた。
お金がないのでいつもひもじい思いをしているが、唯一のぜいたくが一個一二〇円のパスコのサンドロール。つぶピーナツが食べられれば幸せらしいのだが、一番人気のため、よく売り切れてしまっていると嘆く。ちなみにサンドロールは七十年以上の歴史があり、東海地方では大人気の菓子パンだが、なぜか関東地方では売っていない。
「おごってくれるなら……まあ付き合ってやるよ」
スマホをテーブルの上に置き、視線をそらしながらヒデヨシがつぶやいた。
「うむ。さすがサル、素直で良いな」
「えっとさ、サルだけはやめて」
ヒデヨシがちょっと困ったような声で言った。
「そうだな、羽柴秀吉に名を与えたのだからな。これからは秀吉と呼ぼう」
「いや、もともとオレのこと、ヒデヨシって呼んでただろ」
「いや、漢字の秀吉だ」
「はあ? もうどっちでもいいよ……」
「ボクもおごってよ」
ボクは自分で言うのもなんだけど、けっこうがめついんだよね。倹約家ぶってても。あ、前世でもそうだったか。
「先日もおごった気がするがのう」
「ええー。それじゃあ、こないだのこと、悪いようにしちゃっていいのかなあ?」
ああ、こんなこと言っちゃうの、自分でも狸だと思うけど……しょうがないよね。
「えっ? それは困る。分かった。おごる。おごるから。お願い、イエヤス!」
信長は急にノブナガに戻った。
「えっ? 何、なんのこと?」
いぶかしげにヒデヨシが聞いた。
「なんでもないよねー」
「あ、まあ、そうだな。たいしたことじゃあないかな。うん。でもやっぱおごるよ。うん」
「やったー。ノブナガありがとうね」
「なんなんだよ。変な奴ら」
ヒデヨシはそう言ったものの、それ以上は突っ込まなかった。
「おぬしらに提案があるのじゃ」
急にノブナガが切り出した。
「わしが信長だと気付いたのは大須の万松寺であった。ということはじゃ、おぬしらもゆかりの場所に行けば、前世の記憶を取り戻すのではないのか」
「はあ?」
ヒデヨシがあきれた声を上げた。
「まずはヒデヨシ、いや秀吉、おぬしを豊国神社に連れて行きたいのじゃが」
「なんだよそれ。それに今、わざわざ漢字に読み直したな。だいたいオレ、金ないって」
「案ずることはない。わしが出す」
「わーい。ボクも連れてってくれるの?」
「もちろんじゃ、家康殿がいなくてどうする」
豊国神社は名古屋市中村区にある神社で、名称の通り、豊臣秀吉が祭られている。周辺は秀吉の生誕地だと言われている。
「まあ、付き合うって言っちゃったからなあ」
ヒデヨシは約束は守る男だ。
「そうかそうか、藤吉郎は素直が一番じゃ」
ノブナガがうれしそうな顔になった。
「それにしてもさ、あそこの中村公園の駅のところに鳥居あるだろ」
ヒデヨシが言った。
「あのでっかいやつ?」
つい、ボクが聞いてしまった。
「そう。あれをさ、黄金色に塗り替える計画があるだろ」
「うん」
「めっちゃ趣味悪すぎだろ。豊臣秀吉が金の亡者だったみたいじゃんか」
「ほう。まるで自分のことのように語るのう」
ノブナガがニヤリとした。
「え……いやそういう意味じゃなくて……あーもう。名古屋の名誉のためだって。金ピカの鳥居とかどこにあるんだよ。だいたい赤鳥居って呼ばれてるしさ」
「そうかそうか、わしの知っている頃の羽柴秀吉は倹約家だったからのう。おぬしはやはり藤吉郎なのではないか」
「なんでそういう話になるんだよ。まあいいよ。行けばいいんだろ」
「うむ。栄で東山線に乗り換えねばならぬのう」
「また遅くなっちゃうかな」
ボクは時計を見た。
「まあ、この時期は暮れ六つ時を過ぎても明るいからな」
「それこないだも言ってたよね。名古屋港行った時」
「うぬ? それがどうかしたか?」
「いやさ、めっちゃ面白かったから。ヒデヨシに見せたかったよ。今度は豊国神社でやってみてよ」
「うーむ。どうしようかのう」
「お前ら何言ってるの?」
「まあよい。遅くなる前に出立するぞ」
夕方の名古屋・栄駅はものすごい人波だ。
名城線の電車を降り、ホームを歩きながらノブナガが話し始めた。
「それにしても、わしの生まれ故郷、那古野がこれほどの大きな街になるとはな。おやじ様はここが気に入っていたようだが、わしは若いころ、居城を清州に移してしまったから、今の名古屋の基礎を作ったのは家康殿ということになるな」
「家康はなんでここに目を付けたんだろうな」
ヒデヨシが疑問を挟んだ。
「えっとね、この辺は荒れ地になってたんだけど、関ケ原の戦いの後に、家康が天下普請の要衝の地として尾張徳川家の名古屋城を築かせたんだよ。織田信長のゆかりの地だったから、ちゃんと大きな町にしたかったんじゃないかな」
あ、まずい、つい説明しちゃったよ。
「ほう。さすが家康殿だ。わしを顕彰してくれたということか」
やっぱりノブナガに突っ込まれた。
「あ……えと、まあ想像だよ想像」
ごまかさなきゃ……。
「ふーむ。想像なあ」
「想像だってば」
「ふむ。自身の故郷の岡崎を大きくしなかったのは、さすが奥ゆかしい家康殿と言うしかあるまいな」
「あそこはさ、嫌な思い出……あ、と、やば。いや何でもない」
「何を慌てておる。はっはっは。そうだな、あれはわしのせいにされておるな」
「もう、ボクはボクだからね!」
「わかったわかった。家康殿の記憶は岡崎では戻りそうもないのう」
「知らないよ!」
家康は一五七〇年、長い間居城としていた岡崎城を長男の信康に譲ったが、信康は後に武田信玄に通じた謀反の疑いで自刃。信長が命じたとされるが、家康自身の処断だったとも言われる。信康の生母で家康の正妻だった築山殿も暗殺されている。家康はその後も江戸に移るまで浜松城を拠点とし、岡崎に戻ることはなかった。
三人が東山線のホームへと上がる階段を登り切るとちょうど、高畑行きの電車が入線してきた。