第十三話 内府殿
大須観音は大須商店街の北西の端にあり、鶴舞線の大須観音駅に通り抜けられるため境内の人通りは多い。ただ、境内の北西の端、歯歯塚と呼ばれる奇妙な碑がある辺りは木の陰で閑散としていて人目にもつきにくく、隠れて話をするにはうってつけだ。
ちなみにこの歯歯塚の歴史は新しく、抜けた歯を供養するという趣旨で半世紀ほど前に立てられたものらしい。人間の口の中の歯をかたどって二十八本の石が丸く並べられた様子はよく見るとちょっと不気味だが、脇を通る人はほとんどそれと気づかないかもしれない。
そこでボクとヒデヨシは話を続けた。
「あっ!」
ヒデヨシが突然、声を上げた。
「何? ヒデヨシ」
「とんでもないこと思い出した」
「とんでもないこと?」
「ノブナガ……じゃなくて昔の信長様だけど、オレが毛利攻めに出る前にとてつもないこと言ってたんだ」
「どんなこと?」
「畿内以西は九州まで平定したらオレ、秀吉に任せるって言ったんだけど、光秀には明国からポルトガルまで統治させるって言ってたんだ」
「ええ? ホント?」
「いやあ、光秀は優秀だから世界の王になれるはずだとかなんとか言ってたと思う。で、その上に自分が立って魔王になって世界中のすべてのいさかいをやめさせれば、真の意味の天下布武が成せるって」
「マジ?」
「まあ、あんまりトンデモなんで、そのときは聞き流したけど。ただ、それ聞いてたからオレ、太閤になったとき朝鮮出兵なんてバカなこと考えちゃったんだよな、きっと」
「ええ? じゃあ秀吉にボクら振り回されたのも、もとはと言えば信長様のせいだったってこと?」
「うーん、無意識に遺志を継ごうとしたのかな。その辺の記憶はなんかうすぼんやりしてる。ま、直接やったのはオレだから、どっちとも言えないかな」
思い出したくないといった感じでヒデヨシは首を振った。
「そのせいで、朝鮮出兵で散々な目に遭った黒田長政はボクに付いちゃったんだけどね」
「ああ、それはオレ……てか秀吉が死んだ後のことだからなあ。光成には悪いけど。それよりもさ、信長様はあの時、もしかして光秀に明国を攻めろって言っちゃったんじゃないかな」
「ええ?」
「あの頃の信長様の増長っぷりったらすごかったからな。毛利攻めや武田征伐でもいくさで手柄を立てたのはオレ、お前や嫡男の信忠様、それに光秀とかだったのに、ぜんぶ自分の力だと勘違いして世界を征服できるって思っちゃったんじゃないの。お調子者だったし」
「あり得るね確かに。ボクにはなんにも言わなかったけど」
「ああ、たぶん本能寺で言うつもりだったんじゃない? 光秀と合流した時に、一緒に世界を獲ろうって」
「あー、それなのにボクは堺に逃げちゃって……」
「で、明国を攻めろって命じられた光秀は逆切れしちゃったんじゃないかな。丹波の平定だけでも苦労したのに、もう我慢ならないって」
「まーね。無理だもんね」
「その無理をやっちゃったオレはもっとバカだったけどな」
「うん、そーだね」
ボクはちょっと意地悪を言ってみた。
「あ、ちょっとムカついた」
「ボクはそんなことはしなかった。身の丈にあった日本をつくろうとしたからね」
「くそー、それだけは認めざるを得ないよ。結局、すべての運は家康に味方するんだよなあ」
「あはは、それはボクの人徳だったかもねー」
「自分で人徳って言うか普通」
「えー、だってボクは神君家康だぞー」
「あほか」
「東照大権現様だぞー」
「はいはい」
「……人って不思議だね」
ボクは急にしんみりしてしまった。
「何? 突然マジになって?」
「家康だって現代に生まれてたら、ただの高校生だよ。今のボクだけど」
「ああ、オレだってそうだ」
「だから、この平和は守らなきゃね。ぜったい今の方が幸せだから」
「そうだよなあ。思い出したくもないよ、オレの前世の悪行三昧。どんだけ人殺したか……」
「でも、いいこともしてるじゃん。刀狩りとか。アメリカなんかいまだに銃規制できないのに、四百年も先進的だったんだからすごいじゃん。ボクの幕府も助かったんだよ、あれで」
「ああ、でもあれは身分を固定しようとしたんだし……」
「農民をいくさに駆り出したくなかったんでしょ」
「まあ、それもなかったわけじゃないけど……」
ボクは自己嫌悪になってきた。
「ボクもさ、人いっぱい殺したよ。士農工商を固定したのもボクだよ。でもさ、あのとき、ああする以外、どうしようもなかったんだ。今のボクとほとんど中身変わらないのに……だから、人って不思議なんだよ。ボクらが偉かったわけでもなんでもないもん」
「……でもオレも増長してた」
「それも仕方ないよ。だから今、こんな嫌な気分になってさ。ボクだって……」
うわ、涙が出て来ちゃったよ、情けないなあ。
「あああ、ごめん。泣くなよイエヤス」
「別にヒデヨシのせいじゃないから。前世でもボク、若い頃は泣き虫だったんだよ」
鼻水まで出て来ちゃったよ。
「へえ、あの偉そうな内府殿からは想像もつかないな。あ、でも幼稚園のころは確かによく泣いてたっけな。ノブナガとけんかしたりして」
「ぐす……うん、よくヒデヨシが間に入ってくれたよね」
「そうだったな。オレは泣かなかったけど。あ、オレが泣かない子だったのは前世が影響してるのかも。ひもじくて泣いてる暇もなくて、飯を腹いっぱい食べたいってそれだけ思ってたからな。あ、今もか」
「……あはは。そうだよ。みんな子どもだったんだよ」
涙流しながら笑っちゃったよ。
「オレたちは今、ただの高校生だ。前世に引きずられるのはやっぱりごめんだよな」
ヒデヨシが空を見上げてそう言った。
「そうだよ、さっきも言ったけどさ、前世の知識なんかぜんぜん役に立たないんだから」
「転生したのにチート能力もなさそうだしな。あ、ノブナガはあるって思ってるみたいだけど」
「はは。あれはあれですごいよね。前向き過ぎっていうか」
「前世でも後ろを振り向かなかったからなあ。まあ反省しないとも言えるけど」
「言えてる。で、ノブナガさ、一人で天下獲るって言ってたけど、何するつもりなんだろう」
ボクはちょっと首をかしげた。
「うーん、信長様の記憶がよみがえったとはいえ、実態はただの高校生男子だからな。危なっかしさはうつけだった若君の頃と同じかもな」
「まあ、どっちにしても、あした仲直りしといた方がいいね」
「そうだな。ただ、きょうのことはぜったい秘密だぞ」
「わかってるよ。ボクらの平和を守るためにもね」
「ところでさ、この歯歯塚って何?」
「歯の塚じゃないの?」
「いやだから……大須観音って家康がここに移転させたって聞いたけど」
「知らない。だって前世では来たことないし」
「そりゃそうか」
「あ! ボクたち座ってるの、これもしかして歯じゃないの?」
ボクはびっくりして立ち上がった。
「え? うわっ! こわ!」
そう言ってヒデヨシも跳ねるように立ち上がった。
「別にそんなに怖がらなくてもいいんじゃないの? しょせん石だし」
「そうだけど、ちょっとビビった」
「はは、ヒデヨシらしいね……生徒会長たち、さすがに追い掛けてこないかな。帰ろうか」
「ああ」
念のためボクらは、いつもの上前津駅の方には行かず、テレビ愛知の先の横断歩道で若宮大通を渡って栄に向かった。
「そこの若宮八幡社もボクが移転させたっていうことらしいけど、ぜんぜん知らないんだよね。歴史っていい加減だね」
「そう言えばさ、万松寺はもともとこっちの方にあったと思うけど」
「そうだよ。それもボクがあっちに移転させたことになってるのさ。知らないけど」
「はは、変なの。オレ、あ、オレって言うのやだな。秀吉のやったこともけっこう改変されてるよな。やっぱ歴史って間違いが多いな」
「でもさ、ボクらが訂正するわけにもいかないし」
「言えてる」