第一話 信長降臨!
「え!? まじか!」
叫び声の主は野田信長。名古屋市内の高校に通う一年生だ。
「これ、二人に言ったら信じてもらえないかなあ。でも思い出しちまったからなあ……うーん。あー、困った。うーん。あー、どうしよう」
小声で独り言を言っているつもりみたいだが、近くにいるボクらに丸聞こえだよ。
「どうしたの? まあノブナガはいつも変だけどね」
声を掛けたのはボク、竹平千代松。
「トイレならお寺の中にあるぞ」
そう言ったのは同級生の木下藤吉。
ボクらは幼稚園の時からの幼馴染で、同じ高校に通う腐れ縁の三人組だ。
ここは名古屋の中心部にあり、独特の雰囲気で老若男女の人気を集める大須商店街。
その一角に立つ万松寺は織田信長ゆかりの寺だ。定時になると、寺の建物の上の方の扉が開いて信長のからくり人形が出てきて舞を舞う。
三人はいつものように試験期間中の放課後、ツルんで遊びに来ていた。
「いや、そうじゃなくて……あのさ、思い切って言うけど笑うなよ。俺さ、信長だった」
ノブナガはあっけらかんとそう言った。
「は? そりゃそうだけど。お前はノブナガだよ?」
答えたのはボク、竹平千代松。徳川家康の幼名、松平竹千代をもじったみたいな名前のため、二人からは「イエヤス」と呼ばれている。
「なんのギャグ? 面白くないけど。ノブナガに決まってるだろ」
豊臣秀吉の若い頃の名である木下藤吉郎から「郎」を取っただけの名前のため、ボクらが「ヒデヨシ」と呼んでいる木下藤吉も続けた。
二人とも野田信長のことは当然、「ノブナガ」と呼んできたわけで。
「あ、いやそうじゃなくて、あの織田信長だよ。俺、生まれ変わりだったんだ」
そう言ってノブナガは、有名な「人間五十年」の舞を舞っている信長の人形を指差した。
ボクと目を見合わせた後、ヒデヨシは困った顔をして小さく首を横に振った。
「はいはい、またノブナガの中二病が始まったわけね。人形見てそれはないよな」
「そう言えば、中三のときはアレクサンダーの生まれ変わりとか言ってなかったっけ?」
ボク、イエヤスも続けた。
「あれはまあさ、ゲームにはまってただけで……とにかく、俺は信長なの」
ノブナガはまだ言い張る。
「はいはい、それは知ってるよ。子どもの頃からね」
ボクがいさめたが、ノブナガは動じない。
「ちがーう。俺は織田信長だったの! 葬式でおやじさまの位牌に抹香を投げつけたのも昨日のことみたいに思い出したぞ!」
「まあ、確かにこの万松寺で織田信長の父親の信秀の葬儀が行われたのは史実だけどな。今も墓があるし。でも、その信長のうつけ話は作り話だって……」
そう話し始めたヒデヨシを遮り、まるで昨日のことにようにノブナガが語り出した。
「いや、まじ俺、あの時こそ中二病だったわ。おやじさまが死んで、泣きそうなのごまかそうとしてあんなことして。バカだったなあ。いやさ、それであの後、反省したのさ。俺が織田家の頭領にならなきゃって覚悟を決めてな……」
「ちょっとイエヤスこっち来て……まずいって、どうする」
ヒデヨシはボクに耳打ちして、少し離れたところに引っ張った。
「そうだよね。うーん……ボクがなんとかごまかしてみる」
「お前ら、何こそこそ話してるの?」
ノブナガがそう言って近づいてきた。
「あはは、なんでもない。分かった分かった。織田信長ね。しょうがないなあノブナガは。しばらく付き合ってあげればいいんでしょ」
ボクはちょっと困った顔をしながらノブナガに言った。
「いや、マジだってば。だいたいさ、お前らも秀吉と家康の生まれ変わりなんじゃないのか? 竹平千代松と木下藤吉とか、考えてみたら俺も含めて三人、偶然にしてはできすぎだろ。そうだイエヤス、思い出したけど、お前、家康殿が竹千代だった子供の頃にそっくりだぞ。たしか八つだったかな、俺が初めて会った時は。かわいかったなあ」
徳川家康は幼少時、今川家の人質になる前、織田家の人質になった時期があった。当時は人質に取った武将の子に姫の着物を着せて遊ばせたりもしていた。
「あー、もう妄想がすご過ぎて引くわ。分かったよ。で、ボクが竹千代だっていうなら、どうすればいいの? もしかして、また昔みたいにかわいい格好すればいいのかなー」
自分で言うのもなんだけど、ボク、イエヤスは中性的な容姿でよく女の子に間違われる。中学時代は姉の制服を着てノブナガに迫ってからかい、ノブナガを赤面させたこともあった。まあ、その理由はたぶんわかってるけど。
「え? いやそういうつもりじゃ……」
ノブナガはちょっと困った顔になった。
「で、オレのことまさかサルとか呼ぶんじゃないだろうな」
ヒデヨシがたたみ掛けた。
「いや、そんなことはしない。俺が思い出しちゃっただけだから」
「まあ、ノブナガはいくら言っても聞かないからさ。そういうことにして、しばらく付き合ってあげるって。信長様、この家康、桶狭間ではたいへん申し訳ありませんでしたあ」
ボクはおどけて頭を下げた。
織田信長が駿河の大名、今川義元を討ち取った一五六〇年の桶狭間の戦いでは、後の徳川家康、元服したばかりの松平元康は今川方についていた。
「わたくしめは草履を温めましょうか」
今度はヒデヨシがひざまずいた。
木下藤吉郎が信長に取り入るため草履を温めておいたという有名な逸話があるが、これは後の創作だと言われる。
「うーん。そういうのじゃないんだけど。やっぱ信じてくれないのか。まあいいや。ゲーセン行こゲーセン」
そう言ってノブナガは、大須の街の西側を南北に貫くアーケード商店街の新天地通りを歩き始めた。
この通りだけでも万松寺を中心にドン・キホーテ、パソコンショップにドラッグストア、パチンコ屋にケータイ屋、メイドカフェ、唐揚げ、韓国スイーツなどなど、多種多様な店がひしめいている。
大須全体を見れば、古着屋、古風な喫茶店、昔ながらのブティックや呉服店、占い館、アイドルグッズ店、みたらし団子やういろうの店、台湾屋台……とにかくきりがなく、きわめつけは中古ブランド品の殿堂・コメ兵本店に大須観音。ローカルアイドルまでいて、ときどき街角でパフォーマンスしている。
もう何が何だか分からない。東京で言えば、浅草に上野と秋葉原と新大久保と巣鴨と渋谷に中野ブロードウェーをちょっとずつぐちゃぐちゃに混ぜたみたいと言えばいいだろうか。どういうわけかラーメン屋は少なくて、からあげ屋と韓国スイーツ店が多い。
この一帯はもともと、織田家とゆかりの深い万松寺の境内だったらしいから、太っ腹なんだか商売上手なんだかよく分からない寺だ。とにかく、そんな店店と人々でごったがえす大須の中心街を、少し離れて二人はノブナガの後を追った。
「とっさの捨て身作戦、とりあえず成功か。絶対にマウント取られるわけにはいかないからな」
そう耳元でささやいたヒデヨシに、ボクは小声で答えた。
「そうだよね。戦国の三英傑とか冗談じゃない。ボクら普通の高校生なんだから」
「同感。とにかく、絶対にごまかしていこうぜ」
「うん」
「おーい。何やってんだ。早く来いよ」
ノブナガが手を振っている。ボクらは小走りで追いついた。
「お前らそんなに仲良かったっけ?」
ボクはヒデヨシに目配せし、口を開いた。
「あれ? やきもちかな? ノブナガ ボクのこと好きだもんね」
そう言ってボクはにっこりノブナガにほほ笑んだ。
「え、いやそんなことはないぞ。あり得ないこと言うなよ」
ノブナガがはにかんだ表情になった。
「えー? ホントかな。また中学のときみたいに女子の制服着てこようかな」
「着てこなくていい」
「恥ずかしがらなくてもいいよ」
「うるさい! 手打ちにいたすぞ。わしは信長じゃああ」
「あははー。中二病、中二病!」
「だまれ!」
「やれやれ、これからどうなることやら」
ヒデヨシは一人、ため息をつくのだった。