4.販路開拓
バンド活動ができない以上、健太には仕事しかなかった。夢中で
仕事に没頭し、彼の会社が扱う弁当容器の販売に力を注いだ。
大口の売上を狙うなら、コンビニ関係と取引のある会社をターゲ
ットにするのが効率的だ。だが、そうした市場にはすでに大手商社
が入り込んでいるため、健太は「コンビニ関係は難しい」と判断し
た。
そこで彼が目をつけたのは個人商店だった。コンビニに比べれば
弁当の販売数は少ないが、多くの個人商店と取引を結べば、十分対
抗できる可能性がある。幸いなことに、ヒロシの会社には懇意にし
ている個人商店が多数あった。
ただ、個人商店をヒロシから紹介されても、弁当の中身がないと
話にならない。健太は、あくまで弁当容器の営業なので中身があっ
てこそなのだ。こんな弁当を作りたいので、こういう容器を作って
ほしいと要望があって、初めてスタートラインに立つことができる。
ここでくじけそうになったが、めげなかった。ヒロシに迷惑をか
けたついでに、もうひとつ頼もうと思った。それは、これもまたヒ
ロシが懇意にしている栄養士とタイアップするのだ。
しかし、ヒロシから個人商店を紹介されても、弁当の中身がなけ
れば話にならない。健太はあくまで弁当容器の営業だ。弁当の中身
が決まってこそ、「こんな弁当を作りたいので、こういう容器を作
ってほしい」という具体的な要望が生まれ、ようやくスタートライ
ンに立てるのだ。
この段階で挫けそうになったが、健太はめげなかった。ヒロシに
迷惑をかけたついでに、もう一つ頼み事をすることにした。それは、
ヒロシが懇意にしている栄養士とのタイアップだった。
つまり、コンビニにはないような弁当の献立を企画してもらい、
それに合わせて健太が容器を設計する。この方法なら、うまくいく
可能性が高いと感じた。
ここまでの流れを見ると、健太はヒロシに頼りすぎているように
も思われるかもしれない。しかし、営業の世界では人脈があるなら、
それを活用しない手はない。ヒロシは特に人脈が広く、営業マンと
しての手腕もさることながら、その人間性によるものも大きい。
彼は頼りがいがあり、懐の深い人物だ。だからこそ、健太も長く
付き合っているのだ。
ヒロシは健太の考えを快く受け入れ、できる限り協力しようとし
た。彼は、健太が沙也夏のことを必死に忘れようとしている苦悩を
痛いほど理解しており、ただ同情するだけでなく、健太の営業マン
としての腕前も高く評価していた。
その後、健太は栄養士と共に企画案を練り上げ始めた。残業が当
たり前の労働環境の中、健太の働きぶりは時には勢い余っているか
のようだった。その頃の健太は、与えられた仕事をこなすだけでな
く、自ら新たな仕事を創出し、全力で自分を追い込むかのように働
いていた。
最初の半年間は成果が出なかったが、健太は諦めずに粘り強く努
力を続けた。上司からは「もう見切りをつけるべきではないか」と
言われたが、「あと一年だけ挑戦させてほしい」と頼み込んだ。
そして一年が経つ頃には、ついに五つの店舗との取引を実現するこ
とができた。
5店舗と契約を結んだため、上層部からはそれ以降、特に指摘は
なかった。それからは、事態が思いのほか順調に運び、納入先は瞬
く間に増えていった。順調な展開には、明確な理由があったのだ。
後になって分かったが、すでに納入実績のある店舗のオーナーが、
口コミで広めたため、他の店も興味を示し始めていた。その結果、
飛び込み営業をしなくても、注文や問い合わせが自然に舞い込むよ
うになった。飛び込みのときと違い、取引先は興味津々なので、商
談もスムーズに進行する。
もちろん、健太は容器屋という業態から、一人で全てを担ってい
るわけではなかった。
主な営業担当は、ヒロシの会社の惣菜部門の営業マンと、ヒロシ
の取引先である栄養士だ。取引先が弁当の見栄えに言及したタイミ
ングで、初めて健太が営業として顔を出す。弁当の見た目は、おか
ずの彩りだけではなく、容器の出来栄えにも大きく左右される。
容器の作り方ひとつで、中身が引き立つか台無しになるかが決ま
るのだ。たとえ健康ブームの流行があったとしても、弁当の第一印
象はやはり見た目が重要だ。
このように、健太は惣菜部門、栄養士、そして自らの提案力の三
位一体で取引先を拡大していった。そして二年が経過した頃には、
納入先は50店舗にまでまで増加し、健太自身もその成果に驚かざ
るを得なかった。しかし、同時にこれ以上店舗数を増やすのは、自
社のリソース配分や品質維持の面からもリスクがあると考えるよう
になった。
店舗数が増えるにつれて、サービスの質が低下する危険性は避け
られなかった。新規取引先の獲得に注力していると、既存の取引先
へのアフターサービスが後回しになり、せっかく増やした店舗を失
うことにもなる。ところが、健太たちの営業は順調で、ここで手を
止めるのはもったいない状況にあった。実際、既存取引店のオーナ
ーからは、新しい店舗を紹介したいという声も聞かれていた。
そこで健太は、組織力を強化する策を考えた。具体的には、会社
からもうひとりの営業マンを投入してもらい、新規取引先の開拓と
既存店のアフターサービスを明確に分ける。会社も、近頃の健太の
成果を評価しているうえ、健太には協力できる後輩もいる。もちろ
ん、容器の営業活動が拡大すれば、ヒロシの会社の営業担当や栄養
士にも追加のサポートが必要になる。
その点についてヒロシに確認すると、「いいアイデアだ」との返
答を得、会社への提案へとつながった。こうして、健太は仕事の楽
しさがさらに増すのを感じ、もしかすると沙也夏の思い出を完全に
消し去る日も、そう遠くはないと考えるようになった。
健太は早速行動に移り、意気揚々と会社へ急いだ。連日続く営業
で体は疲労困憊していたが、その表情には達観した自信があった。
会社に着くや否や、彼はすぐに課長の元へ向かった。始業前の静
かなオフィスで、課長は新聞に目を通しており、うまく声をかける
絶好のタイミングを得ていた。普段、課長は忙しい時に話しかけら
れると不機嫌になるが、このタイミングなら心地よい雰囲気だと健
太は感じた。