1.披露宴
「はぁ」
谷川健太は大きなため息を、バス停でついた。
薄い黄色いセーターと、下はブルージーンズという恰好。手には
祝儀袋を手にしている。
「はぁ」
また、ため息をつくとバス停から歩きだした。満開の桜に目もく
れず、トボトボと歩いている。
健太が向かっているのは、あるホテルの結婚式場である。バス停
から10分ぐらいの距離である。しかし、健太の恰好から見ると結
婚式に出席する様子はさらさらないようだ。実は、手にしっかり持
っている祝儀袋を、手渡すつもりなのだ。
『やっぱ、送っとくべきだったかなぁ。でも、お祝金だからな。手
渡すべきだよな。それに、アイツらとは普通の関係じゃねえしなぁ。
でも、顔合わせにくいよな』
そう思うと、また「ふぅ~」と大きなため息をついた。すれ違う
人も思わず振り返る。それほど大きなため息だった。
やがてホテルに着いた。
健太は入口のドアで立ち止まった。そして、意を決したように中
に入った。中に入り、周りを見渡した。タキシードや礼服、また女
性のきらびやかなドレス姿の人々が目立った。それもかなりの人だ。
「さすがヒロシ。来賓客の数も半端じゃないな……」
健太は感心したように、呟いた。
実は、今日行われる結婚式は健太のかってのバンド仲間である、
長谷川ヒロシと神田圭子だった。ヒロシは大企業の営業課長である
ので、来賓客数も多い。
健太は、ホテルの受付に向かった。そして、受付でにこやかな笑
顔の女性に聞いた。
「あのぅ、今日結婚式があると思うんですけど……たしか………長谷
川家と神田家の……」
「あ、それでしたら30階でございます。高層階でございますので
右手のエレベーターにお乗りになってください」
受付の女性はてきぱきと答えた。健太は、女性に礼を言うと、言
われたとおりエレベーターに向かった。たしかに、エレベーターの
ドアに【高層階専用】とあった。
エレベーターのドアは間もなく開き、健太は結婚式に出席する来
賓客と共に乗り込んだ。専用エレベーターであるからか、30階に
はすぐ着いた。健太はエレベーターから出るなり、すぐ柱陰に身を
隠し、すぐさま周りを見渡した。そして、受付を見つけるなり、天
を仰いだ。
『最悪だ……受付は純子かよ……なんで親族が受付やってんだよ』
健太は祝儀袋を受付に預けて、さっさと帰ろうと思った。しかし、
受付には純子がいた。長谷川純子、いや、今は結婚して吉武純子に
なっている。純子はヒロシの妹だ。当然、健太とは嫌というほどつ
きあいがある。かってのバンド仲間であり、健太が以前勤めていた
会社の後輩でもある。
それだけならいいのだが、実は2週間前に電話で口喧嘩したのであ
る。原因は、今日の結婚式の出欠のことであった。
純子は健太に結婚式には、出席するべきだと譲らない。しかし健
太も出席しないと言い張る。健太も純子も頑固である。
では、なぜ健太が結婚式に出席しないのか……それは、後からおいお
いわかっててくるのだが……
『ともかく、受付に純子がいる以上は手渡すことはできない。まし
てや、純子が素直に受け取るとは思えない。どうせまた言い合いに
なるに決まっている。どうするかな……』
健太は、純子と顔を合わせるのが、ほとほと嫌なようだ。柱の影
に身動きもせず、思案をめぐらせていたが、いい考えは浮かばない。
「純ちゃん、お待たせ!これでいいんだよね?」
聞き慣れた声が、健太の耳に飛び込んできた。
『ん?淳之介だ!これはチャンス!」』
思わず健太は浮足立った。
「遅い!淳之介!席次表持ってくるのを頼んだだけなのに、いつま
でかかってんのよ!」
純子は、淳之介に対してぷりぷりしている。言われている淳之介
は、へらへら笑いながら頭を掻いている。
「いやぁ、戻る途中でヒロシさんに会って話し込んじゃって…そん
なに、怒んないでよ」
その様子を健太は見て、思わず吹き出したて呟いた。
「プッ!相変わらず、淳之介は尻にひかれてるなぁ」
淳之介と純子は、夫婦だ。とは言っても、傍目から見れば姉と弟
に見えるかもしれない。しっかり者の姉と出来の悪い弟のような感
じだ。おまけに、ふたりには子供がいた。いわゆる、できちゃった
婚である。健太は、ふたりが結婚するという話を聞いた時、信じら
れなかった。
そんなふたりが今、結婚式の受付していた。淳之介は、まだ純子
から小言を言われている。
『いつまでも、こんな所に突っ立とくわけにはいかんな。とにかく
祝儀袋を早く渡さなければ……どうにかして、淳之介に渡せないもの
かな……』
健太は、じっと受付の淳之介と純子のやりとりを少しイライラし
た思いで見ていた。
「じゃ、今度はこの電報を仲人さんに渡してきて」
ようやく、淳之介は純子から解放されたようだ。また別の用件を
言われたようだ。
「仲人さんに、渡せばいいんだね。わかった」
「今度は、油売ってきちゃだめよ。やることは、いろいろあるんだ
から」
淳之介は、純子から渡された数冊の電報を片手に持つと、受付か
ら離れた。都合よく、淳之介は健太のいる柱の方へ向かってきた。
『チャンス!』
健太は淳之介を待った。
淳之介は健太のいることも気付かずに、通り過ぎようとした。
「淳之介……」
健太は淳之介に声をかけた。声をかけられた淳之介は、最初きょ
ろきょろと周りを見回していた。
「こっちだよ。こっち!」
健太が再び声をかけると、驚いた顔を健太に向けた。
「健さん!」
「しっ!」
健太は、人差し指を口にもっていき、淳之介を手招きした。
淳之介は健太に近づいた。
「健さん!やっぱり来てくれたんすね」
「違うよ」
「早く着替えないと。披露宴始まりまっすよ」
「だから、違うって。これを渡しに来たんだよ」
健太は、そう言うと、祝儀袋を差し出した。
「えっ……やっぱり披露宴には……」
「すまない……」
淳之介は苦悩の表情を浮かべた。健太は、そんな淳之介に申し訳
なさそうに言った。
「悪いが、これをヒロシと圭子に渡しておいてくれ」
健太は祝儀袋を淳之介に手渡した。淳之介は心もとないように祝
儀袋を受け取った。
「健さん……もう、前のようにみんなで集まれないんすか…バンドは
できないんっすか」
「俺には……わからない……」
「健さん……」
「ほら、忙しいんだろ。また、純ちゃんに怒られるぞ」
「見てたんっすか……」
「まあな。じゃ、俺行くわ。すまんが、頼むな」
健太は泣きそうな表情の淳之介をそのままに、エレベーターへ向
かった。その後ろ姿を純子はチラッと見た。そして呟くように言っ
た。
「あのバカ……」
純子は知っていた。柱の影に健太がいたことを。