8.作戦決行
「お帰りなさいませ」
その日、カイル達が化獣の討伐から帰還すると時刻はすでに正午を回っていた。
持って帰ったカダヴルの死骸は城に残っていた騎士に処理するように告げて、自身の愛馬は馬丁に託す。
「お怪我はございませんか」
「ない」
出迎えてくれた執事長のハリスに短く応える。
ポタポタと化獣の血が地面を汚す。人間の血液と違って時間が経っても固まらない化獣の血がベタベタと肌に張り付く不快感にカイルは顔を顰めた。
「湯浴みの用意を頼む。これ以降、約束のない訪問は全て断ってくれ」
「畏まりました」
常と変わらない微笑を浮かべて慇懃に礼をとるハリスにカイルは一度口を喰んだ。
言い淀むような間のあと、カイルはおもむろに口を開く。
ここ数日、幾度となく同じ質問を繰り返している。
「……彼女の様子は?」
カイルの問いにハリスは笑みを深めると「今報告しようとしていたところです」と嬉しそうに告げた。
「つい先程お目覚めになられたところですよ。今は湯浴みを終えられてお着替えをなさっている頃でしょう」
カイルの目が驚きに丸く見開かれる。
そんなカイルの様子に、ハリスの目尻の皺を優しく深めた。
ここ数日でカイルは驚くほど感情が豊かになった。
彼が赤子の頃から見守ってきたハリスにとってカイルの変化は感慨深い。
カイルは直ぐに無表情に戻ると感情の読めなくなった瞳でハリスを見る。
「医者には?」
「既に診ていただいております。とくに問題はないとのことですが、念のため数日は大事を取るようにと申し付かっております」
「食事は?」
「お目覚めになったときは既に朝食の時間を過ぎておりましたので、まだ。ただいま消化に良い食事を準備させているところです」
「では私の分も用意してくれ。一緒に摂る」
「畏まりました」
ハリスはニコリと微笑む。
既に中庭にセッティング済みだとは口にしない。さらにロマンティックに演出済みだなんて尚更言うつもりはない。
「お!例の御令嬢が目覚めたのか?」
カイルと同様に全身血塗れのジェイクがハリスの後ろからひょっこりと顔を出した。
ハリスが「はい」と律儀に返事を返すとジェイクが嬉しそうに笑う。
「そうか!良かったなぁカイル。お前が彼女を連れ帰ってきてから丸二日。全然目覚めないから心配してたんだ」
ニコニコと喜ぶジェイクにカイルは無表情で頷く。
数日前のあの日。
『死の森』の様子を見に行ったカイルがネルヴィと女性を城に連れて帰って来たその場にジェイクもいた。
一時騒然となる城内でジェイクは我が目を疑った。
カイル・シュッタッカー・ナイトリア。
光を弾く長い金髪に青空を連想させる澄んだ碧眼。顔のパーツは全て完璧に配置されており、その美しさは最早神の領域だと人々に言わしめる美貌の持ち主だ。
さらに剣の腕前は国一番で、砦の守護者に相応しい実力は令嬢だけでなく騎士たちの憧れの的でもある。
そんなカイルの唯一の欠点は全てにおいて無関心なことだ。全ての感情を母君の腹においてきたのか?とジェイクは割と本気で思っている。
仕事以外に奴の気遣いを期待してはいけない。
カイルは目の前で令嬢が転けようと恐怖に身を震わせていようと無視するし、目の前に困っている人がいようと、殺されそうになっている人がいようと、それが仕事に関係なければ素通りだ。
良く言えば無関心、悪く言えば冷徹。
そんな男が女性を抱えて帰って来たばかりか「医者を呼べ」「日当たりの良い部屋を用意しろ」「衣服を設えろ」と普段からは考えられない待遇だ。
開いた口が塞がらないとはあの事を言うのだろう。
ネルヴィを従えていることに関しては、驚きはしても「カイルだからなぁ」でまだ納得できたというのに。
「まぁまぁまぁ!」
突然城の扉がバタンと乱暴に開けられたかと思うと、ふくよかな女性がこちらをみて声を荒げた。
ハリスの笑顔が強張る。
「遅いと思えばまだこんな所にいたなんて!ハリス、貴方何をぼんやりしているのかしら?」
女性に睨まれたハリスは笑顔のまま無駄に洗練された動きでスッとカイルの後ろに隠れた。それを呆れたように目で追っていた女性は、カイルが血塗れのままであることに気がつくと「まぁまぁまぁ!」と今度は怒りの矛先をカイルへと向けた。
「坊っちゃん!まだそんなに汚れてらして!早く湯浴みにいってくださいな」
「マリー」
「いいですか、坊っちゃん」
マリーと呼ばれた女性はカイルに厳しい目を向ける。
「お嬢様はもうすぐ準備を終えられますよ。何日もお食事を摂られていらっしゃらないのだからさぞ空腹でお辛いでしょうに…。お嬢様が坊っちゃんの準備が遅いせいでご飯が食べられないと知ったら一体どうお思いになるのでしょうね?」
マリーの言葉にカイルが動きを止める。
マリーは共犯者であるハリスを睨んだ。
本来ならばそろそろカイルは湯浴みを終えている手筈だったのに。
計画ではお嬢様の準備が終わるまでにカイルを最大限磨き上げる予定だったが、それも時間的には難しいだろう。
『あの』カイルが女性を連れてくるなんて今までにない僥倖だ。この機会を逃してなるものかと執事長のハリスとメイド長のマリーを筆頭に使用人一同で彼女を囲い込むことに決めた。まずはカイルに好意を抱いてもらうところからだと作戦を立てたが早速出鼻を挫かれてしまうとは。
マリーはフンと鼻を鳴らすとぱんぱんと手を鳴らした。予定は変更になったが、まだできることはある。
「さぁさぁ!わかったならいつまでもそんな所に突っ立ってないできびきび動いてくださいな」
マリーは笑顔で三人に凄んだ。
「レディを待たせるなんて紳士の名折れですよ」




