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10.それは恋


「こんなものかしら」


マリーはふぅと額の汗を拭う。控えていたメイドたちから感嘆かんたんの声が漏れた。

つややかな金髪はサイドを三つ編みにして後ろで緩く結んで組紐で飾る。前髪は軽くかきあげて、カイルの顔面の良さを遺憾いかんなく発揮させる。カジュアルな場に合わせて服装はシンプルに、だがさりげない刺繍で華やかさも忘れない。白いシャツに紺色のベスト、黒いズボンに磨き上げた革靴。

完璧な装いだ。


「ふぁ〜。なんだやっと終わったのか?」


ジェイクは椅子から起き上がると思いっきり伸びをする。待っている間に眠っていたようだ。しょぼしょぼと瞬きしながら磨き上げられたカイルを見た。


「相変わらず整ってるな」

「パーティーよりはだいぶ控えめにしましたが、細部にはこだわりましたよ。お嬢様との初の顔合わせに手抜きは許されませんからね」


胸を張るマリーは満足したようだ。

当の本人は自分の恰好には興味ないようで、時計を見ながら訊ねる。


「彼女は?」

「ちょうど準備が終わったところみたいですよ」


声のした方を見ると、ちょうど入口でメイドが一人頭を下げて部屋を辞すところだった。令嬢の準備を手伝っていたメイドの一人だろう。準備が終わったことを報告に来たらしい。

ハリスがカイルを見てにっこりと笑う。


「旦那様の準備も整ったようですし、お嬢様をお迎えに参りましょう」


ハリスの言葉にカイルは頷く。

ジェイクは「よっ」と勢いをつけて椅子から立ち上がった。


カイルを先頭に部屋を出る。無言でたどり着いた客室の扉をノックすると、中にいたメイドによってすぐに開かれた。


鏡台の前に一人の女性が座っていた。

青い濃淡のあるドレス。黒い髪に黒い瞳。異国風の顔立ちは幼く、神秘的な雰囲気がある。

こちらに気がついた彼女は慌てて立ち上がると、何かに気がついたように周囲を見回してメイド達にならうように頭を下げようとした。

しかし、つかつかと彼女に近づいたカイルが、彼女に何も言わずに彼女の両頬を掴んだことでそれは叶わなかったが。


「あっ、おい!」


それに驚いたのはジェイクだ。

許可なく令嬢の頬を触るカイルに焦る。

令嬢もあまりの突然さに目を見開いてガチリと固まっている。


「やっと見れた」


令嬢の瞳を食い入るように見つめて、カイルは低く呟いた。瞳が彼の感情を表すようにきらきらと輝く。

令嬢はというと、彼女もまた食い入るように目をまあるくしてカイルを見つめていた。


「夜だ。雨上がりの澄んだ空気の中で見る月のない星空。…君は瞳に夜を宿しているのか」


カイルは淡々とした声で、そのくせ普段の彼からは想像もできないほど情熱的な言葉をつむいでいく。


「美しいな」


カイルは彼女を見つめたまま、ふわりと微笑んだ。


「夜に愛されている君によく似合う」 


とろけるような甘い声で囁くカイルに、その場にいた全員に衝撃が走った。


(これはもう疑いようがないだろ)


ジェイクは目の前の光景を未だに信じられずにいた。カイルと出会って十数年。こんな彼は一度だって見たことがない。


カイルはこの子に恋をしたのだ。

あの日に何があったかは知らないし、この子のどんな所に惹かれたかも知らないが、疑うまでもなくカイルは彼女に恋をしている。


部屋に漂う何とも言えない空気を、いち早く衝撃から立ち直ったハリスが打ち破る。

その声にマリーもはっと意識を取り戻した。


「旦那様、そろそろ中庭の方に参りましょう」

「っ!そうですわ。お嬢様もきっとお腹が空いているはずですよ」

「…そうだな。君は食事を摂らなければ」


カイルは名残惜なごりおしそうに彼女の頬から手を離すと、そのまま流れるような自然さで彼女の手を取り自分の腕に掴まらせた。

彼女の方はというと、戸惑とまどうようにカイルと握らされた腕を交互にみていたが、結局振り払うことなくそのまま従うことにしたらしい。


「…お前そんな事できたんだな」


唖然あぜんとする俺の言葉は無視された。

彼女が転ばないように歩調をあわせてエスコートする姿に最早もはや今日何度目かわからない衝撃を受ける。

長い廊下を進んだ先で、中庭に繋がる扉を抜ける。


「わぁ…っ」


彼女の口から感嘆かんたんの声がこぼれた。カイルは眩しそうに目を細める。

色とりどりの花が咲き乱れる中庭は相変わらず美しい。先代の奥様の意向をふんだんに取り入れた庭は、華美さや優雅さよりも自然に近い美しさがある。

蔦の這ったアーチをくぐり抜けると、背ほどもある生垣いけがきに囲まれた空間が広がり、中央には丁寧に整えられた丸いテーブルを囲むように椅子が置かれていた。

カイルは椅子を引いて令嬢を座らせる。それを見届けてジェイクも席についた。


目覚めたばかりの彼女に配慮して、料理は軽めのものが準備されていた。パンにスープ、サラダ、果物、サンドウィッチ、卵料理にソーセージ。討伐帰りのカイルやジェイクのために肉料理が少々。


彼女はなかなか料理に手を付けなかった。

ジェイクは不思議に思いながら、パンに齧り付く。正直、討伐帰りで腹が減っていたのにカイルの準備やらで遅くなったので空腹が限界だった。

ナイトレイ家の料理はいつも美味い。とくにジェイクは木の実が入っているこのパンが大好物だ。

ジェイクが黙々と食べていると、令嬢がおずおずとスープを飲む。その手が震えているところを見ると緊張しているのだろう。カイルを見ると表面上はいつもと変わらずに食事をしているようにみえるが、意識を彼女に向けているのか、よく見ると気もそぞろに肉をつついている。


スープを飲んだ彼女の顔が明るくなった。どうやら口に合ったらしい。ジェイクがほっと息をつくと、傍に控えていたハリスやマリーも同様に安堵あんどの息をついていた。

ちまちまと料理を食べ始めた彼女に胸をで下ろす。


カイルは大皿からオムレツを切り分けると、令嬢の皿に盛り付けた。

彼女はきょとんとした顔でカイルを見たが、不思議な言葉で何かを言うと素直にオムレツを食べ始める。


ジェイクはもう何も言わなかった。

例えば給仕係が困っているだとか、恋人でもない令嬢にそんなことをするのは非常識だとか、言いたいことは山ほどあったが全て食事と一緒に飲み込んでいく。


カイルは料理を食べる彼女を真顔でじっと見つめては、彼女が一つの料理を食べ終えるたびにカイル自ら新しい料理を取り分けていく。

最初は素直に食べていた彼女もだんだんと戸惑いを見せ始めた。ちらちらとカイルを見て、困ったようにジェイクを見てくる。

その助けを求めるような視線に耐えきれず、ジェイクはわからないようにため息をついた。


「カイル、やりすぎだ。お前がそんなに世話を焼いたら彼女も食べづらいだろう?」

「…………………」


本当ならばジェイクだって首を突っ込みたくはないのだ。勝手にしろと放置したい。だが、困っている女性を無視することは紳士としての矜持きょうじが許さなかった。

カイルは長い沈黙のあと、前のめりだった姿勢をゆっくりと戻した。その顔は相変わらずの無表情だったが、納得していないのだけはわかる。

こちらをにらむカイルに目だけで「お前も食べろ」と示すと、不服そうではあるが文句を言わず自分の食事を摂り始める。


カイルに世話を焼かれて居心地いごこち悪そうにしていた彼女は、やっとカイルが自分の料理に手をつけ始めたのを見て安心したのか、ほっと安堵あんどしたように表情を緩めた。


そこからは穏やかに食事会は進んだ。

会話は少なく、黙々と食べるだけの時間だったが、むしろそれが心地良い。

ある程度食事が終わると、それぞれにお茶が配られた。紅茶を舐めるように飲む彼女をみてジェイクは思いつく。


「カイル、彼女と中庭を散歩してきたらどうだ?」

「散歩?」


怪訝な顔で片眉をあげたカイルに頷く。

さて今からまったりとティータイムと言うときに散歩の提案をするジェイクの考えが理解できないのだろう。

おそらく彼女はこちらの言葉が通じていない。ジェイクは隠すことなく話す。


「たぶん彼女お腹いっぱいなんじゃないか?お茶もあんまり進んでいないし。腹ごなしに歩けば落ち着くさ。この庭のこともきっと気に入る」

「…そうだな」


ジェイクの言葉に彼女を見ると、確かにカップの中は殆ど減っていない。

カイルは立ち上がると彼女に手を差し出した。


「中庭を案内しよう。…母が気に入って手を加えた庭なんだ。君は花が好きだろうか。もしそうなら、今の時期は様々な種類の花が咲いて彩りが一番鮮やかな時だから、きっと君も気にいるよ」


カイルも彼女に言葉が通じないことには気付いているだろうに、まるで当たり前のように甘く語りかける。

彼女は差し出された手とカイルを見比べて、手を取れと理解したのか、おずおずとカイルに比べて一回り小さな手を重ねた。


連れ立って散歩に向う二人をジェイクは手を振って見送った。


「ロスター様、有り難うございました」

いつの間にか近くに来ていたハリスとマリーが、深く頭を下げた。

ジェイクは苦笑しつつそれを受け止める。


「カイルは好きな相手には過保護になるタイプなんだな。初めて知ったよ」

「私共もでございます」


ハリスとマリーはそう言いつつも嬉しそうだ。


「取りえず初めての顔合わせにしてはうまくいったほうではなくて?」

「そうだね」

「坊っちゃんの笑顔なんて初めて見ましたわ」

「私もです。これはひょっとするとひょっとするかもしれませんなぁ」


浮かれる二人にジェイクは肩をすくめる。


「しかし彼女はなかなか手強そうだ」

「えぇ…。坊っちゃんのあの笑顔を見てもまだ戸惑いの方が大きいご様子でしたもの。そこら辺のご令嬢でしたら、あの笑顔でイチコロでしたのに」

「我々も次の作戦を考えるとしようか」


そんな会話をしながら中庭を散歩をする二人の後ろ姿を三人で見守る。

後姿でもカイルの好意と彼女の戸惑い具合が伝わるなぁとジェイクは笑う。



「…あの坊っちゃんが恋をするなんて」


ふと、二人を見つめていたマリーが万感ばんかんの思いをめて呟いた。


それは間違いなく三人の気持ちを代弁していた。


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