観葉植物
家に誘われたことは何度かあった。でも、今日のは今までと全然違う。まず主語が違う。代名詞が違う。こんなの聞いたことない。知ってるようで全然知らないお隣さんみたいな響きしてる。心の準備ができてない。
「えっ……」
あまりのインパクトの強さに返事をし損ねていると、すぐ後ろからまた熱を感じた。
「行く行く!!行きたい!!」
お前じゃないわ!って思わず突っ込みそうになったが、よくよく考えたらまだ確実に自分のことを指してるって決まったわけじゃないから、最初から私の勘違いかもしれないと自分の浅はかさを省みた。
「あんたじゃない。」
違うらしい。じゃあ誰。私か。
私か!!!
えっわたし!?どうしよう今まで男の子の部屋に全然上がったことがないのに、今日上がってしまうのか。こんな名前だけは聞いたことがあるが見たことはないドラマ名みたいな言葉に乗せられたまま行ってしまっていいのか。心の準備ができてない!
「猫、一緒に飼うんだろ。」
あっなんだそういうことか。浮ついた心がホッと休まると同時に、顔が熱くなった。
「えーーー!私も行きたいぃぃぃ。」
後ろで彼女が駄々こねている。
「二人だけで行くとかひどくなぁい?仲間外れはめっよ。」
「めっ?」
「ダメってこと。」
そう。
二人で柳川さんを見た。いまいち表情の変化が分かりづらいけど、彼はちょっと困った顔をしていたと思う。多分。
「一人じゃ心許ないから……私からもお願いします!」
あまりにも彼女が懇願するので、力になりたかった。
「……分かった。」
「やったぁーーー!」
しきりに喜んでいる。屈託のないその笑顔を見ると、こっちまで心が軽くなる。
そして、私と柳川さんは猫を受け取りに職員室のドアをたたいた。あの初老の先生が持ち主はいないと伝えてくれたので、ありがとうございましたとお礼を言って、猫とともに私たちは校舎を出た。猫は彼が抱っこしている。
若葉色の自転車をとって、私たちは合流した。
「なにこのねこかわいい!!」相変わらず彼女はきゃあきゃあ騒いでいる。でもこの感じは嫌じゃない。
かくかくしかじか説明すると、彼女はさらに声を上げて騒ぎ始めた。
そして急に静かになる。
「あっ。緋村幸です。さっちゃんとお呼びください。」
自己紹介が始まった。しかも妙にかしこまってる。
「いや、そういえば私まだ名前呼ばれてないことに気づいて……昔から人の名前だけは覚えられるから、初対面の人に自分の名前また伝えるの毎回忘れちゃうんだよね。天才の悩みってやつ?あっはは!」
と高笑いして見せるさっちゃん。
うーーん。
「さっちゃんもいいけど、私はさちって呼びたいかも。」
「えぇ?なんで?」
「幸せが入ってるから。」
きょとんとするさち。でもすぐにまた嬉しそうな顔に変わる。
「うん!いい!自分の名前、もっと好きになった!」
すごく幸せそうな、名前通りの人だ。
「着いた。」
しばらく歩いてから、彼が言った。
「へ?」
間髪入れずに時間を確認する。校門を出てから五分もたってない。
近っ!!
何も考えずについてきたけど、まさかこんなに近いとは思わなかった。
目の前を見ると10階建てほどの清潔感のある白いマンションが構えていた。
そのまま自転車を押して中に入る。
「そっちじゃない。」
ん?振り返った。
「こっちだ。」
反射で彼が指した先を見る。
えっ。声が思わず漏れる。
それはさっきとはまるで雰囲気が違う建物だった。灰色の瓦がびっしりと並べられた厳かな屋根、さっきのマンションの二棟分ある広い面積を囲むブロック塀、そこからちらちら顔をのぞかせるよく茂った木。特別高いわけではないが、歴史を感じさせるその外観は、何より、迫力があった。
それはそれは立派な日本屋敷だ。
「えぇえええええ!!」
「えぇええええええええええ!!!」
すっごっっ!!
本日の最大音量を更新し続ける今このころ、隣ではさらなる大音声が響いていた。
「すっっっごっっ!!!」
心の声を全力で代弁してくれるさち。ありがとう。
「こんなに凄い家に住んでたの!?」
「え、うん、まあ。」
ちょっと返事に困っている様子。
「すごい……。」
幸はすっかり感心しきっている。
かくいう私もこういう家に住んでみたいと憧れたことは何度かある。
「自転車はこっち。」彼はドアというよりかは門扉を押した。きれいに整えられた小径を歩んで、屋敷の中に入る。チューリップの花壇、池、水が流れるとカタンと音を立てて竹が傾くやつ(鹿威しっていうらしい)までそろってる。ここまでくると庭というよりかは公園みたいな感じに見える。実際にベンチが置いてあるし。
自転車置き場は屋敷の近くにあった。
あまりにもすごすぎて、さっきからくちが開きっぱなしでそろそろ疲れてきた。さちもさっきから怖いくらい静かだ。
彼は猫を抱えたまま目もくれずに足を進め、インターホンを押した。格子のついた戸がより一層屋敷を趣深いものに仕立て上げる。しばらくしてから「はーい。」といううら若い女性の声が聞こえた。
ガラガラガラ
戸が引かれる音とともに、女の姿が現れた。
艶やかで漆のような真っ黒い髪の毛と、どこか優美さを感じさせるその姿はまさに柳川さん(黎の方の)とそっくりだった。陶器のようなきれいな肌に加え、血色を感じさせるその頬は時の流れを微塵も感じさせない。二十代です。と言われても納得できるほどの瑞々しさだ。まあ、いわゆる美人妻です。
「おかえり~。」
戸を開けるや否やそういうと、私たちの姿をみた美人妻はほんのり目を見開いて、彼の方に顔を向けた。
「その子は……」
「机の上に乗ってた。それと友達の」
「灯川 蛍です。」
「緋村 幸!」
「ただいま。」
やや遅れた挨拶だが、そんなことまるで気にすることなく、ただ私たちの顔と猫を見比べた後、おぼつかない感じではぁ、友達、机、猫……と、うわごとのように呟いて私たちを迎え入れた。
おじゃましまーす。
ちょっと心配しつつも、一応礼節をもってお宅に上がらせてもらった。
かくいう黎は相変わらず、自分のテンポで早足で歩いた。遅れないように黎の後ろについていきながらも、好奇心は勝手に目を光らせる。壁にかかった水墨画、なんか高そうな花瓶、ほんの少しの距離だったけど、私の心を躍らせるには十分すぎるほどのものがあった。
階段を使って二階に上がる。一階の広いお部屋に比べて、二階は八畳ほどの小部屋が何個も並んでいた。右に曲がって、しばらく歩いた奥から二番目の部屋で、黎は足を止めた。
襖は静かに開いた。
午後の斜陽が部屋を照らし、ほんのりとした暖かさと懐かしい畳の香りが私たちを迎え入れる。
「ここに荷物置いといて。」
いわれるがままに荷物を畳の上にそっと載せて、私たちはさらに廊下の奥に入った。ひときわ大きな部屋の前で私たちは足を止める。襖のない部屋だった。今度は鍵を手にした黎は、ガチャっと解錠し、力を込めて扉を開けた。
「ピアノだ……」
さちが久しぶりに口を開いた。
約十二畳ほどの部屋の真ん中に、斜陽に照らされたピアノが神秘的な光を帯びて佇んでいる。やっぱり漆のような黒だった。あまり楽器に詳しいわけではないけど、見るからにそのピアノは高そうで、私なんかが手も出せそうにないような代物だ。
「かぶせてない。」
「へ?」
ワントーン低い声で呟いて、黎はしばらく何かを探すようにあたりを見回しながら部屋の中を歩く。そして、そのままどこかに行ってしまった。
することもないので、私は部屋を見渡した。ヴァイオリン、タンバリン、メトロノームにギターまで置いてあった。ほかにも大小さまざまな楽器がケースの中やら棚の上やらにのっていて、なかには見たこともない楽器もちらほらある。察するにプライベート音楽室といったところだろうか。
「すごい……こんなにいっぱい楽器がある!これはバンドにうってつけだ!」
「…………」
どういう経路を辿ってその結論に至ったのはよくわからなかったが、とにかく楽しそうにしている。
ふと、一鉢の観葉植物が目にとまった。
まっすぐな一本の茎に、生え茂ったみずみずしい青葉。窓からのに照らされたそれはまだ小さいけれど、溢れんばかりの生命力に私は目が離せなかった。
気が付くと、それは目の前にいた。
「快活、勝利。」
黎の声が後ろで響く。
「そいつの花言葉だ。どんなに寒く、厳しい環境でも元気に育つことからこの言葉がつけられた。」
このキラキラ光る緑を見て、私は納得した。
「つっても、俺の親父の受け売りだけどな。」
「柳川さんのお父さんは、そういう植物に詳しいの?」
いつの間に彼は隣に来ていた。
「さあな、あんまりそういうのに触れてるのを見たことはないから、わからない。」
沈黙が訪れる。
私も、彼も、何も言わずにただその植物を見つめた。
葉っぱが時折揺れ、ほんのわずかに葉の触れ合う音がする。
「入学祝いに、親父からもらったんだ。この花言葉と一緒に。」
「そうなんだ。いいね」
ちょっともやっとして、それしか言えなかった。
「名前はなんていうの?」
「名前?名前はまだ付けてない。」
「ちがうちがう。この木の品種の名前。」
うーーん。しばらく考えてから彼は言った。
「さあ。なんだったっけな。」
いよいよキャラクターの個性が出てきて、たのしくなってきました!
それにしても章設定が、、、




