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年末がやってきました。1年間あっという間でした。うさぎ年は、うさぎ年にぴょんぴょんと跳ねたことが、来年の辰年でぐんと伸びて、二、三年後に芽を出すという年だそうです。そんなタイミングのいいときに、物書きを始めました。
いろいろありましたが、書いてよかったなと思います。
元々私は、小さい頃から何かを記録するということに全く興味がなく、日記は3日坊主、お小遣い帳もスケジュール帳も、大人になってからは家計簿も、1ヶ月と続いたためしはありませんでした。SNSにも興味がなく、昔作ったアカウントは放置したまま。
そんな私が1年間も書くということを続けられたのは、自分でもびっくりです。Twitter(今はXですね)もやっておらず、不特定多数の人が見れる状態でネットに何かを投稿するという経験自体が初めてだったので、初めての作品を投稿したときは心臓がバクバクして、何だかとんでもないことをしでかしてしまったのではないかとハラハラしたのを今でも覚えています。
「炎上したらどうしよう?」「変なクレームがついたらどうしよう?」誰かのSNSが炎上しているというニュースを見ては、ネットって怖いところだと思っていました。
でも実際蓋を開けてみれば、炎上どころかほぼ反応なし。
よく考えてみればこれは当たり前のことではあります。いちいちネットに上げられているものが炎上していたら、それはもはやニュースではなく日常になっているはず。そうなっていないと言う事は、炎上するというのはレアケースだと言うことです。だからこそ、世の中には注目を浴びようとおかしなことをする人もいるのでしょう。
ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、これはこれで寂しい。ディスられたくはないけれど、褒めれたいなんて、人間の心とはなんともわがままなものです。その当時よくつぶやいていたのは、『ああ、かくも罪深き承認欲求』。そんなぐるぐるした1年目についてまとめてみたいと思います。
そもそも私は書こうと思ったのは、2022年がキレ年だったから、という理由です。
意味がわからないと思われるかもしれませんが、昨年は年始から年末まで、「それはちょっとどうなのよ?」ということが続いて起こって、私はプリプリと怒っていました(そんなにかわいいものではなかったですね)。
怒りとは不思議なもので、怒りがこみ上げてくる出来事というのは、一瞬だったり、数分だったり、短期間なことが多いですが、そのときのことを思い返しては、また再び怒りがこみ上げる。そして怒っている間に、どんどん怒りが増してくるという性質があります。
年の瀬が迫った頃、「なんでこんなことが?」ということが起こり、それに対してきぃぃっとしながら、私はこう考えたのです。
このあり余る想像力と妄想力をどうにかうまい具合に消化しないと、いつか人のことも自分のことも取り返しがつかなくなるほど傷つけてしまうのではないか、と。よし、書こうと思いました。
それでもまだ話が飛んだ感があると思いますが、もう一つきっかけがあります。
それは、私の知り合いがコロナ禍で、何を思ったのか、いきなり「小さい頃からそう言えば、自分は作家になりたかったのだということを思い出した。だから、コンクールに応募してみようと思う」と言い出したことが頭に残っていたということがあります。そのとき私は、「この人はまた面白いことをし始めたな」と思っていましたが、その人にちょうど年が明けてから会う機会があり、「そういえば今年、書く」と宣言してしまいました。宣言しながら私は「あ、これ本当にやらなきゃやばいやつ」と思いました。
そんなわけで書き始めた私ですが、何から始めよう?と思い、とりあえずパソコンを立ち上げて、ブランクのページを開きました。
「書くって言ってもね、どこから書けばいいのやら」そう思いながら、ぼちぼちとタイピングしていくうちに、どんどん書きたいことがあふれ出てきて、自分でもびっくりしました。
初めの数ヶ月は寝ても覚めてもお話のことが頭から離れず、「こんなのも書きたい」「あんなのも書きたい」と、布団に入ってからもお話のことを考えては眠れないという日々が続きました。もともと一度始めたらはまり込む性格で(これが後にちょっとした問題にはなるのですが)、初めて自分の作品を投稿して、いつも見ているなろうのページのフォーマットになったときは、思わず感嘆のため息がこぼれました。