Xの愛乗
Xの愛乗
白嶺 姫逢麗
「夜な夜な思うことがないか?」
数学教師の 高森 肇は唐突に生徒に語りかけた。
「オレンジ色の街灯の下、薄いシャツ一枚とジーパン姿で走る。
全速力なのか、はたまたまだ余力が残っているのか、自分にもわからない走り方で。
夢を捕まえるようにして、精一杯手を伸ばすんだよ。
それは叶わない。まるで、そう言いたいかのように黒のセダンのテールランプが過ぎ去る。
そういう夢を見ないか?」
こいつは何を言ってるんだ?きっと誰しもがそう思ったはずだ。生徒はみんな下を向いている。高森だけはまじでヤバイ。からかっても、その揶揄に真摯に答える。騒いでも生徒が力尽き果てるまで、延々としゃべり続ける。高森は、まじでヤバイ教師だ。
「先生、それは性欲があり余っているからじゃないですか?」
誰しもがもう疑いようのない事実を恥ずかしがることもなく、沈黙の教室の中、そう切り出したのは他でもない、クラス1、いや、この高校、この県で1番のカリスマ美少女 花守 秋だ。彼女は続けた。
「フランスの作家、アラン・ぺソアは自身の著作でこのように綴っています。
“人間が耐えがたい衝動に、それも夢の中でその衝動に襲われるとき、往々にしてそれは、性的な情熱の叫びである、と。」
「花守君、すばらしい引用をありがとう。」
高森は立ち上がり、黒板をやさしく、人差し指でなぞりながら話し始めた。
「つまり昼のとき、美女を見てもなびかず、心はまるで夜の街のように静かだ。そして、太陽が隠れ、静寂な夜が訪れるとその眠っていた情熱がほとばしる。まるでこの、」
高森の眼鏡が一瞬、光ったように見えた。
「反比例のグラフのように。」
みんなの頭に閃光のひらめきが走った、とそう感じたのはきっとこのクラスでは、花森さんだけのはずだった。
「今日の授業はここまでだ。」
高森が中指で眼鏡の中央のアーチに触れた時、まるで永遠の赦しが告げられたかのように、5時間目終業のチャイムが鳴った。
「みんなどうしたの?すごい楽しそうじゃない?まるでクラスの中の片思いが全部叶ったような明るさねー。先生もなんだか嬉しくなってきちゃったわ。」
「先生、僕たち今生きている、ってことに感謝してるんです。なんだか、いつも退屈な人生だなって思っていたけど。こうやって仲間と語り合えることがすごい貴重な時間なんだって、今そう思えるんです。」
「あら!良いこと言うわね、菅野くん。じゃあチャイムも鳴ったし、今日はこの百人一首から始めましょうか!東風吹かば、、、」
国語の新井先生の声と共に生徒の精神は次第にその健康を取り戻した。
「ねえ、美希。この後スタバいかねー?」
親友の 三浦 香乃が汗をかいたペットボトルの水を飲み干して、そう言った。