第49話 そして勇者は見送る、魔神に咲いた光を
「これ、は……っ!」
屋上を煌めき染め上げる、夜桜の花吹雪を見上げながら――マガトはついに、力無く両ヒザを突く。
「私のチカラを、清浄なモノへと〈転化〉させた……のか……?
バカな……! そんな――そんなマネ、が……っ」
「そうね――出来ない、と思ってた。わたしもね」
〈神位昇殿〉の限界突破モードを解除したわたしは……困惑の声を上げるマガトに、うなずいて同意してみせた。
そしてそのまま――少し離れたところで、呆けたように花吹雪に見入るヒカリちゃんに視線を移す。
「……この場に、ヒカリちゃんが来てくれるまでは」
「な、に……?」
「〈神桜天咲〉は、〈穢れ〉をも純粋なチカラとして取り込み、それを花と咲かせることで、清らかなものへと一気に転化させる絶技。
だけど……その発動には1つ、絶対に必要な条件があるのよ」
言って、わたしは……マガトを振り返ると。
「それが……起点となる、『種』が存在すること。
そう、それは――対象の内に存在する、たとえ小さくとも確かな『光』。
……愛とか希望とか呼ばれるような……人の心の『光』よ」
未だに輝きを放ち続ける、その胸元を指差す。
「生前はテロリストとしての顔を持ち、異世界で命を落としてからは魔神となったあなたに、そんなものはない――あるはずないって、わたしも思っていた。先入観で決めてかかっていた。だから、見えなかった。
だけどね……ヒカリちゃんが」
そっと開いた、わたしの左手。
……舞う花びらがひらひらと、そこに落ちて――淡く輝いて消えた。
「これまで接点なんて無くて、そもそもあなたが父親だって知ったのも最近なのに。
あなたのせいで、ヒドい目にも遭ったのに。
なのに、あの子は……あなたとの親子の絆を、捨てなかった。事実としてそこにある縁から、目を背けはしなかった。
その姿が――先入観に囚われていたわたしを。
あなたのことを、わたしが勝手にそうだと信じる『悪』の枠に入れて、決めてかかっていたわたし自身を――省みさせてくれたのよ」
「……ズカ……」
――小さな足音。
いつしかヒカリちゃんも、わたしの隣に並んでいた。
……先に自分で告げた言葉の通り、父親を――その最期を、見届けるために。
「そして――マガト。
あなたはあのとき、わたしの巻き添えでヒカリちゃんまで消滅するのを防ぐために、必殺の一手を加減した。
それをあなたは、自分の〈依り代〉としてのヒカリちゃんを守っただけだと言ったけど――実際には、そんなややっこしいものじゃなくて」
わたしは、改めて――マガトの胸の光を見出そうとばかり、目を細める。
「……父親として、娘を犠牲になんて出来なかった――ただ、それだけなんだよ。
あなた自身に、そんな自覚はなかったとしても。
あなたの中には、確かに――〈光〉へ通じる想いがあったんだよ」
「つまり、魔神たる私に……娘への愛情があった、と?
そう言いたいのか?」
わたしの告げたことを、そんな風に繰り返して。
チカラの源である穢れがどんどんと転化することで、魔神としての姿が失われ……人の身に戻った〈アガトン〉は。
けれど、わたしを小馬鹿にするように、乾いた声で笑った。
「ふふ――ははははは! まったくもって、バカげた話だな……!
かつての私が家庭を持ったのも、活動家としての真の顔を隠すため。
そして、娘を殺さなかったのも……先に言ったように、利用価値があったからに過ぎない。
そこに親子の情など、存在するはずがあるまい……! ははははは!」
桜の花びらが、盛大に輝き、舞い散る光景を見上げながら……アガトンは、ひとしきり笑い続けた。
その姿に、気配に、何を感じ取ったんだろう――。
ヒカリちゃんは、何度か何かを言いたそうにしながら……アガトンの高笑いが一段落したのを機に、おずおずと口を開く。
「お、お――! お、とう――」
「私の娘たる者は、お前のような出来損ないではない」
そんなヒカリちゃんの必死の呼びかけを――アガトンは、すべて言わせることなく遮った。
「この不条理な世界と、戦うどころか向き合いもせず、さりとてまともに迎合すらせず、ただ尻尾を巻いて逃げ、隠れ、息を潜め続けるのみ――。
そんな惰弱な出来損ないが、真にこの私の娘などであるものか。
まったく、血を分けたという程度では、私の何を継ぐでもなく、これほどにかけ離れた存在になるとはな。
血縁ならば利用価値があると踏んだのが、そもそもの間違いだったか――」
「…………」
空を見上げたまま、自分を一顧だにしないアガトンの横顔を……それでも、ヒカリちゃんはじっと見つめていた。
「世界の変革という、理想の実現には……依り代のような保険なぞ考えるべきではなかった。
目的へと邁進することだけに注力すべきだった。
――お前のような出来損ないは、早々に斬り捨てるべきだった」
そこでようやく……アガトンは首を傾けて。
ヒカリちゃんと、視線が交わる。
「フン――腹立たしいことよ。
お前のような者はそのまま、世界に背を向け、恐れ、そしていずれはその不条理に呑まれて消えゆくがいい。
それが……惰弱であり続ける者に、相応しい末路だ――」
アガトンの身体は、ほとんどが輝きの中に崩れ始めていた。
光り輝く花びらとなって……舞い上がり始めていた。
「さて、〈勇者〉よ――私はここまでのようだな。
お前のチカラで、この緩やかに穢れ、滅びに向かう世界をいかに救うか……あの世で見届けさせてもらうとしよう」
「……それが、そもそものあなたの根本的な思い違いだったのよ。
〈勇者〉なんてね……たった1つのきっかけでしかない。
世界を本当の意味で救えるのは、わたし個人じゃなく――そこに住まうたくさんの、普通の人たちだけなんだから。
そして、わたしはそんな〈人のチカラ〉を信じてる。だから、それを守る。
――ただ、それだけのことだよ」
わたしの言葉に、アガトンは何を思ったのか。
苦笑とも嘲笑とも取れるような、頬を微かに歪めただけの、僅かな笑みを残し――。
そして、一掴みほどの桜花となって……夜空に散り咲いていった。
「……ズカ……っ」
「ん?」
呼びかけに応じて、視線を向ければ。
ヒカリちゃんは、小さく鼻をすすりながら……目元を拭っていた。
「お、おとー……さん……!
わ、わちしのこと……! き、きっと……しし叱って、くれた……っ」
「うん――そうだね。
あれがきっと、彼なりの……親心、だったんだね」
……ヒカリちゃんに、最後まで父と呼ばせなかったのは。
そして、あれだけ罵詈雑言を並べ立てたのは。
きっと、この先も生き続ける娘へのハッパであると同時に――。
自分という血の繋がりだけの父親を、『悪党』として、娘の心から切り離してしまおうってことだったんだろう。
――もちろん、本当のところは本人しか分からない。
だけど……わたしは、そうだったと信じる。
……ヒカリちゃんが、受け取っているように――。
「マガト、あなたは――テロリスト〈アガトン〉としても、魔神〈マガトダイモン〉としても、多くの罪を犯した。
それは、決して消えることのない事実ではあるけれど――」
あれだけ満開だった花びらも、いつの間にか宙に溶け、残るのはほんの僅か。
その最後のひとひらが、今一度、風とともに舞い上がっていくのを見送って――。
厳かに、サクラメントを両手で眼前に捧げ持ち、瞼を閉じる。
そして――
「だからこそ――次なる廻りは。
その罪を贖う以上に、世に多くの幸をもたらせるように。
その心に確かにあった『光』が、より大きく、綺麗な花と咲きますように――」
祓った穢れが、天地を廻る清らかな流れに還り……今度こそ、良いものとなるように。
「……浄祓、完了――――」
精一杯の、願いを込めて。
わたしは静かに、祈りを捧げ続けた――――。