第28話 遙か高みの庭園にて――勇者、邂逅する
――それにしても……。
ビルの窓枠を足場に、最上層目指して外面を駆け上がるわたしの頭に、ふと疑問が過ぎる。
いくら〈宝鏡〉にそのチカラがあるとはいえ、実際に2つの異なる世界を繋ぐのは、決して簡単なことじゃない。
わたしが〈麗原ノ慧殿〉に召喚されたときも、国中の有力な術師を集め、長い儀式を行い、さらに星の連なりだとか、何か適切な『時』を選んだりして、ようやく完成するほどの術式が使われたって聞く。
こっちの世界に帰るときだって、〈霊脈〉が活性化する時節に、さらにマガトとの激しい戦いで発生していた大きな霊的エネルギーと、マガトが持っていた〈宝鏡〉のチカラとを機を逃さず利用することで、何とか帰ってこられたってぐらいだ。
要は、人間1人をやり取りするだけでも、世界を繋ぐって一大作業なわけで――。
いきおい、マガトがやろうとしているだろう、『異世界と繋ぐことで、こちらの世界をどうにかするほどの強大なチカラを得る』なんてマネは、マガトが強大な魔神だとしても、ヤツ個人だけでどうにかなるようなものじゃないはずなんだ。
もちろん、それを補うために、この〈フリー・アーバ〉に集った人たちの命を供物にしようともしてるんだろう。
でも……正直、それでも無茶なように思える。
と言うか、異なる場を繋ぐ『門』を開くのなら、まず何より重要なのは、場そのもののチカラの流れ――そう、〈霊脈〉のはずだ。
なのに、ユーリの話によれば、ここは〈霊脈〉の『要』じゃないらしい。
つまり、儀式に一番大事なモノが欠けている状態だ。
これまでの、クローリヒトとの初遭遇地点と、あのショッピングモール――そのどちらもが『要』だったことを(加えて、両方にマガトが関わっていると)考えれば、むしろ今回は『場が悪い』としか思えない。
こんなことは言いたくないけど……それこそモールの方が、〈霊脈〉を利用出来るばかりか、供物にする人間の数って意味でも、ここよりもよほど相性がいいだろう。
だけど、この最上層へのチカラの集まり具合からして、ハッタリってわけでもない。
マガトは確かに、ここで、大きな『門』を開こうとしているんだ――。
「で、それでたくさんの人が命の危険にさらされてるのなら――」
こうして疑問はあれど、今は何より、その企みを止めること……!
まずは、それが最優先!
わたしは、改めて自分に言い聞かせながら――このA棟の最も高い場所に広がる、見事にライトアップされた空中庭園へと、ドーム状に覆うガラスを外面からブチ破って飛び込んだ。
『門』が開く場所なんだろう、闇のチカラが渦を巻く屋上へは、この空中庭園の奥に直立する、最上層フロアを抜ける必要があったはず……!
目標を素早く見定めて、わたしはすぐさまそこへ続く、参道のような石畳を走り始める。
本当に空のただ中に浮かんでいるかのような、それこそ天国めいた雰囲気の、この美しい庭園は――本来なら、同時に素晴らしい夜景をも楽しめる最高のロケーションだろう。
だけど――。
「――ッ!」
――ギィィィンッ!!
参道の脇に居並ぶ石柱から、黒い影が前に飛び出して来るのと同時――。
反射的にかざした剛剣サクラメントが、甲高い音とともに火花を散らす。
そうして、わたしを足止めしておいて。
悠々とバク転して距離を取り、わたしと相対したのは――。
「……やっぱり現れたわね。来ると思ったよ……!」
鬼面黒衣の剣士――クローリヒト……!
「そのセリフ、そっくりそのままお前に返そうか」
「へぇ、そう?
じゃあ――出迎えご苦労さま、ってことで。
わたし、あなたに用は無いの。とっとと通していただける?」
いわゆる慇懃無礼を地で行く言葉を叩き付けて、わたしは本当に、クローリヒトなんて眼中に無いとばかり、スタスタと無防備に歩みを再開する。
当然、いつ仕掛けられてもいいよう、細心の注意だけは払いながら、だ。
わたしが、わざわざこんなマネをしでかしたのは――2度目、モールで戦ったとき、クローリヒトに感じた気配というか雰囲気が、違和感めいたものとして残っていたから。
あのときのクローリヒトには、それこそ彼の言葉通りの〈勇者〉に通じるものが感じられた。
なら――あるいは彼は、根っからの悪党じゃなくて。
何らかの事情があって、マガトに協力している――せざるを得ないのかも知れない、って。
だから、それを試してみようと思ったのだ。
こうして無防備に、敵意も見せずに素通りしようとすれば――また、これまでとは違う反応を見せるんじゃないか。
そしてそこに、彼の本音が表れるんじゃないか――って。
一歩、また一歩と距離が近付く。
互いの間合いの外から、牽制を交わす距離へ。
そこからさらに内、剣のリーチ差から、まずわたしの間合いへ。
そして、お互いの必殺の間合いへ――。
「「 ………… 」」
それでも、クローリヒトは動かない。
わたしも、足を止めない。
耳鳴りでもしそうな緊張感の中、ついに至近距離に肉薄したところで――。
まるで、「通れ」と言わんばかりに。
クローリヒトは、スッとわたしに道を空けた。
そのまますれ違うわたしたち。
……やっぱり、クローリヒトがこれまで敵対してきたのは、何か事情があるってことなのかな。
いやいや、油断させておいて、後ろから不意打ちをかけてくる可能性も――。
そんな風に色々考えつつ、でも警戒は切らずにさらに進むわたしの前には、参道から最上層の入り口へ続く、ゆるやかな大階段。
そこで……わたしはついに立ち止まる。
代わって周囲に響く、わたしのものじゃない靴音。
導かれるように視線を上げれば――ゆっくりと大階段を降りてくるのは、スーツ姿の紳士。
テロリスト、アガトン――。
いや、わたしにとっては宿敵の、魔神マガトダイモンだ……!
「久しぶり――と言いたいが、そうでもないかな? 勇者カノンよ」
「……そうね。向こうじゃ何度も顔合わせたし、もう2度と会いたくなかったけど。
しかもよりによってこんな、デートに最適の、最高にロマンチックな場所でとか……最低にもほどがあるわ」
マガトの放つ威圧感に負けじと、軽口を返しながら観察する。
……この言いぐさ……やっぱり、コイツの主たる意識はマガトのそれってことでいいみたいね。
「つれないな。私は君だからこそ、こうして特等席へ招待したというのに」
「申し訳ないけどノーサンキューだから。
わたし、オジサマなのはまだしも、悪党だけはゼッタイお断りなんだよね」
「ふむ。悪党――か。
私はあくまで、人間自身が望む、人間の真の有り様――それを解放してやりたい、というだけなのだが?」
途中の踊り場で立ち止まり、苦笑混じりに首を振るマガト。
それでも階段上なだけに、わたしが見上げる形になる構図は微妙に腹立たしい。
そして何より、その物言いがまた絶妙に腹立たしい。
「向こうの世界でもそんなようなことを宣ってたわねあなた。
で――そのために、〈麗原ノ慧殿〉を大きな『門』で繋いで、流れ込む膨大なチカラを得て……それでこの世界をブッ壊して、新しく作り替えてやろうってわけ?
同じようなことを向こうでは失敗したから、今度はこっちで、って?
――それこそノーサンキューもいいとこだわ。余計なお節介はやめてくれる?」
「それは出来ない相談だな。
私が真に変革したいのは、こちら――。
そう、ようやく帰ってきた、この世界なのだから」
「!? 帰って、きた……!?」
マガトの発言に、つい驚きを素直に顔に出してしまう。
……どういうこと?
マガトダイモン――その本質は、肉体の無い精神体……いわば怨霊のようなモノで。
それが、永く続く世界の歴史の中、積もり重なり澱み大きくなった〈闇のチカラ〉と融合し、災いを為す神となった――向こうの世界ではそう教えられた。
しかもその起源は、最低でも数百年前にまで遡るとか言われてたはず……!
じゃあ、マガトの正体は……数百年以上前に、こちらから向こうの世界に転移した人間ってこと?
つまり、アガトンとの関係は……。
わたしに付いて、〈宝鏡〉とともに世界を渡って遭遇して……ちょうどいい相手だから取り憑いた、乗っ取った――ってこと?
……ううん、違う……これって――!
そのとき、天啓のようにわたしの頭に閃いたのは。
確証はないけど――それこそが正解だと確信してしまう想像だった。
そうだ――。
向こうでさんざん冒険したわたしが、こちらの世界に帰ってきたとき、ほとんど日が経ってなかったってことは。
2つの世界で時間の流れが違う――正しい法則性までは分からないけど、少なくとも向こうの方が流れが早い、ということ。
つまり、向こうの数百年を超える年月が、こちらでは15年に相当するなら……!
アガトンの『行方不明』っていうのが、死んだのでも身を隠したのでもなく、本当にこの世界から消えていたのなら……!
「……ああ、そうだ。
勇者カノン――改めて、君に紹介しておかねばな」
マガトの本当の正体、そこに気を取られていたわたしは……その一言に、ハッとなって顔を上げる。
そして、無性にイヤな予感がして胸が掻き乱される中、笑みを浮かべるマガトの背後から姿を現したのは――。
「私の娘だ」
伸びた前髪の陰から、虚ろな瞳でわたしを見下ろす、小柄な女の子。
――ヒカリちゃん、だった。