第14話 勇者と旧友とその彼氏が大脱出劇
赤宮くんの報せに従って、わたしもちぃちゃんたちとフードコートから駆け出した。
火事についてはもう、館内放送とか待つまでもなく――パニックの伝播とともに一気に伝わっているらしく、通路には逃げ出す人の流れが出来ている。
わたしたちがいたフードコートは、4階建ての棟の2階で、広い吹き抜けを囲う形の通路に面していて……走り出たそこから広く見渡せば、黒ずんだ煙のようなものが、早くも1階から4階まで全域に広がってきてるのも分かった。
確かに、火事による煙のようでもあるけど――そもそも火の手が一向に見えないし、この広がり方は色んな意味で異常だ。
先にユーリが注意を促してきたことと言い、恐らくは〈瘴気〉の一種だろう。
命の危険って意味なら、火事の煙よりもはるかに毒性は低いけど……吸っていて身体に良いものでもない。
というか、この瘴気……既視感すらあるような……。
(でも、まさか……)
とにかく、ヒカリちゃんたちのことも気になるし、わたしは1人でも大丈夫なんだけど――だからって別行動を提案しても、ちぃちゃんと赤宮くんが聞き入れてくれるか分からない。
最悪、「それなら自分たちも行く」と言い出しかねないだろう。
だから、まずはこの2人を外に逃がして、どさくさ紛れにわたしだけ戻る――それが最善手だと判断して、ひとまず走る。
ヒカリちゃんたちが向かったのは完全に逆方向のハズだし、先に逃げていてくれればそれに越したことはないんだけど……。
今は、出口へと向かう人の波に呑まれないためにも、スマホでのんびり連絡取って確かめてる余裕はない。
(ねえ、ユーリ。この瘴気って――)
《……やはり、主クンも気付いたね。
ああ、似ているんだよ――〈マガト〉の操る特殊な瘴気に》
走りながらの念話で、ユーリから返ってきた答えに――わたしは思わず唇を噛む。
マガト――正式には〈逆忌厄神・禍屠大門〉。
それは、わたしが異世界〈麗原ノ慧殿〉で戦った――最凶の魔神だ。
(でも、マガトはわたしが倒した――そうでしょ?
だからこそ、わたしはこうしてこっちに戻ってこられたんだし!)
《そうだね。だから、これは本人ではなく、ヤツの生き残りの眷属が、何らかの手段でこちらへ渡ってきていたか――。
あるいは、〈禍気〉と同質のモノがこちらの世界でも存在していたように、マガトと同等の〈逆忌厄神〉がもともといた――ということなのかも知れない》
(あ、もしかして――! アイツの仕業じゃない? クローリヒト!
〈勇者〉だなんて言ってたけど、実はマガトと同じような魔神に負けて、乗っ取られたりしてるとか……!)
わたしは、先日戦ったあの黒い剣士を思い出す。
また会おう、とかぬかしてやがったことも……!
《――可能性はあるね。
実は以前の遭遇時、彼のチカラには微かに、マガトのそれに近しいモノを感じたんだ。
〈姫神咲〉越しだったし、まさかと思っていたのだけど――》
(それも、アイツがマガトと同等の存在の影響を受けてるって考えれば、辻褄は合うわね……!)
「――大丈夫、聖桜院さん? まだ走れる?」
ついユーリとの念話に気を取られて、走るのが少し遅れていたみたいで――。
隣にいた赤宮くんが、すぐさまそう気遣ってくれた。
わたしたち、出口に向かう結構な人の流れの中にいるからね……ヘタにその流れを妨げたりすると、わたしたちだけじゃなく他の人たちも危険、ってのもあるだろうけど。
でも――こんなときだけど、同年代の男の子に自然に気を遣ってもらうって、なんか新鮮で、ちょっと嬉しくなっちゃうなあ。
『姫サマ、ここは自分が!』みたいな、なんか間違った気の遣われ方ならわりとあるんだけどね……哀しいことに。
「ありがとう、大丈夫だよ。体力なら自信あるから」
「それならいいけど――この先階段だから、気を付けて」
わたしとちぃちゃん、2人ともに、走りながら注意を促す赤宮くん。
わたしたちがいるのは表現上は2階でしかないけど、このモール自体が結構大きいし、イベントスペース的な面もあって、1階はことさら広くなっているから……。
実際の1階との高低差は、多分10メートル近い。
それだけに、階段やエスカレーターもそれなりに長く、途中で踊り場的な空間があって、別方向に繋がるようになっていたりする。
やがて通路からそのまま、吹き抜けに沿った階段へと辿り着くわたしたち。
火の手はやっぱり見えないけど、代わりに煙めいた瘴気は館内全域に広まり始めていて……チラリと見下ろせば、1階のイベントスペースも霞がかかったような感じで。
幸い、もともと下にいた人はすぐさま逃げ出せたようで、1階の人気はまばら。
ここみたいに、誰かが転ぶだけでヤバいことになりそう――って状況じゃないから、1階まで辿り着けば逃げるのに苦労はしないだろう。
ただ、瘴気に巻かれ始めていることで、周りの人たちのパニック具合も増してきてるのが気がかりなんだよね……。
そもそもこの瘴気、特性もマガトのそれと似ているのなら、人の精神に、極度の興奮とか、一時的な悪影響を及ぼす可能性もあるから――。
「――きゃあ!?」
そんなことを考えた瞬間――わたしの耳に女の子の悲鳴が届く。
反射的にちぃちゃんかとその身を案じるけど、そうじゃなかった。
声の出所はわたしたちの後ろで。
小学生ぐらいの女の子が、階段を踏み外していて――!
――マズい!!
この長さの階段を転げ落ちるだけでも危ないのに、パニックに陥る人波の中ってこの状況じゃ……!
とっさに、女の子を受け止めようとするわたしだけど――それよりも早く。
そう、わたしよりも早くに反応した人がいた。
「――ッ!」
――赤宮くんだった。
彼は自ら女の子の方へ踏み込むと、倒れる前にその小さな身体を受け止める。
だけど、一方向に流れ続ける人波の中で、致命的に動きが止まったのは事実で……!
このままじゃ危ない、人波に呑み込まれる――と思った、その瞬間。
赤宮くんは女の子を抱えざま、素早く、迷いなく手摺りを跳び越え――吹き抜けに身を躍らせた!
「な――!」
そして落下中、イベントの垂れ幕が下げられたワイヤーを引っつかみ――その衝撃によるたわみを利用した振り子運動で手近な柱へ跳び、それを三角蹴りの要領で蹴ってさらに勢いを殺して。
何とも軽やかに、女の子ともども無事に1階へと降り立ったのだ……!
――うっわ、マジで!?
落ちても死ぬほどじゃないかもだけど、大ケガしかねない高さだよ!?
運動神経もだけど、度胸も判断力もスゲーな……!
……とか驚いてたら。
「――裕真くんっ、大丈夫っ!?」
なんと、ちぃちゃんまでもが手摺りを跳び越え――同じ手段で1階へとショートカット!
――って、マジ!? 何このカップル!
「あああ、もうっ!」
で、そんな2人に気を取られて足が鈍ってたわたしはわたしで、こんな事態も気にしてられないと言わんばかりの、パニック状態の人波に呑まれかねなかったから――。
同じく手摺りを越え、2人に続いてワイヤーを利用して1階へと降り立つ。
「し、しーちゃん!? ムチャしたらアカンて!」
「それはこっちのセリフだっての!
ちぃちゃんが運動神経良いのは知ってるけど、さすがにコレはビビったよ!」
まったく、わたしは〈勇者〉だからいいけど、一般人がこんなスタント紛いのことやらかすとか、キモ潰したよホント……。
あ〜……もしかしたらこの2人も、瘴気の影響でちょっとした興奮状態――気が大きくなってるとか、あるのかも知れないな。
2人とも運動神経が良くて助かったけど。
――とにかく、わたしとしてはヒカリちゃんたちのことも気に掛かる。
助けた女の子もわたしたちも無事だったなら、まずはこのまま脱出して――と、正面エントランスに繋がる通路の方を見やると。
「煙が……!」
黒煙めいた瘴気は、わたしたち4人を隔離し、閉じ込めるかのごとく、既にそちらに充満していた。
それならと、別の出口へ向かう通路の方を見やれば――。
「アイツらは……」
抱えていた女の子を下ろしながら、赤宮くんが目を細める。
そこにも、まるで行く手を遮るように――。
剣呑な雰囲気を纏った男たちの一団が待ち構えていた。