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鉛の心臓

作者: くらいん







「ロボット制限法、はんたーい!」








 はんたーい、と続いて声が上がった。


デモのおっさん共は、油でギトギトの眼鏡をカチャカチャ上げながら知事公邸へ叫び続け、二次元の『嫁』が描かれたプラカードを掲げた。

そんな勢いに負けじと、警備員のおっさんがデモのおっさんを必死に抑えている。




 しばらくすると警備員の一人、ガタイのいい男が僕の方へ歩いてきた。僕をデモ集団の一人だと思ったのだろう。大正解だ。男が僕に話しかける。


「ほら君も今日は帰って……なんだ、ハカセか。木陰で何を?」


「い、いたのか、剛田。見ての通り休憩、今日は暑いからなぁ」


 剛田は僕の隣に座り、同じくデモ集団を眺めた。


「機械類の製造に制限か。そうか、機械技師のお前には辛い情勢だな。デモに参加する理由も、まあ、わかる」



 SNSでの盛り上がりを聞きつけ、ついにはテレビカメラを抱えたおっさんが登場した。事態はデモおっさん、警備おっさん、カメラおっさんの三つ巴となっていた。大量の肉饅頭が蠢いている。



「初参加だけどもう来ないよ。どうせ、あの様子じゃ世論は変わらないだろうし、なんなら悪印象な気がするね」


 僕は徐に立ち上がり、水筒に入れたコーヒーを飲み干した。


「悪印象だろうよ。あの手の連中は女体を弄りたいだけだ。全く、ロボ共に叛逆された、あの忌々しい事件を覚えてないのか。アンドロイド製造は今や禁忌だ」


 剛田はデモ集団を睨みつけ、右腕の機械義手、その付け根を強く押さえつけた。感覚を確かめるように手首を回すと、その義手からモーター音が鳴り、機械の存在感を出していた。

 彼も事件の被害者だ。思うところがあって警備員となったのだろう。彼をはじめ、ここ数年でアンドロイドに対する風当たりはすっかり悪くなってしまった。




アンドロイドは、犯罪の象徴になってしまったのだ。




「さて、僕は自宅に戻るよ。助手もデモばっかり見て、飽き始めている頃だ……おおい、帰るぞー」


「──了解しました。観察行動を中断、記録内容を保存します……保存しました。追従を開始します」


「よしっ、またな剛田」


「おう──ちょっと待て、今アンドロイドいなかったか?あれ?えっ?」


 そんな剛田のツッコミを無視して、僕たち二人は自宅へ歩き出した。



家に帰る途中、「パーツ、仮止めだったけど動けたかい?」とか「初めての外出は色々な体験があっただろう」とか、そんなくだらないことを話した。

手を繋いで帰ろうかと思ったけど、少し恥ずかしいし、何より彼女が嫌がる態度に変わるかもしれないから、やめた。













 二七二〇年の現代といえば、空飛ぶ車にホログラム映像、他惑星への移住、そんなものが日常に溶け込んでいる……と思うかもしれない。



しかし、そんな日常は存在しない。



撮影用のドローンでさえ規制が厳しいのに、わざわざ空を飛ぶ理由はないし、目への負担が大きいホログラムなんか多用できない。他惑星の移住など、暇を持て余した富豪だけの娯楽だ。宇宙食だけの毎日、狭い機内、一体何が楽しいのか。日常とは、不変なのだ。





 ただし、ロボットやAIだけは著しく成長していった。




 きっかけは産業用ロボット、工場で使うような機械のアームだ。作業の効率化や人員の削減は社会を助け、人々の暮らしを豊かにした。




「『八百万神』という話を知ってるかい。森羅万象全てに神が発現しているという古代日本の思想だ。無機物なんかに人格を見出してしまう人間。ロボット技術に伴ってAI技術が発達したのも当然と言えるだろう」


 AIの技術は二〇〇〇年台から急速に発展し、人口の減少やストレス社会によって、その進化に拍車をかけた。


「無数の会話パターンを用意しても、人格が芽生えることはなかった。AIの話は僕の専門外なんだが、どうやら会話における『罰』と『報酬』の使い分けがミソだったらしい。アンドロイドの機体については、不完全な部分がまだ多くてね。いや、人間の身体が完全だというわけではないけれど──失礼、話が逸れた。要は、完璧なAIと完璧な機械の身体を、人類は手に入れたのさ」



 一通りの話を終え、僕はコーヒーを片手に椅子へ腰掛けた。彼女はまだ完成したばかりで、世の中を知らない。こうやって、少しずつ人間社会に馴染ませていかねば。僕は黒髪をボサボサと掻きながら、窓の外を眺めた。



「デモの集団を見せただろう。君はどう感じた」


「『アンドロイド及びヒューマノイドを主としたAIを使用する機械生産制限法』に、疑問の感情を検出しています。AI及びアンドロイドは高い需要を元に生産されました。非生産的です」


「正式名称が長いときは略称をした方がいいよ。あと『私はロボです』みたいな口調はやめなさい。街に出ると危険だ」


 淡々と話す彼女──ハクは碧色の瞳で、僕をじっと見つめる。


白いボブカットにスラリとした細長い体型。

グレーのワンピースの胸元には青いペンダントが光り輝いている。

完全に僕の趣味。なんて可愛いのだ。

グレート。

パーフェクト美少女。

世界一。

そんなハクを僕が注意するたび、彼女は何も言わずにじっと見つめる。伝えたいことはわからないが、なにぶん生まれたばかりだ。これからどんどん学習して、表情も豊かになっていくのだろう。


 白衣に手を突っ込み、僕はコーヒーを啜った。


「…数年前、アンドロイド達が一斉に暴動を起こした。始まりは、劣悪な労働環境下にあったアンドロイド達を助けようとした一人の少女だ」


 コーヒーの苦味を口の中に留まらせ、当時のニュース映像を思い出す。逃げ惑う自動車、崩壊する建物、炎に呑み込まれてく人々。


「……少女の死が、彼らアンドロイドを刺激した。彼らの中には、人間より強い力を持って生まれたタイプもいたからね、被害は大きかった。以来、感情を持ったアンドロイドは製造中止になった。元いたアンドロイド達は廃棄処分か市外に逃げたよ」



 飲み終えたカップを机に置き、ハクと対面するようにゆっくりと身体を向ける。目が合うと、ハクは小さな声で言った。


「私は、ここに居てはいけないのですね」



 自分で発した言葉を反芻し、ハクは目を伏せた。すらっとした右腕は、胸元の青いペンダントをギュッと握りしめていた。なんて優しい子だろうか。



 窓から見える大きな電光掲示板で『事件から三年──行方不明者の親語る』と言った見出しのニュースが放映され、当時の災害映像と共に被害者へのインタビューが流れていた。アンドロイドに撃たれたとか、会社が経営難になったとか、批評家の何ちゃらは事件を予言していたとか。アンドロイドの悪口ばかりで、少女の話はしていなかった。



 僕はメディアの偏向具合に嫌気がさして、緑色の遮光カーテンを力強く閉めた。


それから、俯いたハクのほっぺたを両手で持ち上げ、顔が上がるようにグリグリこねくり回した。


「ハカセ、何をうりゅりゅりゅりゅりゅ…」


「なあに、気に病むことはないとも!君の誕生を、僕は喜んで祝福するし、僕の他にもたくさんいる筈さ。君が生まれながらにして持つハンデが、少しの間お邪魔するだけ」


「うりゅりゅ…」


「そのハンデを取り除くために、頼られるために僕がいるんだ。だから、思うままに笑って。その顔は、その身体は、僕の自慢なんだからね」


 感触を楽しんだ後、撫で回す手を止めてハクに笑いかけた。


「ハカセ、首が取れました」


「オワーーッ!」


 両手に持った彼女の顔と、足元に転がる、ぐったりとした身体。僕の頭の中で『アンドロイド少女、死す』とテロップが入り、盛大なオーケストラの元、エンドロールが流れ始めた気がした。





「生体バッテリーの接続解除を確認しました。頭部の予備電源に接続しま──ふ、ふふふっ」


 ガレージの床で倒れている身体と、目玉が飛び出したような僕の顔を交互に見て、彼女は初めて笑った。


「そ、そうか。死んだかと思った。まだパーツが仮止めだからすぐに外れたのか……壊れてない?お、可笑しかったかな?」


「ええ、とても。ふふふ」


 ハクは楽しそうに、まるで人間のように、堪えきれないような笑い方をした。ハクが生きているということを実感した僕は、それがとても嬉しくて、外れた首のことを忘れて一緒に笑った。










 二人だけの生活に慣れてきた頃、ハクは僕の仕事を手伝うようになった。ロボット制限法があるとはいえ、機械技師の僕は機械に携わることでしか生活できない。日に十数人訪れる、機械義手を付けた人達の修理やメンテナンスで食い繋いでいるのだ。


「AIのテロで失った腕を治して、金を貰って──皮肉なものだ」


「そう言うなハカセ。この辺の技師達はもうお前だけなんだ。町のみんなも感謝してるよ」


 右手の指をピロピロ動かしながら、剛田は僕を励ました。腕からは微かにモーター音が鳴り、物静かなラボに趣を感じさせた。その音が、各指の機能を果たしていることを伝えてくれている。


「新しい右腕、ちゃんと機能してるみたいだな。一体、なんだって腕の交換なんか……」


「最近物騒でな、事件の被害者達が街で機械を壊し回ってる。俺もその被害者ってワケだ」


 いわゆる、『過激派』と呼ばれる人々だ。

かの大事件によって、AIがトラウマになってしまった人も多い。剛田は続けて語る。


「厄介なのはその『曖昧さ』だ。彼らはAIに足して恐怖を持っているはずなんだが、最近は自動車の被害報告も多い。確かにAIが備え付けてある車種もあるが、道案内や音楽をかける程度の知能ばかりだ」


 剛田は古い右腕を持ち、僕に手渡した。

金属でできている筈の頑丈な右腕は、チェーンソーで切られたような痕があり、手の甲はベコベコに叩かれ、中の骨格やモーター、ワイヤーが剥き出しになっていた。過激派の過激さがひしひしと伝わるグロい腕だ。


「俺の腕にAIはついてるのか」


「マンガじゃあるまいし、喋る右腕なんかつけないよ」


「そうだ、俺の腕にAIはついてない。だが襲われ、破壊された」


 どう言うことか、わかるか。剛田の目は僕にそう言っていた。


僕は手に持った機械の右腕を、隣で佇んでいたハクに手渡し、ガレージに捨てておくように頼んだ。


それを見た剛田も、ハクに目線を向けて、言った。


「考えられるのは、『機械ならなんでもいいと思って破壊した』とか──『アンドロイドと思わせる何かを腕に感じた』とかだな」


 数秒、無言の時間が続いた。


まずい、過激派ほどでもないが、剛田はアンドロイドが嫌いだ。




 この間のデモ運動の時だって、ハクと剛田は合わせる予定ではなかった。


あの時のハクは、体のパーツが仮止めだらけで、首がいつ取れてもおかしくなかった。


現在は全ての電線が首を通して細部まで身体と繋がっている。外れる心配はない。


 剛田は、あの時のハクの言動が、気にかかっているのだろう……前者だ。


腕とアンドロイドには関係性がない、そう言わないとハクがより疑われるかもしれない。僕は口を開こうとして──

「──後者だと思います。アンドロイドの特徴はAIだけではなく、機械の身体も含まれます。警官の服越しから聞こえたモーター音、それが彼らを刺激したのではないでしょうか」


 壊れた右腕をカシャカシャと振るハクに遮られた。確かに剥き出しのモーターが、ウィンウィンと音を立てている。その仕草が手を振っているように見えたのか、剛田もにこりと笑って、手をふり返した。


「へえ、前者と言っていたら呆れていたところだったが、なかなか頭がいいな、嬢ちゃん」 


「この腕、襲われる前からモーターの静音機能が作動していなかったようです。オイルを定期的に刺さないと、各パーツの擦れる音は大きくなりますよ。襲われたのは、片腕が使えなかったからでしょうか」



 ハクの言葉で、デモの時に出会った剛田を思い出す。デモと警備員、テレビ局のおっさんが騒いでいる街中で、確かにモーターの音が聞こえていたのだ。



「いやあ。指は動くもんで、修理を後回しにしてたら、いざというときに壊れてな。油刺さなきゃならんなんて、機械ってのはめんどくさいモンだなぁ」


 ふふふ、ははは。二人が愉快に笑う中、僕だけが冷や汗をかいていた。ほっと胸を撫で下ろすと、間髪入れずに彼女が質問した。


「なぜ、ハカセに試すようなことを?」



 再び、沈黙。ハクの表情を見ると、口元は笑っているのに、目だけはしっかりと剛田を見ていた。すごい、二七〇〇年のAIはここまで進化したのだ。絶妙な表情を見て、僕は感心してしまった。


「試すとは、何のことかな。何を試すって?」


「いえ、呆れてしまうような内容を選択肢に入れるなんて、面白い方だと。ただのジョークでしたらごめんなさい、気がつきませんでした」


 おや、なぜハクはどこか挑戦的なのだろうか。『ジョーク』という逃げの選択肢を潰してまで、彼女は剛田を問い詰めている。予想外の返しに、剛田も少し驚いているようだった。



「──すまない。君をアンドロイドだと勘ぐっていたんだが、気のせいだったらしい。いや、俺も機械的な女性が少しトラウマになっていてね。ただ、嬢ちゃんにそんなユーモアがあるとは思わなかった。ハカセが作れるレベルを超えてるよ。すまなかった」


 そういうと、剛田は立ち上がり、ハクに深く頭を下げた。


 剛田はハクを気に入ったようで、「ハカセを頼むぞ」と頭を撫でたり、「良いお嫁さんになれるな」と肩を叩いたりしていた。


ハクも何か言われるたび、照れたような素振りを見せては「お任せください」とか「最近の目標です」とか言って、楽しそうに会話をしていた。一方、隅でコーヒーを啜る僕。くそっ楽しそうだな。




 夕方になり剛田が帰ると、僕は溜まりに溜まった心労を吐き出すように大きなため息をついて、ガレージの中にある椅子に座った。


ふと、隣に佇むハクに目をやると『ウィン』と静かな部屋にモーター音を響かせ、顎を少し上にあげた。


ニヤリ、誇らしげに僕の方を見たかと思えば、「夕食の支度をしてきます」と言って、照れ臭そうに立ち去ってしまった。


今のは──ドヤ顔というやつか!

 











 こんな感じで剛田さんとの一件も済み、私も生活に少しずつ慣れていった。


アンドロイドではあるものの、そこは流石、私の身体。食事や運動、睡眠においても、限りなく人間に近い生活ができている。


どうやらAIの性質上、私は人間をとても好ましく思う傾向にあるようだった。街に出かけては近所の子供達と遊び、自動車整備工場のおじさん達と語らい、デモ集団の人たちに蝶よ花よと愛でられている。


今の私は、すっかり町の人気者になってしまったのだった。




「ウムム……正直目立ってほしくはないが、止めるのもなぁ」


 深夜三時。ハカセはガレージ内の椅子に腰掛け、唸った。


「とても良い人達ばかりですよ。ラボまで足を運んできてくださる方も増えました」


 ガレージ内はハカセの私物で沢山。私は乱雑に置かれた工具用品の整理をしていた。


「仕事が増えたことは良い。ただ、剛田みたいに用なく毎日来られるのは困る。彼、ラボの二階に財布置いていってるぞ。デカい体に似合った、大雑把な性格だよ全く」


「明日の朝、お渡しします──ハカセ、この工具箱はどちらに?」


「っと、すまない。それは仕事道具だからラボだね。基本的に、仕事道具はラボに、私物はガレージに置いてある」


 机に置かれた写真立てを伏せると、眼鏡を上げながらハカセは答えた。


「了解しました。ハカセ、その写真立ては?」


「昔の写真さ、気にかけるもんじゃない。それより、町の人たちと仲良くやってるかい。小遣いは足りてるかな」


 彼はおもむろに立ち上がり、暖かい紅茶を入れ、私へカップを渡した。私が生まれた、あの暑い夏の日から半年が経つ。


ガレージの隙間から冷たい風が吹き、私たちを凍えさせる。なら、ハカセがコーヒーで、私は紅茶。こんな日は、二人で暖かいティータイムをして、この寒さを楽しもう。二人だけの、特別な時間だ。


 季節の侘び寂びに真剣なハカセは、日によっていろいろな表情を見せてくれる。


そんな彼が、私は好きだ。


ハカセが笑うと、私も笑う。ハカセが喜べば、私も喜ぶ。ハカセに見つめられると……最近は何だか恥ずかしくて、見つめ返すことができないけれど──正体不明のこの気持ちは、良いものだと、私の中のAIは答えている。


「最近は寒いですから、外で出会う人は少なくなりました。お小遣いも、節約中です……ただ、最近関節パーツが軋む音がして──」


 私が肩を回すと、腕の付け根からキィ、キィ、と音が鳴った。オイルは何度も交換しているのに、その音は止まなかった。


「急に冷え込んだからね、オイルを冬用に変えないといけないかもだ」


 ハカセはガレージの隅へ行き、ガサゴソとオイルの入ったタンクを探し始めた。ふと、伏せられた写真立てが視界に入る。ハカセが私に背を向けているものだから、つい、その写真に手を伸ばした。



 写真に写っているのは、三人。




 整った黒髪で、眼鏡をかけた、少し若いハカセ。今の博士が三十前半の年齢なので、二十台後半の頃の写真だろうか。白衣を着ていないハカセは、いつもよりカッコよく見えた。


 ハカセと肩を組んでいるのは、十代くらいの少女。目や髪の色、笑っている顔がハカセとそっくりで、右腕には機械義手をつけている。


 そんな二人の横、白髪の女性には大人しそうな印象を受けた。驚いたのは、その白い髪の女性は──



「──妻だよ。黒髪の子は妹。結婚式の写真なんだ」


 私の視界にハカセの手が入ってきて、二人を指さした。


「す、すみません。つい気になって」


「いいんだ、恥ずかしくて見せなかっただけだから」


 ハカセはそっぽを向きながらに頬を掻くと、カラのボトルを私に見せた。


「冬用オイルが空っぽだった。自動車整備場へ行ってくるから、君はラボの二階で待っててくれないか。なあに、ガレージからラボまで徒歩一分、同じ敷地内だからそこまで寒くないさ」


「──了解しました。ハカセ、帰ってきたら二人のこと聞かせてくださいねっ」


 そう笑って、私はガレージの外へ出た。笑っていた、と思う。AIは「笑顔」の信号を受け取っている。そして、「作り笑い」であったことも、AIは教えてくれた。嬉しいや悲しい、色々な感情をハカセから学んできたけれど、まだまだ知らないことがいっぱいだ。


胸が締め付けられて、呼吸がし辛くて、頭がぼうっとするような気持ち。そっか、結婚。ハカセにとっての一番は、もう決まっていたんだ。






 関節の軋む音を響かせながら、トボトボとラボの中を歩く。二階の窓からは電光掲示板や整備工場の屋根が見える。二階へ行って、外の景色を見ながらハカセを待とうと思った。


 真っ赤なカーテンを開いて、道路の上に飾られた電光掲示板を見る。


『水鞠市に寒波到来──深夜初雪か』という文字を見て、私はパアッと目を開き、嬉しい気持ちになった。


 雪を見たことがない。今夜初雪。雪ってどういう風に降るんだろう。


「侘び寂びは、見て感じることに意義があるらしいからね」と、ハカセの口癖を呟く。


『雪』や『桜』をAIで検索しようとしたら、そう言ってよく止められた。

 生まれたばかりの私は、AIが導き出した言葉を並べているに過ぎなかった。新しい何かを五感で体験し、感じることで、私の心は豊かになっていった。


 最初は理解できなかった「侘び寂び」も、今の私なら何となくわかる。機械でできた私の心が、感情によってぐにゃぐにゃと変化していくような気がして、「感じる」ことの面白さを知った。



 ふと、先程の感情の揺れで気づけなかったことを思い出す。

奥さんは今、どこにいるんだろう。

どんな出会いがあったのだろう。

ハカセは何故、婚約指輪をしていないんだろう。


AIが導き出す答えはどれも悲しい結末ばかりで、早くハカセの口から答えを聞きたいと思った。


「雪、はやく降らないかなぁ……」


 そう呟いた私は、ハカセが整備場へ出かける姿も、掲示板に流れる不穏なニュースも──背後から聞こえる足音も、全くもって何も気づかないまま、窓から見える冬の夜空を見つめていたのだった。

 





「雪、早く降らないかなぁ……」


 整備場から見える夜空はどんよりと曇っていて、枯れ木と突き刺さる冷たい空気が物寂しく感じた。この寂しさを埋めるのは雪に違いないと思った。


「水鞠市じゃあウン百年ぶりの雪だね。ハクちゃんも喜ぶだろ」


 田中はそう言って、僕にオイルボトルを渡した。


田中は僕の友人。学生時代は剛田を含めた三人でよく遊んだ。ガッチリとした剛田に、金髪でチャラついた田中、病弱で物静かな僕。僕らはバランスの取れた悪ガキ三人衆だった。


そして田中は唯一、ハクがアンドロイドであることを知っている人物なのだ。


「いつも悪いな」


「ま、事情を知ってる分、協力しないわけにはいかないっしょ。一人暮らし……今は二人に戻ったのか。いずれにせよ、助け合って行かなきゃな」




 帰り際、田中は缶ジュースを三本、僕へ放り投げた。慌ててながらも両手でキャッチする。


ブラックコーヒーと、紅茶と、サイダー。


「それ、お前の奥さんとハクちゃんに。春で一周忌だろ。最近物騒だから気をつけてなー!」


「両手塞いでどう気をつけるんだよっ」


 そんなやりとりをして、僕たちは別れた。




 最近物騒、と聞くと街の景色も違って見える。雪に備えているのか、午前五時だからか車通りが少なく、白い街灯と味気ない木々だけで、とても静かだ。


 僕がいうのも何だけど、世界がこのままモノクロームに移り変わっても、誰も気づかないかもしれない。厚手の黒いニットと白衣の間を通って、冬の風が曇り空へ消えていく。


 風が雲へ届いた頃、僕の頬へ冷たい何かが落ちてきた。


 降った。

本当に雪が降った。

しかも結構降ってる。


 黒い車道を、白い雪が隠していく。世界が本当にモノクロになってしまう前に、早くラボに戻らねば。きっとハクも、雪を見て笑っているのだから。手に持った四つの液体の中に、炭酸飲料が含まれていることを忘れて、僕はラボへ小走りした。




 ラボの駐車場には、見慣れたバイクが、「こりゃ帰れませんな」といった風貌で止めてあった。こんな雪の中、財布を取りに来たのか。そりゃそうか。財布だしな。せっかくの静かな空間に、騒がしくてむさ苦しい男が乱入するのか。


「剛田の声って、結構響くんだよなぁ……あ?」






 響く?






 ──発した言葉に、何故か「後悔」という懐かしくも恐ろしい文字を連想した。分からない。解らない。でも、僕の心臓が大きな声で叫んでいるような気がした。


使い物にならない思考がまとまるより早く、僕はラボの二階へ走り出していた。走りながら考える。



 いや、本当は気づいている。だって僕は──「死」がどうやって訪れるか知っている。


ラボの二階、研究室の前へ着いた僕は、ボトル達をその辺に投げ捨てて、半開きの扉を思いっきり蹴飛ばした!

 







 暗い部屋の中。窓から差す街灯の淡い光で見えたのは、凹んだ椅子を持った大きな人影。





 そして──虚ろな目で空を見上げる機械の生首、そこから溢れる大量のオイルやパーツ──人間一人分ほどのひしゃげた鉄屑だった。






「──剛田ァァ!」


 人影が振り向いた瞬間、僕は右腕で彼の頬を思い切り殴った。


剛田の身体は僕ごときのパンチでは微動だにせず、ただ口元から少し血が流れただけだった。胸ぐらを掴み、僕はもう一度、思いっきり剛田を殴った。



「……アレは、やっぱりアンドロイドだったんだ。俺の腕を切ったり、俺の親を殺したりした、あのアンドロイドだった…!」


 涙と血を流しながら、剛田は僕の目を見て言った。彼の目は、動揺と、怒りと、恐怖で支配されていて──らしくない息切れと、らしくない身体の震えが、普段の剛田じゃないことを示していた。


「部屋の奥で、歯車が軋む音が聞こえたんだ。それが響いて、俺の周りに響いて──奴らに囲まれた時と一緒の音だった。耳を塞いでも、ずっと俺の心から聞こえてくる。それを止めたくて、俺は」


 悪くない。俺は何も悪くない。そんな目をして、剛田は僕に訴えかける。僕は、心の底から叫んだ。


「ハクがお前に何をしたっていうんだ!お前の何を奪った!お前のやってることは、お前の親を殺した奴らと同じだっ!」


 喉の奥から、焼けるような痛みを感じる。叫び慣れない身体が悲鳴をあげている。そんな僕の言葉を聞いて、剛田はハッと目を見開き、顔を背け、静かに泣いた。



「剛田、返してくれ──僕の、僕たちの、たった一人の娘なんだ……」



 剛田と僕は、お互いに力が抜けたように座り込んだ。窓から見える雪は、豪雨へと変わっていた。

 







 雨音が鳴り響く中、「ザザッ」というノイズ音が微かに鳴った。ヒイッと言って剛田が後ずさると共に、僕は音の元へ駆け出した。ハクだ。



「──ザッ──ザザッ──ハカ──セ──」



 首元から緑色のオイルが流れ、ぐちゃぐちゃになった機械パーツを浸していく。傷つかないように、僕はゆっくりと彼女の首を抱き抱えた。オイルが白衣にべっとりとついて、色を染めていく。


「ここにいるよ……雪は見れたかい」


 ハクの目は白い髪に隠れて動きを止めたままだった。僕は、彼女の目にかからないように、髪を横へ流して、ゆっくり撫でた。


「──少しだけ。でも、とても、綺麗でした」


 よかった、と僕は呟いた。「雪はまだ降っていますか」と聞かれたから「うん。積もってきているよ」と答えた。


「冬用のオイルも手に入ったから、雪だるまを作って遊ぼう──侘び寂びは、見て感じることに意義があると、妻も言っていたよ」


 窓から離れ、彼女の身体だったモノの近くへ座る。落ちていた青いペンダントと彼女の手を挟み、しっかりと握って、ハクと話をした。


「妻の話を聞きたがっていたね。僕は機械いじりが専門で、AIのことはからっきしだった。AI技術を得意としていた妻と出会ったのは、専門学校に通っていた時」


 壊れて焦点が合わない目のパーツを見つめて、優しく語る。


「生まれつき足が不自由だった彼女と、生まれつき目が不自由で病弱だった僕は、お互いを補う形で惹かれ合った。彼女の足は僕が作ったんだよ」


 僕はふと、カーテンに目線をやった。そこに、妻を思い浮かべながら。


「どうも……赤と緑が難しくてね、機械作りはそこが大変だった。赤色と緑色、結構多いんだぞ。でも、彼女がいたからね。何とかなった。時代はアンドロイド全盛期、僕たちが作るアンドロイドは『心』があるって評判だった。それに乗じて──その資金で挙式した。僕には子供を作る力がなくて、妻は子供を産める力がなかったけど、幸せだった」




 部屋を見回す。


暗くて見づらいけれど、部屋は緑色の家具で統一され──いや、妻が亡くなってからはその区別ができていない。優しい緑色で包まれていることを願うばかりだ。




「妹が亡くなったのは、そのすぐ後」


 手を離して、ハクを撫でては、また手を繋ぎ直す。ハクのノイズの音だけが、僕を安心させる。


「テロの話はしたね。少女って、妹のことなんだ。アンドロイドが好きだった」


 間違いなく僕の影響だろう。元気で活動力のある、いい子だった。


「でも、アンドロイドをこき使う大きな会社に殺されたよ。世間では行方不明扱いになってるけど、気づいている奴は多いだろうね、骨も残らなかったって」


 アンドロイドを粗末に扱うその大手会社は名前を変え、新しい機械産業会社に擬態した。居場所は掴めず、相変わらず表社会の影に隠れて悪どい商売をしているらしい。


「僕は立ち直れなくて、身体の悪い妻にも、何もしてあげられなくなって、今年の春に衰弱で──最低だろ、僕」


 研究室のドアの向こう側に転がるコーヒー缶も、妻が好きだったものだ。


飲めば、そこに妻がいる気がした。



「妻は最期に、自分と僕の感性を組み込んだAIを作り出した。精巧に作られていて、どのAIよりも美しかった」


 妻は、僕たちの情報を、何千、何億にも分裂させてパターンを生み出し、最も優れた『種』をもとにAIを完成させた。



「君だよ、ハク。妻が亡くなった後、僕はそれに縋るように、必死でボディを作って、この部屋で君を生み出した。そこでも僕たちは、互いを補い合っていたんだね──これが妻との出会いと、別れ。そして、君の生まれだ」



 ザザッと音が鳴る。



「ワ──たし、不思議に、思っていたんです。どうして写真の女性と私は似ているんだろうって。あの人は、私の──お母さん、だったんですね──」






 

 時計は午前六時半を指していた。空は晴れ、冬の乾燥した空が広がっていた。部屋に明かりがさす。


そこで、僕は驚くべきものを見つけた。





弱々しく脈打つ──



──ハクの、『心臓』。




「──ハク!頭部の予備電源は無事かい!身体の方、『心臓』がまだ生きてる!助かるかもしれない!」


 冬の朝日に照らされて、僕は勢いよく立ち上がった。まだ救えるかもしれない。妹や妻を助けられなかった僕でも、救えるかもしれない!


「おい、剛田!寝てるんじゃないだろうなっ」


 僕はオイルボトルとその辺の缶を白衣のポケットに突っ込んで、江田へ叫んだ。


「も、もちろん。助かるって、そのパーツ歪んでるじゃねえか」


「欠けてなきゃ大丈夫な部品なんだここは!記憶中枢と感情の伝達をする大事なパーツだ。その身体、ガレージまで運んでくれ!」


 剛田はぐしゃぐしゃになったパーツを怯えながら抱えた。僕はAIの機能を司る頭部を持って、二人でガレージへ駆け込んだ。ちょうどよく、工具が整理されていたので、パーツを繋ぎ直すのは簡単だった。








「こ、こんなモンかな」


 剛田は上裸に、僕は妻が愛用していた白衣を脱いで、必死の修復作業を行い、完遂した。冬の早朝にも関わらず、僕たちは大量の汗をかきながら、大きなため息をついた。これでもう大丈夫だろう。



 ハクの頭は機械に固定されて中に浮き、首から下は様々な電線や細いチューブが心臓部分に繋がっている。顔はガレージにあった予備パーツをもとに修復し、視界を回復させた。僕はハクの前にある椅子へ座って、声をかけた。


「よいしょっと──ハク、聞こえるかい。見えるかい。調子はどう?」


「──まさか三度も首が取れることになるとは、機械も大変ですね」


 剛田の言い回しを真似て、ハクは微笑んだ。


ああ、無事だ。よかった。


「ああ全くだね……三度目って君、どこかで一回外してるな!えええっ!」


「あっ……えへへっ。秘密、秘密です!」



 首だけになっても、ハクは元気そうに笑った。


それは初めてハクが笑った日と同じようで、全然違う笑顔だった。その顔はとっても表情豊かで──全く、妻に似て楽観的な考え方をする娘だ。



「──僕は、妹を殺した人間の『民意』が嫌いだった。いや、元々嫌いだったのかもしれない。体に障害を持った僕たちは、あまりよくない扱いを受けてきたからね。そして、そんな醜い心を持つ自分も嫌いだった」



 剛田にも、ハクにも、聞こえるように自分の思いを吐露した。雨上がりの空には雲ひとつなくて、少し晴れやかな気持ちがしていた。今なら全て話せると思った。



「だから、毒性を持っていて鈍色に汚く光る『鉛』を心臓の素材に採用したんだ。勿論、皮肉のつもりさ」




 人が──自分が、何よりも嫌いだった。


そのせいで、『ヒト』の形をした『何か』が完璧であることが許せなかった。



だから、鉛こそがヒトの核に相応しいと思った。



「──鉛が正解だったなんて驚いたよ。アンドロイド達はみるみると自分の『心』を感じるようになっていった。心臓が金属製なのも、固まって動かない、腐った性根を表してる。そんな心臓が『心』を生み出したんだ。だからきっと僕たちは──『鉛の心』を持っているんだ」



 生き生きと電気信号を脳へ送る、鉛の心臓パーツを見て、僕は言った。




 そうだ、人間なんてそんなものだ。

僕なんて、そんなものだ。



他の研究者達のように完璧な機械生命体を作ろうとしたんじゃない。僕は、どこか不完全である人間を、完璧に作ろうとしていたんだ。


「──毒性を持った鈍色の心。それが人間。ええ、間違い無いでしょう。でも──鉛って、金属の中ではとっても柔らかい方なんですよ」


 ハクはそう言って、すっかり力が抜けてしまった剛田を見た。


「固まって動かないなんて、嘘です。人は変われる。みんな本当は柔らかくて、優しい心を持っているんですよ」


 ハクが優しく微笑むと、剛田は、また泣いてしまった。前に見た鳴き方とは少し違った泣き方で、小さな声で「ありがとう、ありがとう」と言っていた。


アンドロイドを恐れていた男が、アンドロイドに救われている。剛田の心が、変わろうとしている証拠だ。



「妹を、妻を見殺しにした僕でも変われるかい?」


「勿論です。雪が積もってるなんて嘘をついたとしても、です。今度の雪が積もったら、絶対に雪だるまを作りますからねっ」


 ハクは意地悪そうに笑って、僕を見つめた。つい、恥ずかしくなって目を逸らす。そうして、ハクはまた笑った。



「──だから笑って、お父さん。お父さんが笑うと、私も嬉しいから」


 妹だって、妻だって、やって見せたんだ。僕だって何かを変えることができるかもしれない。


よく笑うようになった愛娘の顔を見て、不思議とそう感じた。きっと今がその時なんだ────






 暑くて脱いだ白衣のポケットから、ペンダントを取り出す。


「貴方の目なら青色がよく映るから」と言って妻がよくつけていた青いペンダント。それをハクにつけた。「綺麗?」と笑ったから、僕も「世界で一番綺麗だよ」と笑った。





 モノクロの冬はあっという間に終わって、移り変わった春が僕らを呼ぶだろう。


桜の花々を見たことがないハクなら、喜んでその訪れを待つはずだ。


その時が来たら、手を繋いで、二人で見にいこう。






────侘び寂びは、その『変化』を見て、感じることに意義があるって、気づいたからね。













後日解説を書く予定です。ご愛読ありがとうございました。

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