エカート
広げた地図は古いものだったが、パーシバルはみずから見て回ったとおりに様相を書きかえていた。
「本当に探偵みたい」
と、対面に座るヴィーが息をつく。今日、彼らは居間の小さなテーブルにいた。パーシバルは「ここまでの推測だ」とペンの先で道をたどってみせた。
「現場の手前に酒場があるが、あの日は早仕舞いしていた。犯人は、人通りが減るのを知って君の兄弟を……」
「エカート」
すかさず訂正され、彼は小さく片手をあげる。
「エカートを誘い出した、明確な狙いをもって。彼には標的になるだけの理由があった」
じっとのぞきこんでくる少女に視線をあわせ、口を開かれる前に先まわりする。
「しかし今のところ理由は不明で、君にも心あたりはない。母親に話は聞けないか?」
パーシバルが窓辺のカーテンにふり向きかけると、ヴィーの手が伸びて「だめ」とジャケットの袖をつかんだ。
「今はやめて。ママは混乱してる」
表情に必死な色が走ると一気に幼く見えた。アロンソのものだった家にいた子どもたちを思い出す。
「事件のことは話したんだろう」
「言ったけど、ママはエカートが帰ってくるって思ってる」
この言葉はパーシバルにとって難しいものだった。彼が黙っていると、ふいにヴィーが言った。
「認めると壊れてしまうから。人はあなたたちよりも弱いの」
「…………」
「当たりね、私の推理。そんな顔しないで」
ヴィーはちらっと微笑んだが、パーシバルは自分がどんな表情をしているか認識を失いかけていた。まばたきを数回し、
「気づかれないと思っていた」
と言うと、相手の笑みはもっと深くなり、地図の横に置かれたグラスに指をふれた。
「同じ階に親切な人が住んでて、よく用事を頼んでた。あなたと同じように水を飲まなくて、どうしてって聞いたら教えてくれたの。リプロのことと、戦争のことも……」
「怖くないのか」
パーシバルが反射的に尋ねると、彼女は当たり前のように言った。
「リプロは人を傷つけないもの。なにを怖がるの?」
ヴィーの知識は正しい。売られた再現体が戦う相手はほとんどが再現体だし、民間人に危害を加えるようには造られていない。
それらが周知されていても、人々が彼らを受け入れられることはなかった。
「精巧な人形を怖がるのと同じだ。この形がいけないのさ、想像力をかきたてる」
いつかそう話したアロンソは、人間の心臓の位置をたたいてみせた。
「やつらの頭の中で俺たちは怪物にだってされちまう。さてパーシー、実際のところは?」
「“それなりに大切な、替えのきく備品”」
軍ではびこっていた冗談を返すと、相手は人間顔負けに大きな笑い声をたてた。
ヴィーは、親しかった隣人のおかげで柔軟なのか。
そう考えたパーシバルだが、少女の落ちつきすぎた物腰には別のものを感じとっていた。人としては不健全とも言えるような何かを。
夜からエカートの同僚をあたることにし、パーシバルは居住棟の入口をぬけた。
通りに出たところにヴィーが追いかけてきて、となりに並ぶ。彼女は聞かれる前に「掲示板に行くから」と言った。帽子をかぶり、兄のものであろう大きなシャツの袖をまくりながら見上げてくる。
「本当にいいの、ぜんぶ頼んで」
「犯人を見つけたら君が必要になる。それまでに危険がおよんでは困るだろう」
少女は不満と納得が入りまじった顔でため息をついた。
「もうひとつあった、あなたのことわかった理由。ぜんぜん笑わないから」
と、小さく薄い包みを差し出す。
「これは……?」
戸惑ったパーシバルが受けとらないでいると、彼女は彼の上着のポケットにそれを押しこんだ。
「特別手当。気をつけてね」
小さく言い置いたヴィーは帽子を引きさげ、砂ぼこりの立つ道を駆けていった。
居室に帰って包みを開くと、パーシバルはまた驚くことになった。
数センチ四方のシート状のものがパックにおさまっている。リプロのエネルギー源、貼り付け式の補助燃料だ。
彼は首をかしげる。この種の燃料は広く使われていて、大きな商業区であれば買うことができる。しかし、ヴィーのような子どもが持っているのは不自然だった。
ここにも謎がある。
そう考えながらも、彼は燃料をボール箱にしまいこんだ。脇腹の基幹部に手をやる。まだ貼りかえの時期ではないが、次はこれを使おうと決めた。
漠とした荒野に闇がおりる。
ハイウェイの彼方ではメガロポリスが輝きはじめていた。
道をへだてるフェンスの脇、黙々と補修用ワイヤーを切っていた作業員は、背後に現れた男に気づくと「ひっ!」と息を飲み両手をあげた。
しかし相手はそれ以上近寄らず、なにも持っていない手を見せる。夜に冷えた風が黒っぽいジャケットをはためかせた。
「驚かせてすまない。少し話せるか」
パーシバルが静かに言うと、作業員はフェンスに背中を押しあて、大きく息をついた。
「よしてくれよ兄ちゃん、このあいだ一人撃たれたばっかりなんだ! どうした、雇ってほしいなら事務所を教えるが」
額の汗をぬぐう相手を見て、パーシバルはそういうふりをしようかどうか迷った。だが結局は単刀直入に切りだした。
「いや、俺が聞きたいのは事件の方だ。エカート・ドラシアついて話してほしい」
「あんた誰だ?」
男の大きな顔がサッとこわばる。
「まさか都市当局か? あの強盗を追っかけてんのか、俺をしょっぴいたってなにも出てこないぜ!」
勝手に事をふくらませる相手を前に、パーシバルはさりげなくジャケットの裾を落ちつかせた。
腹を満たしたホーネット.32口径がベルトにねじこんであり、これが目に入れば騒ぐどころか逃げられてしまう。
あのアロンソならどうやっただろう、と考えた時、次に踏み出すべき方向が見えた。
彼は意識して眉根を寄せ、できるだけ深刻そうな表情をつくった。
「俺の知人もこの近くで殺された。二つの事件が似ていて、関連を調べているんだ」
「そいつは…… 友達かい?」
と、作業員が目を見開く。
「ああ、当局は一市民のことでは動かないだろう。自分で追うしかない」
「そりゃあ気の毒だったな。そうか、そういうことか」
何度もうなずく男の顔から、怯えと混乱が退きはじめる。パーシバルはあらためて話を聞きながら、共感を得られた安堵を覚えた。
その陰で、とっさの作り話が重さを増してゆく。
彼はもうひとつの事件を抱える。弱った右手ですくったのは、アロンソの完了をはばんだのは何者だろうという問いだった。