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夢喰いスノードーム  作者: 白藤あさぎ
2/4

中編


ー*ー


『また、怖い夢を…?』


私の夢見が悪い時、先生はいつもあたたかいミルクを淹れてくれる。

お母さまが亡くなって間も無い頃、急な寂しさに襲われて泣き出す私を、何も言わずに抱きしめて髪を撫でてくれる。それが勉強の途中でも、何気ない会話の途中でも、ご飯を食べてるときでも。


お父さまがいなくて、家で2人きりの時は先生にそうして甘えていた。お母さまを亡くして、同じ痛みと悲しみを分かり合えるはずのお父さまとはなかなか話ができなかった。泣きつけなくて、そばにいて欲しいと言えなかった。

先生は、そんな私たち親子の繋ぎでもあった。

自分が思っているよりもずっと先生の存在は大きくて、気持ちはどんどん深くなっていく。お父さまが先生と研究のために長旅に出ると聞いた時は、私から先生を奪うお父さまを恨んだほどだった。


私はまた家にひとりぼっち。お手伝いさんは昼間のうちに帰ってしまうし、一番不安で堪らなくなる夜を私は何度も乗り切らなくちゃいけなかった。


『お嬢さん。これを差し上げます』


ある日、夢を見るのが怖くて眠れずにいた私に、先生が箱を差し出した。紺色の箱に銀のリボンが飾られたプレゼントだった。私の両手のひらに収まる大きさのそれは、受け取ると少し重かった。

リボンを解いて開けると、中から出てきたのはスノードームだった。


『これ…』

『窓際にたくさん集められてるのを見たので…お好きでしょう?』


もみの木を模した土台には白い粉がまぶしてあって、ガラス越しには可愛らしい白いツリーのオーナメント。てっぺんの小さな星や、ツリーの飾りが部屋の明かりに照らされてちらちらと光った。


『うん…好き』

『よかった。スノードームには夢が閉じ込めてあるんですって。中の雪には魔法がかかっていて、それをふりかけて眠るとそのオーナメントにまつわる夢を見られるんだそうです』


怖い夢をみないことを願ってくれるのが嬉しくて、それだけで私はその夜を乗り切れそうだった。


『先生、私もう15歳なのよ。こどもじゃないんだから』


笑って言うと、先生も安心したように笑う。泣きついたり眠れなかったり、わがままばかり言って困らせて、私は十分こどもだ。口ではそう言いつつ、先生が私に何かしたいと思ってくれて、それがこの吉夢の贈り物なら、受け取らない理由はなかったし、すごく嬉しかった。


『そうですね。でも、お嬢さんは大人でもないでしょう?頼れる人がいるうちは、まだ縋っていいんですよ。それに、私はあなたの力になれることが何よりも嬉しいんですから』

『…うん。ありがとう先生。いつも頼りにしてます』


先生のその気持ちがどこからくるものなのか、知ってからは少し苦しい。

先生が私に望む関係と、私が先生に望む関係は違う。それに気づいている私は、自分の本心とのすれ違いに軋むような苦しさを度々感じるようになった。



『救えなかったんです。大切な妹を…ほとんど治る見込みの無い病気と言われて、たとえ研究が間に合わなくても、私は何かをしたかった』


今思えばただのエゴでしかなかったけれど、考える頭と行動する足があるのに、弱っていく姿を横で見ていることしかしないのは嫌だったんです。


かつて死のうとした経緯を尋ねた時、先生はそう語った。

それから医学について学ぶうちに、妹さんの病気についての医師の診断に不審な点がいくつか出てきて、別の医者にかかったところ、誤診だったことがわかった。適切な治療であれば時間をかけて直せる病気だったのに、誤診で投与されていた薬が運悪く本来の症状を悪化させる作用を持っていたらしく、治療の甲斐なく亡くなった。

医者への不信感と、やり場のない怒りと耐えようの無い絶望感に全てを失った先生は、そうしてふらふらと私の家の前の橋にたどり着いたらしい。


『なにもかも無駄だったんです。治らない病気なんかじゃなかったし、結局私はなにもできなかった』

『お父さまが言ってたわ。なにもできないって思うのは傲慢なんだって。自分のしたいことができればそれは何かができたことになるのかって』


無遠慮といえる物言いだったと思う。先生の気持ちを、私はこの時軽んじていた。

後悔に打ちひしがれている人に、傲慢だなんて言うべきではなかったのに。


『…そうですね。本当に、教授の言う通りです』

『妹さんがいくら先生にありがとうって言っても、先生、自分がなにかしてあげてるって認められなかったんでしょ』

『ええ…あのまま死んでいたら、私は本当にあの子に見離されていました。だからお嬢さん、私のことをいつでも頼ってくださいね。力になれることならなんだってさせてください』


先生にとって私とお父さまは恩人なんだそうだ。私はそう思われるのが嫌だった。救う言葉をかけたわけではないし、彼を止めようと思っていたわけではない。お父さまに関してだって、弟子にしてほしいと頼み込んだのは先生の方からだ。

私の足のことを知って、もう一度医学者として勉強し直したいと気持ちを改めたと言っていたけれど、それは全て先生の心の流れであって、私が特別何かをしたわけではない。


そんなふうな気持ちではなくて、ただ…対等な関係としてそばにいて欲しかった。

先生にとって私が恩人なら、私にとって先生はどんな存在なのか、当てはまる言葉はひとつしか思い浮かばなくて、先生が私の隣にいない限り言葉にすることは許されない気がした。

いえば、これまでにないほど先生を困らせてしまう気がした。


ー*ー


「お嬢さん、寒くないですか?」


家を出て数十分歩いた頃、先生が私に尋ねてきた。


「平気。でも温かいものが飲みたいわ。そこの公園、露店もあるから寄って行きましょう」


先生は自分のペースで歩けないし、重いだろうし、私に気を使ってきっとずっと押してくれる気だ。私がわがままをいえば、先生を気兼ねなく休ませることができる。


ちらと、顔が見えるわけもないのに後ろに視線を動かした。先生は変わらない穏やかな声でいいですね、と言うと、また歩き出した。


昨日雪が降ったばかりの石畳は粗雑に雪かきがされていて、あまり通りやすい道ではなかった。おまけに車椅子なんて融通が利かないし、やっぱり家にいればよかったな…

久しぶりの外の空気ではあるけれど、それ以上に気を揉むことが多くて楽しむのは難しい。公園で少しお茶をして休んだら、理由をつけて家に帰ろう。


公園にさしかかると、木々に白い雪の花が咲いていた。街灯の霞んだ明かりが優しく花びらに色を添えて、きらきらと細く輝いている。

寒そうな乾いた木にも寄り添う温もりがなんだか優しくて、自然と心が穏やかになった。

ゆっくりと心地いいはやさで歩く先生の足が、雪を踏みしめる音。足跡が2つ、並んで続いていく様を想像した。車輪の味気ない線じゃなくて、私の足跡。


「…綺麗ですね。静かで、なんだか別世界に迷い込んだみたいです」

「ふふっ…先生ってロマンチックなのね」


からかいめいた口調でいうと、先生は柔く責めるように声音を変えた。


「お嬢さんの影響ですよ。固い医学書ばかり読んでいた私が、童話やおとぎばなしの本を漁るようになったんですから」

「あら、妹さんには読んで聞かせてあげなかったの?」

「妹が小さい頃は母がまだ生きてましたから。そういう夜の世話は母がしていたんです」

「そう。でも先生、お話ししてくれる時はいつも楽しそうだったわ。以外と好きだったんでしょう?」

「ばれてましたか。純粋な物語は綺麗で、好きですよ。それに、子どもの頃聞かされていた話を今になって読み返してみたら、気付けなかったことにも気づけましたし。お嬢さんもぐっすり眠れるようでしたので一石二鳥でした」

「…それってほんとに出会って間もない頃の話ね。そういえば、もう一年経つの…」


視線が遥か向こうの林を滑る。短くも長くも思える時間だった。思い出せる記憶はそれほど多くないし、どれもが先生との時間ばかり。凍りついた心を春の息吹で溶かしてくれた先生の優しい心に惹かれてからの時間は、それ以前とは別の意味で息苦しく心地いい記憶がある。


「お嬢さんは、もうすぐ16歳になるんですね」

「そうよ。レディーになるんだから」


そういって澄まし顔を作る。先生はそんな私に、子ども相手の笑い声を立てた。

欠陥品のこんなお荷物、どこにも貰い手なんていないし、お父さまは私がそういう歳だってことを知らないんじゃないだろうか。普通に振る舞っているように見えても、お父さまはまだお母さまが亡くなったことへの悲しみから全然立ち直れてない。私にかまけている暇なんてない。

だから多分、成人のお祝いもしないだろう。かわいい綺麗な流行りのドレスを着せてもらっても、ダンスを踊って見せびらかす場所も足もない。


別に悲観してるわけじゃないの。お父さまがどれだけお母さまを思っていたかきちんとわかってるし、リハビリをやめたのは自分だもの。


「ねえ先生。そろそろ寒いわ。帰りましょう?」

「わかりました。ではここで待っていてください。向こうであたたかい飲み物を買ってきますから」


そう言って走っていく先生の後ろ姿がどんどん小さくなっていくのを眺めながら、無性に心が震えだすのを感じていた。

今すぐにここから消えてしまいたくなった。馬鹿馬鹿しいことだとわかってる。でもたまに、そんな衝動にかられる。


他人からの心を確かめたくなるときがあった。

今ここで、例えば誘拐にあったら。例えば車椅子を自分で動かした結果誤って凍った川に落ちたら。きっと先生は心配してくれるだろう。いとも簡単に私を必死に探す姿が想像つく。

なのに、それは想像の域を出ない。それじゃ心は満足しない。

なにもなくとも彼は私にこんなにも心を砕いてくれているのに、私は…


とても満足できなかった。

こんなわがままだから、欲深い性格だから、いつまでも子ども扱いのまま。


それだけじゃない。厄介なことに私は、先生の前では子どもっぽく振舞おうとするきらいがある。傷つかないために、先生を困らせないという建前の裏で保険をかけてる。

全部自分の行いに沿って関係ができあがってるいるんだから、本心との擦れに苦しいと感じたくはない。それはあまりにも滑稽で馬鹿馬鹿しいことだとわかっていても、制御できなかった。


ー*ー


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