ミルティオーナ8
乱闘騒ぎの2日後、
ミーナが要塞内を散策していると、箒を持って掃除をしている"亡霊"を見つけた。
「あら、"亡霊"さん、もう具合はいいの?」
「はい。」
「一昨日は悪かったわね、てっきり冗談かと思っていたから。」
「はは、終わった話ですから、お構い無く。」
一昨日の乱闘で"亡霊"の魔力枯渇の言葉を冗談と受け取っていたミーナは躊躇なく彼を攻撃した。
結果彼はミーナの魔術をもろに食らい、戦場でも中々負わないぐらいの大怪我をした。
「それにしても、すごい回復力ね。」
「皆さんが熱心に手当てしてくれたお陰ですよ。」
「…ふぅん、女の子達に囲まれてベタベタするのが貴方にとっての治療なのね。」
魔術を行使するにあたって、空間把握能力と魔力量は、魔術師の優劣を決める大きな要素のうちの一つで、それは古来から女性の方が優れている。現在の社会はその影響で、女性上位の風潮であり、高等魔術師も女性の数が若干多い。
"亡霊"は一瞬とはいえミーナが見とれてしまうほどの神秘的な顔立ちをしてるので、戦闘狂とはいえそれ以外の方面にはまともな女性軍人達からの人気は高かった。
彼に決めた人がいると聞いても、諦めきれない者が殆どで、正妻は無理でも側妻ならと彼の周りには四六時中女性軍人が群がっていた。
そんな彼女らが彼の治療という好機を逃す理由はないだろう。
「え、み、見てたんですか…、あ、いえ、じゃなくて、あれは違うんです。」
「どう違うっていうのよ?」
「や、やっぱり、俺も一応は男ですから、そういうものに趣を感じざるを得ないといいますか…。」
「なにが趣よ、私が言ってることと一つも変わらないじゃない!」
全く言い訳が言い訳になっていなかった。
「そもそもどうして掃除なんてしてたのかしら?」
「一人になりたくて抜け出してきたところまでは良かったんですけど、手持ち無沙汰だったので暇潰しに。」
「あら良かったの?大好きな女の子達と離れても。」
「俺だって好きでこうなってる訳じゃないんですよ?」
「…、貴方、いつか後ろから刺されるわよ。いいえ、むしろ刺されなさい。」
「さんざんな物言いですね。」
ここで"亡霊"はなにかに気づいたのか「あ、でも…」と言葉を続ける。
「ミーナ様もあまり人のことは言えないのでは?ここまで美しい方などなかなかいません。」
「あら、そう、それは嬉しいわね、でも私は他の子達とは違ってそんな簡単に落ちないわよ?残念だったわね。」
「いや、別にそういう意味で言ったわけでは…、」
あの乱闘の後ミーナは一度だけ"亡霊"の元を訪れた。
その時に仲間の最低条件として自分のことをミーナと呼ぶことを命じ、"亡霊"もそれくらいならと了承したのだ。
ルルスやそれ以外の軍人達はいくら言っても直してくれなかったので、どちらかというとミーナは綺麗と言われたことよりもそれに対して嬉しく感じている。
せっかく二人になれたので、ミーナはある意味女性にとっては永遠の課題?であるだろうことを聞いてみる。
「で、その美容の秘訣は何よ?」
「唐突ですね…、特になにもしていませんよ。」
「そんなわけないでしょ、ほら。」
ミーナは"亡霊"の髪を触ってみる。
「なにもしてなかったら髪の毛がこんなにサラサラになる筈がないわ。」
「本当になにもしてませんって、」
「いいじゃないの、教えても減るものじゃないでしょ?」
今度は頬に触れてみる。
「つやつやね。流石にこれでなにもしてないって言うのは無理があるわよ?」
「いえ、嘘つく理由がありませんって。」
「こっちはどうかしら……、あぁ、さわり心地最高ね、今度はこっちも――」
「ちょっと待っ――」
どこを触っても信じられないくらい良い感触が返ってくるので、ミーナは段々楽しくなってきた。
最初の目的も忘れて遠慮無く触っていく。
(なんか、変な気分になるわね。)
彼はミーナよりも少し身長が低い。
端から見ると、年下相手に変なことをしているようにも見える。ミーナはなんだか妖しい気分になってきた。
暫く触っていると耐えきれなくなったのか"亡霊"が必死で懇願しだした。
「ちょっ、待ってくださいよ!本当になにもやっていないんです、信じてください!」
「あらごめんなさい、つい夢中になっちゃったわ。貴方がそこまで言うなら信じるけど、本当に心当たりは無いのね?」
「はい、強いて言うなら早寝早起きぐらいですかね…、」
「そんなことで綺麗になれるんだったら誰も苦労しないわよ!」
彼の言葉が本当ならこの美しさは自然に得たものということだ。
(…、私がここで刺してもバチ当たらないわよね。)
狙うならやはり止血しづらい腹部だろうか。
「絶対なんか変なこと考えてますよね!?嫌ですよまた怪我するのは。」
案の定"亡霊"はミーナの嫌な雰囲気を感じ取った。
「気のせいじゃない?じゃあ、そろそろ私は行くわね。せいぜい後ろに気を付けなさい。」
「え!?冗談ですよね…?
ちょ、ミーナ様、なんでそんな不敵な笑みを!?俺まだやらないといけな――「恨むならその綺麗な顔立ちを恨むことね。」誉められてるのか貶されてるのか分かりませんよ…!」
まだなにやら喚いている"亡霊"を無視して部屋に戻る。
(王都に帰ったらやってみましょう。)
なんだかんだで試してみようと思うミーナであった。
◇◆◇
部屋に戻ってもすることがなかったのでミーナは食堂に寄ることにした。
(本当に誰もいないのね…。)
ペルグランデ要塞内でも一、二の広さを誇る食堂は普段であればもっと活気に溢れた場所なのだろう。
しかし今はミーナ以外の姿無く、夏であるにもかかわらず肌寒さを感じる程に空気はひんやりしていた。
もともと分かっていたことではあったが、そのことにミーナは一抹の物悲しさを抱かざるを得ない。
(何か軽く食べられる物はないかしら。)
魔力量の多い人間はその影響で、体のエネルギーを消費しやすく、特に他とは卓越した力を持つ高等魔術師は朝昼夜の三食以外にも何度か食事を挟むことを推奨されている。
ミーナは勇者の力を持つためその消費が輪をかけて多い、蓄えられるときに蓄えておくのは戦場では常識だ。
そんなことを考えながら調理場を物色をしていると、外から誰かが入ってくる音が聞こえた。
「あ!ミルティオーナ様!」
入ってきたのはルルスだった。
「ルルスね、掃除の進捗の方はどうかしら?」
ミーナにとっては軽い会話の種程度の質問だったのだが、返ってきたのは想定外の言葉だった。
「はい!清掃、全フロア終わりました!」
「え゛?」
ミーナは耳を疑った。
それもそのはず、ルルスに清掃を命じたのはたった2日前ことだ。いくらやる気に満ち溢れていたとはいえ、一週間はかかるだろうと考えていた。
「またご命令があればなんなりと!」
ニコニコとして元気そうなルルスだが、よくよく見ると彼女の目元には隈が浮かんでいる。不眠不休で作業にあたっていた証拠だ。
「と、とりあえず今はないわ、今後に備えてゆっくり休んで頂戴。」
「わかりましたっ」
ここまで頑張るとは思っていなかったので流石に申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「ミルティオーナ様も軽食を取りにここへ?」
「ええ、あまりちゃんとしたのは無いようだけど、」
「だったら私が作りましょうか?私、料理は得意ですから!」
「ありがとう、お願いできるかしら?」
ミーナがそう声をかけるとルルスははい!と元気よく返事をしてせっせと料理の調理を始めた。
ミーナは自分も手伝えることを探すが、ルルスの手際が良すぎて見つからない。
(この外見でなければ引く手数多だったでしょうに…、)
ルルスは能力だけでいえば確実に天才の部類に入る存在だし、家庭的な一面もあるのだが、その幼すぎる容姿と、父親の過保護のせいで24歳になった今でも婚約者はいない。
良い花嫁になるためにと言って、料理を猛練習していた時期があったことを知っているだけに、今の姿を見ると涙が出そうになってくる。
誰かルルスの良さに気付いてくれる人はいないものだろうか。
「そういえば先程"亡霊"に会いましたよ?
あいつ、お腹を刺されるってびくびくしていて、とても無様でした!」
「……、あぁ、何かあったのかしら…。」
ここに着いた初日と一転して、何故かルルスは"亡霊"に露骨に敵意を向けている。
彼は特に気にしている様子はないが、これからは仲間としてやっていくわけなので、ミーナとしては仲良くしてもらいたいところだ。
ミーナがそんなことを思案していると、
「…、ミルティオーナ様、一つよろしいでしょうか。」
「!」
ミーナが顔を上げると、ルルスの調子はここに到着する前の真面目なものに戻っていて、否応なしにその話が大切なものであることを理解させられた。
「ええ、いいわよ。」
「ありがとうございます。
ミルティオーナ様、あいつに持ちかけた契約、ご再考願えないでしょうか?」
「貴女の言うあいつとは…、"亡霊"さんのことで間違いないわよね?」
「はい。」
ミーナは今のルルスの言葉で何故彼女が"亡霊"に対して過剰なまでに敵意を向けるのか理解した。
「彼のこと、そんなに信用ならないの?」
「ミルティオーナ様も分かっている筈です、あいつには不自然なところが多すぎます。それに、ミルティオーナ様の目的も知っていました。私達を狙う何者かの刺客ということも考えられます。」
「それは……、そうなのだけれど…。」
ルルスの言ったことはミーナも考えてはいたことだった。
まだ数日しか共にしていないにもかかわらず、"亡霊"には異常な戦闘力然り、ルルスの父であるパドルと既知であること然り、不自然なところが多く見受けられた。
極めつけは彼がミーナの目的を知っていたというところだ。
これで彼を怪しむなという方が無理であろう。
しかし、
「悪いけど、できないわ。」
「……理由を、お聞きしても?」
「確かに貴女の言うように彼が何か目的をもって私達に接触してきているのは間違いないわ。」
「なら…!」
ルルスの表情はここ数日見ることのなかった真剣なもので、本当に自分のことを思ってのこと、というのがひしひし伝わってくる。
ミーナはそんなルルスに申し訳なさを覚えながらも言葉を続ける。
「でも、彼には私達を害するつもりはないと思うの。彼がその気だったら、私はもうこの世にいないはずよ。それに、彼がそんなことをする人間に見える?」
「う、確かにそうなんですけど…。」
彼が善良な人間というのはここ数日の関わりだけでもよく分かる。
そのことはルルスにも分かっていたことだったようだ。
さらにこれはルルスには言わなかったが、ミーナは彼に自分と近しいものを感じた。
それがどこからくるものかミーナ自身よく分かっていなかったものの、それは彼が信用できる者だというのを直感させた。
「で、でも、出自もよく分からない人間を近く置いておくのは危険すぎます。」
「そこを言われると辛いわね…。よし、決めたわ、こうしましょう。」
普通はルルスの考えをするべきなので、ミーナはお互いの考えを止揚することにした。
「彼が疑わしいのは事実だけど、代えがたい戦力になることも事実だわ、だから――」
以降を要約するとこうだ。
・仲間として行動はするが、基本的に重要な情報は伝えないこと。
・彼の言動をできる範囲で監視して、何かあれば報告すること。
「分かりました。
私もそれがちょうどいいと思います。」
「ごめんなさいね。」
「そんな、ミルティオーナ様は悪くありません!私が大袈裟すぎたんです!」
「私も楽観しすぎていたからお互い様よ。だけど、これからは一緒に行動するわけだし、あまり強く当たるのは止しなさいね。」
「分かりました!」
元気良く返事してルルスは調理を再開した。ミーナもそれ以上何か言うことは無く、何かを考え込むような様子をみせて、ルルスの姿をぼんやりと眺めていた。
「もしかして、彼に強く当たってたのって、彼の反応を見るためだったりするのかしら?」
「流石ミルティオーナ様です、やっぱりなんでもわかってしまうんですね。」
「じゃあ私のことしか眼中にないとか言って付きまとおうとしていたのも彼を油断させるためだったのね。」
「あ、いえ、それは本気です。」
「…。」
食事はかなり美味しかった。